先程、通りに面したもともとヒノキっぽい木(まるこさんちの庭に生えてるような)が生えていた所に群生したどくだみを切った。

私の住んでる家は妻の祖父と叔母と叔父で建てた(支払いを済ませた)家で叔父と叔母はもっと小田原よりの良い所に新しくて「いい」家を建てて住んでいる。(笑)

うちの庭の植木は祖父が全部植えたとのことでむやみに切ってほしくないとその祖父の娘(つまりは岳母)がやんわりとその意を私に伝える。

一回、刈り込み鋏でオモトもドクダミも綺麗に切って地面が出るくらいにしたら

「ここにオモトが生えていたでしょ?!」と素っ頓狂な声で言われた。

実は近所の他界してしまったおばさんに建物のそばの木は縁起が良くない!といわれたのと、風が吹くと隣家の道路まで枯れた葉っぱが落ちて飛んでいくのでそのヒノキみたいな木は切らせていただいた。(植木屋も呼ばない、掃除もしてくれない、おれは毎日枯れ葉掃除)

建物のそばの木は「根付く→寝付く」ということで近すぎるのは良くないと。

でも、猫の額ほどの土地に建て増ししているのだから建物から遠い木を探すほうが厄介だ。

それよりも、ドクダミに埋もれたオモトを切らないように藪の中に手を突っ込んでドクダミだけを剪定ばさみで切るのも大変だと思う。

自分の父が植えた(手入れした)ものだから少しでも長く残しておきたいのはわかるんだけどね?

他人様の家は植木仕事するとお金になるから一生懸命やるけど、そういう事情の自宅ではそうもいかない。

「適当に」である。(気分だって乗らない)

話が変わるけど、実家の隣家の境界に「南天」が生えていて伸び放題だった。

あれは丈夫だから少し刈り込むかい?と母に言ったら

「あれを切ると激怒するのよ! お父さんが!」と。

どうせ「難を転ずる」から縁起がいいとかいうんだろ?と言ったらそうそう、それよ、それ、伸び放題のほうがみっともないし、邪魔なんだけどね?と。

うちにも玄関先に柊生えていて、庭には南天がある。

ついでに言うと苦しみを抜くという「椚(クヌギ)」もどんぐりから育てているけど今の所、柊で魔を払い、南天が難を転じさせて、クヌギが苦しみを抜いてくれた実感はまったくない!(笑)

クヌギとミズナラが伸びて日よけになったのでリビングがちょっと涼しいのはある。

日陰になったおかげでそこを歩くと蚊に刺され放題だけど。

その藪の中に南天も生えてるんだから「難を転じろよ! かゆいじゃないか!」と思うけど、僕も人の子なのであの赤い実がなるのを知ってるので(鳥が食べに来る)花を咲かせた南天はむやみには切れない。

枯れた柊の葉っぱで痛い思いをして指先がドクダミの臭いになってなんだかか自分が「魔」になって成敗された気持ちである。

まあ、実際そうなんだろうけど。

コメント

naochan
2021年7月21日7:53

色々な日本人の言い伝えであったり、
根拠があってのことやら、確かにこじつけ?と思うのもありますね。
我が家にもリフォームする前は、南天もオモトもありました。
今は、ハテ?だんなさんの管轄なので、解りません、笑

マサムネ
2021年7月21日9:11

naochan

家が立った時の流行りですかね? 今日も手の届くところだけドクダミの剪定をしますかねえ?(乗り気じゃない) オモトなんて植わってる家見ませんけどねえ?

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