怒りの炎に心が包まれている状態ではまともな文章がかけないばかりか、その炎の飛び火で他人様へ悪い言霊を飛ばしてしまうだろうと書くことを意図的に止めて考えていた、マサムネです。
まず、事の発端は「箱根駅伝」の沿道応援の人たちですね。
ざっくりとクリスマス、年末にかけての数字が先日の緊急事態宣言の辺りででたと考えると、駅伝応援クラスターというのがそろそろ出るのではないかと思ったりもします。
ナベツネの読売の報道(放送)のあり方も問題があるようにも思えます。(中曽根さんの旧知恵袋)
テレビのどこかに必ず「沿道での立ち止まってのの観戦、応援は止めてください」と赤字で四六時中出していればよかったと思いますね。
私はあまり人様にバカという言葉を使いたくないのですが、沿道で応援していたのが沿線に住む住人だったすれば、それはもう都民の恥、神奈川県民の恥です
つまり、バカの極みですね。
福袋も買い求めず、沿道にも行かず、おとなしくしてる人がバカをみてしまう。
何故、言うことを聞けないのか?!と。
ああいう輩に効果的に動いてもらう策をこの休んでいる間ずっと考えていました。
「バカは死ななきゃ治らない」という結論に至りました。
もし、私が専制君主であったならもう、沿道の人民は現行犯で逮捕して銃殺刑です。
国家というのは国民と政府が一体となって崇高な目標に到達する運命共同体です。どちらかがかけてもいけない。
政治家はいくらでも変わりがいるけど、人民、国民にはすべて尊い使命があり、誰一人としてかけてはならない!と僕は今まで信じてきました。
自由なこととやりたい放題なのと、好き勝手やっていいということは違います。
我々に与えられている自由というのは形式上の自由であってそれは国家の定める法律によって規定されている言ってみれば作られている自由です。
なので法律で政権を批判したら絞殺刑!という法律ができたなら 政権を批判した人から首をくくらないといけなくなってしまう。(首に縄まで行かなくても隣国に似たような処置をしてる元共産主義の見た目だけ資本主義国家がありますが)
そういう恐れは我々の国には今はないです。
ただし、政府やそのた運営管理者などが言ったことは守る前提で様々な事がなされているのだと思います。(罰則はないが、人々の良心に問う行動抑制)
自分ひとりぐらいいいだろう 私がやったって変わらないから一緒だよ何ていうのは止めていただきたい。
現行でそういう人たちを罰する法律も仕組みもありません。
私の脳みそでは怒りを抑制させてなんとかここへ戻すのが精一杯です。
今月、私は帰郷をせずにおとなしくしてることを決めました。
仕事であり、行かないと不便になったりもします。
それでも、持病を抱える老いた両親に万が一感染させたら?と思うと、数字が落ち着くまで県をまたいだ移動を控えるのがいいだろうと。
何も考えてない人は、立ち止まって考えてみて欲しい。
それは本当に今でないと駄目なのか?(駅伝の応援とか成人式への参加とか)
どこもかしこも実利主義に走っていたらただでさえ足腰の弱っている国が崩壊します。
年金ぐらしの老人の方々のお金だって若者が働いているから貰えるのであって、その若者に働いて貰えないと支給額だって減るはずです。
小学生には小学生なりの、中高生、大学生にはその年令に応じた対策や考え、価値観があるでしょう。
もちろんグラグラと揺れたゆとり世代や脱ゆとり世代などという複雑な教育環境の中で育ったデリケートな人たちもいるでしょう。
私達のように競争環境の中で勝ち抜けないのは負け犬だと教え込まれた世代だっています。
教育が我々の道徳観や価値観をある程度洗脳したのは否めないにしても我々の頭は自ら考え、律する能力が備わっているはずです。
すべての世代、すべての立場の方で共有して考え、行動できたならこんな宣言がでなかったのに残念だと思います。
我が、小田原の名君北条早雲公はこんな言葉を残しました。
「法律は少ないほうが民は暮らしやすい」と。
政府やその他の団体などに決められてから動くのは犬畜生よりも劣るんです。(犬好きの方、これはことばのあやです)
我々は知恵と頭脳を持った賢い生き物であると私は信じています。
罰則が決まってから行動するのではなく、自ら考えて動ける。
世界中の人々がそうあることを願っています。
まず、事の発端は「箱根駅伝」の沿道応援の人たちですね。
ざっくりとクリスマス、年末にかけての数字が先日の緊急事態宣言の辺りででたと考えると、駅伝応援クラスターというのがそろそろ出るのではないかと思ったりもします。
ナベツネの読売の報道(放送)のあり方も問題があるようにも思えます。(中曽根さんの旧知恵袋)
テレビのどこかに必ず「沿道での立ち止まってのの観戦、応援は止めてください」と赤字で四六時中出していればよかったと思いますね。
