知らないよりは知ってるほうがいい。
2019年4月18日 エッセイ僕は無知なことをバカというのであればバカであった。(ま、それ以外でもバカだけど)
やり方を知らず、やる意味を理解せず、おとなになり、目先の収入だけで10代20代をほぼ流れに任せて過ごした。(勿論有意義なこともあった)
ひょんなことから公務員試験を受けたのだけどほとんどが不合格の通知だった。
今もそうだけど必要だと思うときには手遅れのことが多い人生です。
オードリーの春日が公開プロポーズをしたとネット上に上がっていた。
好き嫌いはあるだろうけど、何を隠そう彼らは中学受験して付属に入り、春日は一般受験で日大に入っている。
方向性の違いがあれど、私立というのは機会とお金に恵まれないと入れない。
僕の同級生の9割以上は公立の中学に行き、高校から私立に行ったのだって学年に二人いるか居ないか?(ひとクラス40人 一学年五クラス)
その学年から二十歳になれずに他界したのが四名余り、多分そこから更に20年経っていたら先に旅立った同学年の人は増えていると思う。
元クラスメイトの家が火事でニュースに出ていた。
無事に逃げていて欲しいな(生きていて欲しいな)と思う僕の気持ちとは逆に遺体で発見されてしまった。
人生(時間)は有限だ。
とことんまでいってしまうと自分の命を使って「できること」というのは限られている。
だから早いうちに質の良い(自分にあった)教育を受けるというのは時間効率という点でも良い。
中学受験至上主義を振りかざして格差社会に切り込みたいわけではない。
「受ける権利」は平等だけど、質は自ら(多くが親)が選べる(選べた)のだ。
最近叫ばれる「格差」なんて別に今に始まったことじゃない、昔からあった。
ただ、貧乏な家が昔は割と多くあった。
四畳半と六畳にトイレと小さい風呂と台所がついてる平屋の借家。
そういう家に一家4-5人、多いところでは6人が住んでいたりした。
ただ、僕らの前の世代の人の多くは必死に頑張ってそういう家に住まなくなっただけだ。(ええ、家はまだそういう実家です)
実家に戻って同じ町内にあったそういう平屋の借家があったところを散歩する。
ほぼすべて当時の建物は建っていない! 壊されて近代的なアパートになっていたり、別の家が建っていたりする。
話を戻そう。
小さい家から一軒家を建てるやり方、(ま、多くが会社員になってローン組めば建てられる)やそれ以外のやり方、不動産の世界のお金の流れや経年による劣化なんかは自動車のそれと一緒で肌で学んだ。
それと同時に「組織」も劣化し、衰えていくことを知る。
僕は僕の人生で学んだ色々なことを僕の人生が豊かになるために使うには遅かったようにも思える。
ただ、知っていれば困ってる人にアドバイスすることができる。
どうでもいいことかもしれないけど、亡くなった妻の祖父、僕の実父、そして息子の左手は「百握り」だ。
これだって知っていれば女の子の手を触って手相を見て話の「タネ」にはなるかもしれない。
どうでもいいことからどうでも良くないことまで人生の殆どは知らないより、知っていたほうがためになることが多い。
ただし、人の辛い目に合ったは知らないほうがいいかもしれない。
例えば、普通に小田急線に乗って通常料金を払えば新宿まで着く。
けど、小田原で株主優待券を安く買えたら200円くらい安く行けるかもしれない。
ついでにいうと、お金を払って特急に乗ればお金の対価として指定席とのんびりとお酒を飲みながら新宿に向かうことができる。(時間とお金のつかいかた)
かの政宗公は家臣に「ケチと倹約は違う」と言った。倹約をして、使うべき時に使わなければ意味がないと。
同じお金だって「効果的な使い方」があることを知ったのはつい最近だったんだよね?(滝汗)
ついでにいうと人へのものの頼み方とか使い物(お土産とかの物品)の使い方だって割と勉強だ。
教科書で学ぶ勉強だけで人生の勉強は終わらない。
社会で生きていくために様々なしきたりやルールがあってなるべくそれを踏みにじらないように生きているけど、無知というどろんこの脚で気づかないうちに踏み荒らしちゃってるのは僕だったりする。
