我々の人生は豆電球の光
2022年2月21日 エッセイ コメント (4)宇宙がいつ誕生したか知ってますか?
私は知りません。
太陽がいつから輝いているか知ってますか?
少なくとも、私が生まれたときは輝いていました。
長い長い星の一生に比べたら我々の命なんて豆電球がショートしてパチっと切れるようなものです。
生まれたからには死は必ず訪れます。
不謹慎かもしれませんが、最後に本音を述べます。
人の命は尊い、けど、人間の所業は地球にとって悪なことが多い。
コロナウイルスが沢山の人の命を奪った。
それでも、地球全体の人間からしてみれば大した数じゃない。
生まれた以上、いつかは死ぬ、死ぬ時期と死に方だけだ。
生に執着してる老人を見てると「アンタらはその年になって死が怖いのか? そんなに死にたくないのか? みんないつか死ぬんだぞ?」と思う。
生きることは悪くない。
ただ、無様に生き恥を晒すなら名誉ある死をと心のどこかで思いつつ死に場所を探しさまよう日々。
首をはねられるなんてことはないだろうけど、首の後がみっともないと死んだ後かっこ悪いので毎日毎日キレイにする。
一つのサービスが終わる、これは一つの死なのかもしれない。
私は数ヶ月前に断筆を決意した。
10代の頃にちょっとしたものを買いていて、大学で周りに配っていた。
20代にこういう場所を見つけて、もう文字を書くのはいいよと思いつつメモ程度に書いたのがこれだけ続いた。
30代、私は実は病に侵されていてこの頃の記憶が殆どない。だから私の人生は10年どこかにすっ飛んでいってしまった(笑)
40代、ゲーム仲間はDNから消え、新しい方々との親交により沢山のあり方、やり方を学ばせて頂いた。
そして四捨五入したらもうすぐ50代(笑)
帰郷するといつまでも子供の親父と比べて母が「お前は丸くなった」という。
言いたいことを言い尽くし、正論を振りかざしても無駄だと思ったから言わなくなったんだよ、と思う。
昨日、国道16号線を狭山の鵜の森辺りから丁度、圏央道の入間の入り口まで二車線を暴走族が走っていた。
スマホをハンズフリーにして110番して追跡してとっちめてもらおうと昔ならやった。(こいつらはルールを破っているのにペナルティはなしかよ、警察は何やってんだ!仕事しろ!)
入間インターの入り口の交差点で赤信号で停まったとき、彼らは向かいのスタンドへ入っていった。私の数メートル先をまだまだ若い彼らがジャージなんかで走っている(寒くねえのか?)
ことを起こして起きるトラブルと、見過ごして得られるメリットを秤にかけたら勿論黙って入間インターから圏央道へ入るの方を取った。
幸いにも私の怒りを抑えたのは「ここ」だった。
DiaryNoteも終わっちゃうものな? 正義を振りかざして死んだらもったいないよな?と。
とんがりたい人はいつまでもとんがっていればいいし、丸くなりたければいつでも丸くなればいいと思う。
それは選択の自由だからね?
いつまでもとんがっていて言っても仕方のないことを延々と言っても何も解決しない。
それならば私は言わないことを選ぶ。と。
人生とは永遠の学びであるとどこかで聞いた。(人生には終わりが来るのにね?)
DiaryNoteが終わっても人生は終わりではない(残念なことにここで縁が途切れたり、恐らく戻ってこないことを推察すると旅立ってしまった人もいそうだ)
けど、人生にいつかは終りが来る。
皆々様におかれましてはこれから先も様々な道を歩まれる事と思います。
その中でとても理不尽なことや辛いことがあった時は「そのことから自分が何を学べるか?」と(嫌な思いをしてるのに学べないよね?)不肖マサムネが申し上げていたことをふと、思い出していただければ幸いです。
「船は沈む、だが我々は同じ船に乗っていた仲間じゃないか! 何かあったらいつでも相談にのるぜ! そしていつかビール片手に飲もうじゃないか!」
私は知りません。
太陽がいつから輝いているか知ってますか?
