ベルギーでパラリンピックでメダルを取った女性が、安楽死の選択をして亡くなられたという。

14才で病気が分かって、40歳まで。

痛かっただろうね? 辛かっただろうね?

死んだあとのことは僕らにはわからないけど、おそらく生きてるほど苦しまないのではないか?とは思う。(そうでないと死にがいがない)

親も、出生地も、選べず「運」で僕らは生まれてくる。

ついてなければ親からのDVで大人になる前に死んでしまうかもしれない。

家に恵まれていても、青信号で自転車に乗せられて居ても暴走上流国民がプリウスで突っ込んできて死んでしまうかも知れない(逮捕はまだ?)

小学校を出ても、中学校や、高校でいじめにあって自殺してしまうかも知れない。

無事、おとなになって、例えば教職員採用試験に受かって採用されても「神戸ルール」の所で目にカレーを入れられるという卑劣な仕打ちを受けるかも知れない。

北海道に生まれるのも、東京23区に生まれるのも、長野に生まれるのだって、大東島に生まれるのも全部運だ。

けど、運が悪ければ東京に生まれても老害によって保育園の設立反対にあって、結局、保育園すらいけない人生を送るかも知れない。(年寄りが自らの権利だけを主張して自分たちの年金を収めてくれる若い世代を考えなくなったらオシマイだ)

古い世代は新しい世代の意見を聞き入れず、世代間の溝は深まり、おそらくそのうち「自治」なんてものは崩壊する。

僕は安楽死したアスリートの後ろに未来に希望を見いだせない今の世代の影を見た気がする。

「苦痛」と「絶望」しかないのに更に生きろというのか?

治らない病気(肉体)と治しようのないシステム(社会)の後ろにあるものは同じなのではないだろうか?

けど、僕はだからといってかんたんに死んだりはしない。

僕の世代に継がれるべき悪習は僕の世代で切ってしまえば子どもたちの重荷はかるくなる(はず)と思っている。

子供に墓守をさせるな、俺の骨は散骨して寺になんかいれるな、少なくとも、死んだ俺のために坊主にウン十万も払ってお経を唱えて何てくれるな!と。

最初から持ち家で生まれた人は持ち家の近所の人から差別される苦しさなんか知らないと思う。

逆に借家住まいだった友人が持ち家になれば自分のことのように喜べるのではないだろうか?

法律上、平等に生まれても、チャンスは均等じゃないんだよね?

様々な世代で感じ方、考え方、価値観が違う中で、常に「落とし所」を考えていけばいいのだとは思う。

ただ、進行性の病気がそれ以上良くならないように、社会の腐った制度というのはなかなか好転はしない。

日本では認められていないけど、確実に悪くなるしかない、という病気の場合、死ぬ時期を選択する権利があってもいいのかな?と思う。

病気の研究は医学がやるけど、じゃあ、社会の病気って誰が治すの? 多分、身体に起こる病気(見える病)より、よっぽど、人々が妬み、いがみ合い、貶めてスカッとしている社会の病のほうが難治である。

亡くなった人によかったね、というのは不謹慎かも知れないけど、自分の希望通りに死ぬ権利を主張して通って良かったと思う。

天国に行って車椅子も要らない生活を満喫して下さい。

そしていつまで経っても勉強せずに堕落し続ける現世の愚かな人間どもを見て笑って下さい。


コメント

まるこ
2019年10月24日17:11

深く考えさせられました。

マサムネ
2019年10月25日0:15

まるこさん

僕の切り口は結構異端ですので異見は切り捨てられることも多いです。(意見ではないです) 小学校の役員会でも、自治会の組長会議でも切り捨てられました。経験してないものに対して、推測ではあまり物を言いませんが、自分が受けた体験についてはバッチリ意見を添えて書いてしまいます。 某Mの付くSNSではアカウントを消しました(会社から圧力がかかった)それでも、まだ、我々は言いたいことを自由に書き記し、他人様の目に映すことが自由にできます。 だから西の大陸の某赤い旗の国よりは幸せなんだろうな?と思います。 持っているものは更に持ちたいと思うし、持ってない人は持ちたいと思う。 さて、人の欲を止めるものはないのかしら?と結構真面目に考えます。 何度か書きましたけど、人々が一切争わず、いがみ合わず、殺し合わず、向上心も損ねず、地球も保護して生きていくすべはないのでしょうかね? うーん。

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