神奈川北大会

慶應◯-東海大相模☓

桐光-横浜商大付属(いまさっき試合開始)

日曜日に決勝らしいけど、やるのかな?

夕方五時更新

桐光7-横浜商大付0(七回コールド)

台風で予定が一日順延して月曜日決勝です。

相手は慶應!

金持ちを僻むわけじゃないけど、高校球児はさっぱりとしたボウズが良いと思う。 俺なんか髪がないからずっと坊主!(笑)


目出度く合格しましたのでここで使用テキスト、教材について書きますね。

実教出版「チャレンジライセンス 乙種四類 危険物取扱者テキスト」 780円 (大きく広く勉強、語呂合わせや巻末の模試も利用) と公論出版「乙種四類危険物取扱者試験 平成29年版」 1800円(過去問のパターンを勉強、基礎があればこれ一冊で2月までは行けたかも)です。

僕は文系だったのでmol計算や化学式がちんぷんかんぷんでした。

前回、「エステル反応」の問題を取りこぼし八割。

法令は問題の15モンすべてを覚えてないという凡ミスでした。

勉強は多分、3-4ヶ月だと思います。薄いテキストでざっくりと学び、過去問の問題形式に慣れて、厚いテキストで過去問のパターンと正答を丸暗記ですかね?

移動タンクに関する問題(初見、答えわからず)が二問程度法令に入っていてビビリました(笑)

屋外貯蔵所に積み上げられる高さとは違って輸送時に荷台に詰める高さについての問題が出ました。(4/8 東京)

一応、上記の過去問にあった問題は試験終了後に今後のために帰りの電車の中でチェック入れてあります。(2/28の問題も)

次は三類辺りを取ろうと思っていますが、実家の片付けで帰ったり、小田原北條五代祭りがあったり、妹の帰郷に合わせて僕らも帰ろうかと思ってるので割と5月にかけて忙しいです。

6月に入ると夏の仕事の研修、小学校の水泳ボランティアが入り、7月末から本格的にプールの監視員の仕事が入り、8月いっぱいだけ高給取りになります(笑)

9月辺りから余裕が出てくるのでそのへんから仕事や再試験の動きが出てくるんじゃないですかね?

もし、これから勉強したいという人には僕がやったことはお話できると思うので気軽に質問してください。

試験終わってみて思うのは「怪しいな」と思ってるときは落ちてます(笑)

「六割は余裕で行ってる」と答え合わせで出来てれば合格しています(当然だ)

僕は最初の試験で物化と性消が八割行ったので二回目の試験では法令を重点的に勉強しました。

「指定数量」「分類」「保安距離」などは丸暗記しました。

それ以外では炎色反応やmol計算などもなんとかできるくらいには勉強しました。

何かのご縁でたどり着いた人がいらっしゃいましたらどうぞご遠慮無く質問を書き込んでください。


散った桜はまた咲くのか?!
母型の祖父母の墓参りをしてからそちらの親戚がよく夢に出てくるようになったマサムネです。

今朝は母の兄(唯一の男子、実家を継いで住んでいる)とビールを飲んでいる夢でした。

お盆と正月はよく祖父母のいた土間のあったその実家へ行ったものです。

土間はまっすぐ裏手へ抜けて田川のへりへ出ます。玄関の左は元の馬屋、その奥がかまど、その奥左手建物のスミにお風呂という配置。台所からお風呂へすのこがしいてあって着替えを持って土間を渡るのです(笑)脱衣場なんてものは無くてあれ、年頃の従兄弟はどうしたんだろ?風呂(笑)

玄関上がって正面に広間、続いて更に仏壇のある広間。台所の脇が居間で、その隣(風呂の反対側のスミ)が寝室でした。庭は広くてそれ以外に農機具などをいれる大きな納屋と土壁でできた蔵がありました。(この間通ったら蔵やその周りの木は無くなっていました)

新四号から鉢形の交差点を右折するんだけど変則立体交差なので右折の矢印がでるまでしばらく待ちます。

ってそうだよ!