少なくとも、私が生まれたときは輝いていました。
長い長い星の一生に比べたら我々の命なんて豆電球がショートしてパチっと切れるようなものです。
生まれたからには死は必ず訪れます。
不謹慎かもしれませんが、最後に本音を述べます。
人の命は尊い、けど、人間の所業は地球にとって悪なことが多い。
コロナウイルスが沢山の人の命を奪った。
それでも、地球全体の人間からしてみれば大した数じゃない。
生まれた以上、いつかは死ぬ、死ぬ時期と死に方だけだ。
生に執着してる老人を見てると「アンタらはその年になって死が怖いのか? そんなに死にたくないのか? みんないつか死ぬんだぞ?」と思う。
生きることは悪くない。
ただ、無様に生き恥を晒すなら名誉ある死をと心のどこかで思いつつ死に場所を探しさまよう日々。
首をはねられるなんてことはないだろうけど、首の後がみっともないと死んだ後かっこ悪いので毎日毎日キレイにする。
一つのサービスが終わる、これは一つの死なのかもしれない。
私は数ヶ月前に断筆を決意した。
10代の頃にちょっとしたものを買いていて、大学で周りに配っていた。
20代にこういう場所を見つけて、もう文字を書くのはいいよと思いつつメモ程度に書いたのがこれだけ続いた。
30代、私は実は病に侵されていてこの頃の記憶が殆どない。だから私の人生は10年どこかにすっ飛んでいってしまった(笑)
40代、ゲーム仲間はDNから消え、新しい方々との親交により沢山のあり方、やり方を学ばせて頂いた。
そして四捨五入したらもうすぐ50代(笑)
帰郷するといつまでも子供の親父と比べて母が「お前は丸くなった」という。
言いたいことを言い尽くし、正論を振りかざしても無駄だと思ったから言わなくなったんだよ、と思う。
昨日、国道16号線を狭山の鵜の森辺りから丁度、圏央道の入間の入り口まで二車線を暴走族が走っていた。
スマホをハンズフリーにして110番して追跡してとっちめてもらおうと昔ならやった。(こいつらはルールを破っているのにペナルティはなしかよ、警察は何やってんだ!仕事しろ!)
入間インターの入り口の交差点で赤信号で停まったとき、彼らは向かいのスタンドへ入っていった。私の数メートル先をまだまだ若い彼らがジャージなんかで走っている(寒くねえのか?)
ことを起こして起きるトラブルと、見過ごして得られるメリットを秤にかけたら勿論黙って入間インターから圏央道へ入るの方を取った。
幸いにも私の怒りを抑えたのは「ここ」だった。
DiaryNoteも終わっちゃうものな? 正義を振りかざして死んだらもったいないよな?と。
とんがりたい人はいつまでもとんがっていればいいし、丸くなりたければいつでも丸くなればいいと思う。
それは選択の自由だからね?
いつまでもとんがっていて言っても仕方のないことを延々と言っても何も解決しない。
それならば私は言わないことを選ぶ。と。
人生とは永遠の学びであるとどこかで聞いた。(人生には終わりが来るのにね?)
DiaryNoteが終わっても人生は終わりではない(残念なことにここで縁が途切れたり、恐らく戻ってこないことを推察すると旅立ってしまった人もいそうだ)
けど、人生にいつかは終りが来る。
皆々様におかれましてはこれから先も様々な道を歩まれる事と思います。
その中でとても理不尽なことや辛いことがあった時は「そのことから自分が何を学べるか?」と(嫌な思いをしてるのに学べないよね?)不肖マサムネが申し上げていたことをふと、思い出していただければ幸いです。
「船は沈む、だが我々は同じ船に乗っていた仲間じゃないか! 何かあったらいつでも相談にのるぜ! そしていつかビール片手に飲もうじゃないか!」
コメント
今後ともよろしくお願いします。
でも、ブログを読んで色々考えさせられたせいか、
お兄さんに思ってました。
それはさておき。
正義を振りかざしても無駄…いやな世の中ですが、
それが通常モードなんですよねー。
それでも、できるかぎり自由な意見を言いたいものです。
ここではそれができたのですが。
終わるのなら、それもまた運命。受け入れるだけです。
ビールというのは言葉のあやでして^^ ジュースでもアイスティでもなんでもいいのです。川越から来ると長い長い滑走路の道を進んでるとあのへんでビールが飲めないのが残念です。飲酒運転になってしまいますから・・・・。うちの実家が荒川の河川敷にでもあればいいのに。などと妄想してみます。
私の日記に書き込みしてくれる人の殆どは私よりお姉さんばかりでした。(私から見て、50代でも60代でも、70代でも皆姉さんです) 私は長男だったので一杯お姉さんに囲まれて幸せな文筆の日々だったのですね。