やり方を知らず、やる意味を理解せず、おとなになり、目先の収入だけで10代20代をほぼ流れに任せて過ごした。(勿論有意義なこともあった)
ひょんなことから公務員試験を受けたのだけどほとんどが不合格の通知だった。
今もそうだけど必要だと思うときには手遅れのことが多い人生です。
オードリーの春日が公開プロポーズをしたとネット上に上がっていた。
好き嫌いはあるだろうけど、何を隠そう彼らは中学受験して付属に入り、春日は一般受験で日大に入っている。
方向性の違いがあれど、私立というのは機会とお金に恵まれないと入れない。
僕の同級生の9割以上は公立の中学に行き、高校から私立に行ったのだって学年に二人いるか居ないか?(ひとクラス40人 一学年五クラス)
その学年から二十歳になれずに他界したのが四名余り、多分そこから更に20年経っていたら先に旅立った同学年の人は増えていると思う。
元クラスメイトの家が火事でニュースに出ていた。
無事に逃げていて欲しいな(生きていて欲しいな)と思う僕の気持ちとは逆に遺体で発見されてしまった。
人生(時間)は有限だ。
とことんまでいってしまうと自分の命を使って「できること」というのは限られている。
だから早いうちに質の良い(自分にあった)教育を受けるというのは時間効率という点でも良い。
中学受験至上主義を振りかざして格差社会に切り込みたいわけではない。
「受ける権利」は平等だけど、質は自ら(多くが親)が選べる(選べた)のだ。
最近叫ばれる「格差」なんて別に今に始まったことじゃない、昔からあった。
ただ、貧乏な家が昔は割と多くあった。
四畳半と六畳にトイレと小さい風呂と台所がついてる平屋の借家。
そういう家に一家4-5人、多いところでは6人が住んでいたりした。
ただ、僕らの前の世代の人の多くは必死に頑張ってそういう家に住まなくなっただけだ。(ええ、家はまだそういう実家です)
実家に戻って同じ町内にあったそういう平屋の借家があったところを散歩する。
ほぼすべて当時の建物は建っていない! 壊されて近代的なアパートになっていたり、別の家が建っていたりする。
話を戻そう。
小さい家から一軒家を建てるやり方、(ま、多くが会社員になってローン組めば建てられる)やそれ以外のやり方、不動産の世界のお金の流れや経年による劣化なんかは自動車のそれと一緒で肌で学んだ。
それと同時に「組織」も劣化し、衰えていくことを知る。
僕は僕の人生で学んだ色々なことを僕の人生が豊かになるために使うには遅かったようにも思える。
ただ、知っていれば困ってる人にアドバイスすることができる。
どうでもいいことかもしれないけど、亡くなった妻の祖父、僕の実父、そして息子の左手は「百握り」だ。
これだって知っていれば女の子の手を触って手相を見て話の「タネ」にはなるかもしれない。
どうでもいいことからどうでも良くないことまで人生の殆どは知らないより、知っていたほうがためになることが多い。
ただし、人の辛い目に合ったは知らないほうがいいかもしれない。
例えば、普通に小田急線に乗って通常料金を払えば新宿まで着く。
けど、小田原で株主優待券を安く買えたら200円くらい安く行けるかもしれない。
ついでにいうと、お金を払って特急に乗ればお金の対価として指定席とのんびりとお酒を飲みながら新宿に向かうことができる。(時間とお金のつかいかた)
かの政宗公は家臣に「ケチと倹約は違う」と言った。倹約をして、使うべき時に使わなければ意味がないと。
同じお金だって「効果的な使い方」があることを知ったのはつい最近だったんだよね?(滝汗)
ついでにいうと人へのものの頼み方とか使い物(お土産とかの物品)の使い方だって割と勉強だ。
教科書で学ぶ勉強だけで人生の勉強は終わらない。
社会で生きていくために様々なしきたりやルールがあってなるべくそれを踏みにじらないように生きているけど、無知というどろんこの脚で気づかないうちに踏み荒らしちゃってるのは僕だったりする。
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