ビールをおじさんと飲んでる夢。

おじさんがビール瓶とコップとちゃぶ台に置いて僕とサシで飲んでいます。

「こうやって注ぎあって飲めることがないから嬉しいよ」と僕に言います。

そういえばだけど、数多くの孫の中で僕だけは特出してうるさかったらしいです(笑)

マサムネちゃんの話が終わらないからばあちゃん疲れたよ!と僕が小さい頃言っていたそうです。栗橋から古河まで四号線で帰ってくる間一息もつかずに話をしていた・・・と。(今は当時の面影はなくわりと無口です)

僕は小学生の時、盟友ジャガーノートを連れて自転車でその実家へ遊びに行ったことがあります。

割と小山駅近辺は自転車ででかけていましたけど(出かけるなよ!)母の実家は更にその先になります。

新四号国道はなく、国道4号(今の旧道)を進み、児玉食堂の先を右折すると上に書いた鉢形の交差点にでるんですね。な、何キロなんだろ?

カタカタカタ・・・・・。

ざっとですが28-9キロくらい(新四号経由)

自転車で走れと言われたらまず今は無理!と言います。

自動車で45分だって・・・・。

墓地ついでにいうと、父方の祖父と祖母1祖母2は茨城県のとある場所に眠っています。祖母1は便宜的な名称で、父と父の妹を産んだ何人目かの祖母です。祖母2というのは1と離婚したあと身の回りの世話をするために来た祖父の最後の奥さんです(汗)

この墓地についてはちょっと事情があるのでまだでかけていません。

あと神奈川から行くと遠い!茨城県の県央地区ですから・・・・・。

ただ、お金に糸目をつけなければ「圏央道」をずっと走っていれば近くのインターまで行けます。

うちの両親はそんな辺鄙なところへお墓を買ったらしくて死んだら五人でそこで眠るそうです(遠いなあ~!)

と、ここまでが前振り(爆笑)

本題はシンプル。

乙四試験までほぼ二週間。

今回は過去問チェック(暗記)をメインにやって、1日一回は模試をやる。

手空きの時や汚いけどトイレの中でもやりました。勉強になりふりかまってられません。

神奈川で負けたので日本の首都東京で借りを返してきます。


※本文中に新四号はないと書きましたけどあったのかも知れないです当時僕は4年か五年生でその道を知らなかったのかも?! その後何度かギア車を手に入れたらでかけました(カブトムシ取りに)
息子のクラス、学級閉鎖です。(インフルエンザ)

水曜まで。

僕が出てきて(実家へ)息子(インフルでない)から妻に風邪が移った。

息子は七度台が一日で軽快。

妻は僕が居なくなって8度台、夜に9度超え、日曜に8度台へ下がり、月曜(俺が戻った朝)に七度台、今日は半日だけ仕事して二階で寝ています。

親は「熱が出たから早く帰ってやれ!」と言ってたのですが、結局連絡を取りながらこっちのメンバー(岳父母たち)に任せました。

昨日も書いたのですが、「僕にしか出来ないこと」をやっている間は熱が出ようがそっちで処理してくれ。という性分なのです。

新百合とか相模大野辺りで風邪が流行ってるのかしら? 土曜に学校見学行って風邪引いてきたっぽいのよね?
土曜日にオープンスクールに行ってきたらしい。

良かった点

・娘が息子と同じ時間に起きられれば栗平の先なので同じルートを使える(小田急だからJRに比べて運賃も安い)

・自然がいっぱい!

