・・・・とタイトル書いたあとで僕にとってストレスのない家はどっちなんだろう?と思ってしまった・・・・。

人というのは他人様によって成長できるような気がする。

東名の殺人事件は山盛りのニュースに隠れてしまったけど、やつは死刑でもいいと個人的には思う。

で、あのあと、休息にドライブレコーダーが取り付けられて、自己防衛のためにその市場が動いた(と思う)

「警察は人が死なないと動かない」というけど、正にそのとおりだと思った。

僕は実家からこっちに戻る時、東名の三車線の一番左を通るように心がけている。

命のなげうって(結果的に)世の中に問題提起をしてくれた方が亡くなった上を通過するなんて僕にはとうていできないので。

亡くなったと言えば、母の両親の墓参りだけ行けた。

寂しい話だけど、栃木の田舎で本家に金銭的余裕がないので周りの家が四角い石の墓石が(○○家墓)置いてあるのにそこだけ花を差す簡易プラスチック花瓶しかない。

見栄というほどのものでもないけど、せめて小さくてもいいから四角い墓石くらい建ててあげたい。もちろん、線香を置く台なんてものもない(涙)

道の駅で買った花と汲んだ水を持っていったのだけど、なんと! 電気メーターとポンプがついて井戸水が使えるようになっていた。(飲めるのかな? お墓の井戸水ってどうなんだろ?)

花挿(仮称)には水は一滴もはいってなくて小山の叔母さん(母の妹)が差した花がしおれて二本入っていた(水くらい入れていこうよ)

僕は車に積んであった焼酎の4Lのボトルに水を汲んでいったのだけど、更にそれでもう一本井戸水を汲んで花挿に水をいっぱいにして(都合花挿だけは8本くらい刺さっている)壊れてないのを除いてそこへ道の駅で買った花を均等に分けて差し、手を合わせて来た。

そのね、井戸の水の冷たいこと冷たいこと。お墓じゃなくて人の目もなかったら上から水を被りたいくらい暑かった。

今回、珍しく二泊した。

僕は夏休みだと思って帰ったけど、肉体的にはまた変なところが筋肉痛である(笑)

色々な場所へ行き、色々なものを食べた。

近所の様々な問題の話も聞いた。

お金と人手のあるところは今の世代まではなんとかなるだろう。

ただ、それがないところはこうやって個人の家が崩壊して、次の世代もない家はその代で終わってしまうのだろうな、と感じた。

母がボソっと言った。

「何が幸せで何が不幸かはわからないよね」と。

持ち家だけど、庭木や雨樋の修理もできず見た目ボロボロの一軒家に住んでいて結婚してない娘さんの車だけピカピカの新車。

借家だけど一応人手はあり、金はないけど、なんとか修理して住んでる、車も割と古いけど、子供三人皆「一応」結婚してそれぞれに子供も授かっている。

やっぱり帰るたびに色々と考えさせられる帰郷だった。

コメント

アミ
2019年8月13日18:10

実家があるマサムネさんが羨ましい!
もう、私には、実家がありません。
92歳になる義姉は、我が家を実家と呼んで嬉しそう…。
弟夫婦が頑張って、残しているもの…。(-_-;)
私、少しはいいこと、してるよね~。(笑)

マダムM
2019年8月13日18:40

私の父は転勤族で下関とか焼津に住んだけど、その時だけ。現在実家は川崎だけど私が結婚してからのマンションなので、「ふるさと」と呼べる場所がありません。先祖代々が住む場所で育った人が羨ましいですよ。

マサムネ
2019年8月13日22:09

アミさん

私の実家は屋根が歪んだ長屋です(笑)五人で住んでいたときは車が四台停められたのですが、今は無理やり押し込んで三台です(中型トラック、軽、コンパクトカー) アミさんは今住んでるところが(お子さんと)実家では?  今の時勢中々2(3)世代で暮らすのは大変です。ご立派ですよ~!

マサムネ
2019年8月13日22:13

マダムさん

私は小さい頃、引っ越しがしたくてたまらなかったです(汗) あの、転校生の挨拶とか特別感を味わってみたかったです。父は数えくれないくらい職を変えましたけど居は修理工場の2階に居候したあと、今の借家ぐらし。母の兄は先祖代々の土地(小山市)で暮らしてますが、両親は今の家に50年くらいですね。ち、築65年くらいかしら(滝汗) 生家があるのと、水洗トイレがあるのと、僕は生家が無くてもトイレが水洗のほうがいいかな? 人ってないものねだりなんでしょうね。

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