今まで一話も見てないのに、最終回だけ見た。

そもそも、タイムトリップ(スリップ)は存在しないし、時間を指定して飛べるなんて都合のいいことはない、という議論は置いといて。

心が旅立った未来(スタート)の世界には戻れずに心のいないものとして船(時間軸)は進んでいく。

心が向かった過去では心の登場で心の知ってる未来とは別の未来に変わったけど、戻らずにいると同じ時空に同じ生命体が存在するとタイムパラドックスが生じてしまうのでその回避のために心は・・・・・・。(ネタバレなので伏せます)

で、ここが本質です。

心が旅立った未来では父親が殺人の冤罪で服役してるまま時間は進んでいくはずです。(旅立った過去とは別のもの)

心が到着した過去はお腹の中の自分が生まれるとタイムパラドックスが生じてしまうので(父は全部事実を知った上で30年経過するって辛いな)あのような結末になる。

現代の法律では小学生が大量殺人を犯したときの罰則や懲役刑については書かれていない。

あんまり書きたくないけど、ネバダちゃんのように、人を殺してしまう案件はすくないけど、ある。

僕はラストを見た跡で、かわぐちかいじのジパングににてるなと思った。

時空がねじれてジェットコースターがクルッと地上で一回転するように回って戻ると、事実を知ってる人はたった一人、というパターン。

テセウスの船もジパングも時空の海を航海する「船」に見立てた。

僕の人生の転機はどこだったろう?

父が遠い南海の海での仕事の時、一緒に出かけてサポートとお金のやりくりをしていたら(私名義でのローンの契約)どうだったろうか?

同じ時間軸に戻れたとしたら実家の場所に行ったらトイレ位は水洗になってたかもしれない(笑)

いち早く、社会的適正を身につけていたなら(これは組織適正力か?) 今の家はでかいコンクリート製になっていて、ひたすら、郵便を配達する人生を送っていたかもしれない。

そもそも、故郷にいた女性の誰かの気まぐれで、もしくは生き遅れかけの従兄妹とくっついていたら僕は社会のおかしな部分など気にせずに文字を書き記すこともせずにメカニックになって、茨城から一歩も外へ出ず暮らしていたかもしれない。

多分僕は小田原に来なかったらPCで故郷の友達と遊ぶということをしなかった。

だからタッチタイプ能力も、ネットサーフィン能力も身につかなかった。

もし、そうであったら、ここで知り合った貴重な友人の人たちと年齢、性別を越えた付き合いもしてなかったはずである。

多分、相手の立場や環境を踏まえた上での発言や物の考え方など一ミリも学習しなかったと思う。

ありえない(タイムスリップなどの)ことを仮定した上でそれを元に作られるものがたり(絵空事)が結構好きだったりする。

もし、僕に東出くらいの身長と役者としての立場と、妻としての杏さんがいたらやっぱり唐田えりかを口説いてやりまくっていたと思う。

唐田えりかだけでなく、高橋ひかるも口説いていたかもしれない。

縁があれば野口啓代や紀平梨花も口説いていて全部文春にとられていてね?

「マサムネさんはどなたが好きなんですか?」

と聞かれたら

「そんなの答えられるわけねえべよ! それぞれにそれぞれの良さがある! 一言でいえるわけない!」

と逆ギレしたかもしれない。

でも、僕の身長が190くらいでスリムで髪の毛フッサフサでイケメンだったとしたらそれはすでに私ではないけどね?(笑)

ただ、もし、僕が東出なら杏で十分で、杏と歴史談義をして毎日楽しく暮らしてると思うけどね? 

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