・女子サッカー部ある(相模女子のほうが強いらしい)

悪い点は書かない

ただ、見た中では「湘南白百合」がよかったらしい。

校長がシスターなのだ。

いろいろな特性がある中ですべてを特長と捉えてくださるのは良い点だと思う。

あとミッション系の学校だけど宗教的なことはほとんどないです~普通です~と言ってた女子が良かったらしい。

公立にはない良さだと思う。

別に公立を批判するわけじゃないけど平等に均等に行う教育体制には(しかもそういうののしくみが古い)限界があるのよね? 
最近のモラルが欠けた時代を嘆いて息子が「政経学部を出て社会の先生になるかも?!」といい出した(笑)

「六年あるのでよく考えなよ」と言ったけど。

1人の人間ができることって限られている。

先生になったから教え子のすべてが人格者になるかというとそうでもない。

教育熱だけで一生生きていけるほど僕らはタフに作られていない。

大体さ、社会の先生(公民とか政治経済の専門なのか?)になるのに政経ってね?

ピアノ、社会の先生、実はどちらも僕ができなかったこと。(口に出して一言も言ってない)

彼は僕より数年速くそういうものに取り組んでいる。「やりたかったな~」という欲望がDNAに刻まれているのだろう。

ただ、「民意はそう簡単に変えられるものではない」という絶望に近い実体験も刻まれているとしたら「世の中なんて変わりゃしねえよ。皆自分が良ければそれでいいんだ 仕方ないだろ?」という境地に達して世捨て人になる日も近いのか?!

それなら一生食べていける国家資格を取れる仕事をしつつ副業的に子供に生き方を教えればいいんじゃないか?とも思う。


謹んで新年のお喜びを申し上げます。

さて、南足柄の西念寺の除夜の鐘を突けず、娘がふてくされておりました(笑)

ここは戦国武将の天野康景のお墓があります。

何故行かなかったか?

息子が疲れて寝ていたのと、一緒にイケる人が去年はいなかったので。

僕はキョクゲン見たくて七時ちょっと前に帰宅しちゃったのです^^;

あと、風邪をうつされたくなくて不要、不急の用で人混みは避けようと。

皆様もうがい手洗いをしっかりしていらない風邪をもらわないようにお気をつけください。

年末のお守りの効果があって

9212/19600(漕ぎ)

操舵が3+2の172/780

昨年駆け込みで操舵が練成できました。


ミクシにアップ出来なかったのでここに添付しておきます。

あとで向こうへ書けるようになったら再添付します。

「手術その後と検査結果」


検査結果はあと数時間後に判明します。

岳父の手術はきっかり2時間で終わりました。

神経の通ってる所を触るだけで実際には外科的なものだけです。

圧迫を取り、広げて、骨の元を入れる。

首のカラーのようなものも寝てる時は外していいそうです。

今日の午後、医師から今後の説明があり、問題が無ければ明日、退院

首の旋回範囲が三割ぐらい戻らない人も中にはいるらしい。

戦艦風に言うと砲塔が建造時の七割しか旋回しない(砲撃範囲が狭まる)

先日の尾木ママの講演の前にも(時間つぶしで)岳父の所へ行き、鎌倉芸術劇場へ行きましたけど、三時半ぐらいになってしまった(小田原-横浜-北新横浜-戸塚-大船と移動したら)

けど、北新横浜というのは晴れてれば新横まで歩けるし、横浜まで20分かからないし、学校も小田原より選択肢もあるし、もちろん、都内に通う時間も1時間以上

短縮されます。

もし、どなたかあの辺りの便利な所、不便な所を知ってる人は教えて下さい。

さて、先週の血液・尿検査結果が出ます。

医師ではないのでアレですが、血尿がでていれば腎結石、そのた腫瘍マーカーが上がっていればどこかの腫瘍なんでしょうね。

最悪はその両方ダブルパンチ! おまけに一つしか無い臓器のアボーン宣告(そんなことはないだろうと思うけど)

ま、それなりに食欲はあるし、体重も激増、激減していません。髪の毛が着実に減っていることを除けば至って健康です。(腹の痛みをのぞいてね)

右の肋の下の痛みは押すと痛み、まだ取れません。

昨日10キロ小田原城の大城郭を歩きましたので膝がちょっと痛みますが大したことないです(笑)

大体ロキソニン60ミリを毎食後ノンでるのに圧痛が消えないのは個人的にん?と思います。

横浜大船(鎌倉)辺りをウロウロしていていいなあと思うのは「女子がきちんとしている」所です。

顔の良し悪しではなく(細かく言うと実は人相は気持ちの持ち方で変わるので)

見た目への配慮をしてる人がとても多く、足とか耳とかもちろん顔とか胸とか

みても心がなごむ(オイ!)