私はあまり人様にバカという言葉を使いたくないのですが、沿道で応援していたのが沿線に住む住人だったすれば、それはもう都民の恥、神奈川県民の恥です
つまり、バカの極みですね。
福袋も買い求めず、沿道にも行かず、おとなしくしてる人がバカをみてしまう。
何故、言うことを聞けないのか?!と。
ああいう輩に効果的に動いてもらう策をこの休んでいる間ずっと考えていました。
「バカは死ななきゃ治らない」という結論に至りました。
もし、私が専制君主であったならもう、沿道の人民は現行犯で逮捕して銃殺刑です。
国家というのは国民と政府が一体となって崇高な目標に到達する運命共同体です。どちらかがかけてもいけない。
政治家はいくらでも変わりがいるけど、人民、国民にはすべて尊い使命があり、誰一人としてかけてはならない!と僕は今まで信じてきました。
自由なこととやりたい放題なのと、好き勝手やっていいということは違います。
我々に与えられている自由というのは形式上の自由であってそれは国家の定める法律によって規定されている言ってみれば作られている自由です。
なので法律で政権を批判したら絞殺刑!という法律ができたなら 政権を批判した人から首をくくらないといけなくなってしまう。(首に縄まで行かなくても隣国に似たような処置をしてる元共産主義の見た目だけ資本主義国家がありますが)
そういう恐れは我々の国には今はないです。
ただし、政府やそのた運営管理者などが言ったことは守る前提で様々な事がなされているのだと思います。(罰則はないが、人々の良心に問う行動抑制)
自分ひとりぐらいいいだろう 私がやったって変わらないから一緒だよ何ていうのは止めていただきたい。
現行でそういう人たちを罰する法律も仕組みもありません。
私の脳みそでは怒りを抑制させてなんとかここへ戻すのが精一杯です。
今月、私は帰郷をせずにおとなしくしてることを決めました。
仕事であり、行かないと不便になったりもします。
それでも、持病を抱える老いた両親に万が一感染させたら?と思うと、数字が落ち着くまで県をまたいだ移動を控えるのがいいだろうと。
何も考えてない人は、立ち止まって考えてみて欲しい。
それは本当に今でないと駄目なのか?(駅伝の応援とか成人式への参加とか)
どこもかしこも実利主義に走っていたらただでさえ足腰の弱っている国が崩壊します。
年金ぐらしの老人の方々のお金だって若者が働いているから貰えるのであって、その若者に働いて貰えないと支給額だって減るはずです。
小学生には小学生なりの、中高生、大学生にはその年令に応じた対策や考え、価値観があるでしょう。
もちろんグラグラと揺れたゆとり世代や脱ゆとり世代などという複雑な教育環境の中で育ったデリケートな人たちもいるでしょう。
私達のように競争環境の中で勝ち抜けないのは負け犬だと教え込まれた世代だっています。
教育が我々の道徳観や価値観をある程度洗脳したのは否めないにしても我々の頭は自ら考え、律する能力が備わっているはずです。
すべての世代、すべての立場の方で共有して考え、行動できたならこんな宣言がでなかったのに残念だと思います。
我が、小田原の名君北条早雲公はこんな言葉を残しました。
「法律は少ないほうが民は暮らしやすい」と。
政府やその他の団体などに決められてから動くのは犬畜生よりも劣るんです。(犬好きの方、これはことばのあやです)
我々は知恵と頭脳を持った賢い生き物であると私は信じています。
罰則が決まってから行動するのではなく、自ら考えて動ける。
世界中の人々がそうあることを願っています。
コメント
ひとくくりにして欲しくないですよね。今の国民は「マスゴミ」に洗脳されしきって
いるから、自分の頭で考えることをしないんですよね。ウチも基礎疾患2つ抱えてい
るので、あまり出歩かない事にしてますが(医者と買い物と事業所は仕方がない)。
ちなみに、ウチはツイッターにて怒りをぶちまけています。
至極ごもっともなことです。
私も、怒ってます。 恥知らずが多いことに!
マサムネジャーナルが更新されないので心配していました。
なるほど。マサムネさんの論調。たしかにその通りかもしれないですね。
昨日佐野へお参りに行きましたが、それ以外は自粛しています。
病院は別ですが、その病院へ行くのも、毎日夫が都内の人混みで仕事をしているのも怖いです。
私も、この人達は、どこの人?と思いながら見ていました。
なかなか、賢くなれないデスねぇ。
ソレが証拠に、どんどん、感染してしんどい思いをされています。
自業自得ならいいのですけど、そうでない時には、お気の毒でしか無いです。
その上、まき散らす事になっているのに、、、、、。
政府に対するお怒りとやりたい放題の人たちに対するお怒り、
我が家では、しょっちゅうです。
新年早々、怒りのボルテージが上がってしまいましたね。
果たして今年はどのような一年となるのか。とても心配です。