つまり、小田原はスエットでウロウロしてる人が結構いるので田舎ということです。

家の中はいいけど、外へ出る時はキチっとした格好をしてほしいものです。

僕なんか女子の役員さんに「きちっとした格好して来てくださいね!」と言われたので先日の仕立てた一張羅のスーツに赤い縁のメガネ、胸には真紅のポケットチーフ、ネクタイはエンジ、シャツはブルーと白のストライプで行きました。

これで仕事鞄持っていたらベンチャー企業の社長みたいです(自分でいうな)

日本では浮くけど多分イタリア辺りにはたくさんいそうな感じ。

そういえば今年の二月にPTA用として買ったワイシャツ

でかくなってました><

特にスーツを着る時は袖を調整しないとカッコ悪い

これはワイシャツもオーダーかなあ?と思ったり

来年度はもうスーツきないべ?と思ったり。

ちなみに僕は身長がそんなに高くないですが(166センチ)

スーツも和服も似合います。

ま、両方共自分用に作ってあるからなんですけどね(汗)

もっと似合うのは「グリムリーパー」のコスチュームです。


リンクしてる人の日記の中で思い出せないことがでてきたのでノートを引っ張り出

して復習。

参議、以上、中将、少将、侍従←ここまでを官職という

四品、諸大夫、布衣

四品以下はそこより上を狙いはたらきかけたり、旧家の場合は復活を狙い働きかけ

たりする。

官位は着る服、座る位置に重要な意味を持っていた。

・大礼服はほとんど着ない(衣冠、束帯)

直垂、狩衣、大紋、ホイ(と書いてあるw)

着衣によって儀式の重要性がわかる

では儀式にはどのようなものがあったのか?

☆節句~拝見をともなう→作法を受けるかで格が違う。

江戸幕府は四節句

3/3上巳 5/5端午 7/7七夕 9/9重陽  →長袴

式日 元旦 8月1日 嘉祥6/16

玄猪 10月初の亥の日

①元旦→②八朔 二大行事であった

(将軍宣下除く)



と、このあと献残屋(ギフト引取り業)の話や四品以上とそれ以下の家格で線引き

がされていたことに混じり書いてあった。

嘉祥(かじょう)

6/16のこと 

1572年三方が原の合戦で武田に負けて六種の菓子を食べた。

1616年豊家滅びる。

大名、3000石以上の旗本、3000石以下の布衣の役人は登城して菓子を食べる。


そのあとの授業のなかで多分名家の話や、源氏の棟梁の話、家康が独立に至った

因縁などの流れで聞いたんだよな。多分。

しかし、延々とヘタクソな字で記録してあるけど読むと思い出すな。

この授業のあととらやで嘉祥の菓子をいつか食ってやると思ってたけど

「源氏の決めたことなんかに相乗りするもんかっ!」と最近では跳ね返ってます。

大体なんだ「平塚」って。

平家を呪ってるのか!

くそ~江戸時代から現代までを作ってきたのは源氏社会なのだ。

世の平家の子孫よ!立ち上がれ!

今こそ壇ノ浦から続く怨念を晴らさずで置くべきか!

あれ? なんかまた違う方向に話が行きましたね。

武家には武家なりに家格や官職で扱いがとても違ったのです。

そういうのをすべて捨てても主君のあだ討ちを遂げるところに

(みんなお家おとりつぶし)忠臣蔵のよさがあるんですね。(僕はいいとおもわな

いけど)

あれだってお話だからいいけど、愚かな主君二人のせいで振り回された下級武士の

話としてみたらなんてことはない死に急ぐ侍の話です。

どこまでも忠義の心というのがあるからいい話しなんですね。

あれですよ、フライデー事件みたいなもん(笑)


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