お寺の副住職だった息子さん(保育園の副園長も兼務)が37歳の若さで旅立たれた。
死がわかっていたのかどうかは僕は知る由もないけど、会葬案内には「故人のリクエスト」と書かれ、生演奏でその曲が流れていた。
お寺と保育園の跡継ぎを失った境内と園庭にはテントが張られ、受付所の脇に故人の思い出が見られるようになっていて簡単な飲み物と食事も取れるように配慮されていた。
亡くなった方には申し訳ないけど、墓地の脇に咲いた枝垂れ桜が見頃で、バイオリンとピアノの音楽が流れ、ここは桃源郷かと勘違いするほどであった。(勿論そこはお寺であり、園庭だから)
何十年も小さい子供を(大きい子供は保育しないし、子供は大きくなったら大人だ)保育して小学校へ上げてきた(うちの子供もお世話になった)ご両親がこんな形でご子息を失ったのかと思うとその胸の痛みは計り知れない。 ただ、仏門に入られているのでとても強い方なのかもしれない。
ここでも何度も書いてるけど僕は死んだらそこら辺に(できれば海に)散骨しちゃってくれと言ってある。
祖先を敬い、感謝することは大切だけど、その墓参や墓守が子孫の足かせになるのは違うよな?という考えからである。
僕の両親は茨城のほうに墓を買ってある(父の実母が眠っている)父の父と義母は東海村に墓があるという。
母の両親は実家の側にお墓があるけど、家をでているので母はおろか僕もそこに入れない(もちろん)
ま、だから家は買えなくても墓は買ったんだろうね?
話を僕に戻そう。
小田原には2つお墓があり、岳父の家系のお寺と岳母の両親の眠るお寺(今回ご子息を亡くされたお寺)とあり、岳父母は海に近いお墓に、妻は祖父母の眠る墓に入りたいと言っている。(死んでからも俺と一緒にいたいとは言わないのがミソだ)ついでにいうと、岳母には妹夫婦が居てその二人はどこのお墓に入るのかは僕は知らない。今回のお寺ともう一つのお寺は同じ宗派なので2箇所の墓の維持が厳しくなればどちらかを残し、どちらかを墓じまいするのかもしれない。
禁句ではないけど、うちの子らに大変な墓の維持をさせるわけにいかないし、墓守するために育てているわけではないので、そういう話題は絶対に出さないし、言わない。思っていてもノーコメントを貫く。
毎年お布施を出せて、潤沢な資金が手元にあり、時間も暇もあればね? 法事で来られて手ぶらで返すわけにも行かないし、それなりの供養がいるからね。
日本の寺・檀家制度についてはここでは書かない。各寺で違うし、宗派でも違うと思うので。岳父を見てると檀家総代になったりすると身体に鞭打って尽力してるのは見て取れる。(大変そうだ)
で、僕は僕の死は生命機構の終末であり、その遺骸は抜け殻だと思っている。
魂だけの存在があるのかもしれないし、なにもない「無」なのかもしれない。それは死んでみないとわからないし、死した後、ここに記すことも出来ないと思う。
けど、死んだ後で生きてる人の足かせになるのはゴメンだと思う。
それと一応皆さんとお付き合いをさせてもらっているけど、死んだ後まで一緒にいたいとは思わない(骨だけど)
例えば近江さんや剛力さんが亡くなって粉々の骨になって遺言で僕の骨と混じり合いたい!と言うならどうぞご自由にと思うけど(そんな変態死後プレイは聴いたこともない)そうでないなら僕の骨はただの骨です。海にでもまいて「はい!おしまい!」のほうが性に合っている。
あまり書かないけど僕は元来遊牧民のような人間なのだ。定住して腰を据えて何かをするなんて本当は苦痛なのです(笑)
世界中のありとあらゆる風景を見てみたいし、そこの食べ物や美味しいお酒や綺麗な女性とおしゃべりしてみたい(笑)
まあ、そういうのは現世では叶いそうにないので(現状では)死んだら魂だけの存在になって世界中を見るぐらいはしてみたい。
石の上にも三年というので小田原にも10数年腰を据えて「修行」している。
話が戻るけど、37歳で他界された彼は現世での修行は終わり、仏の元での修行(死んだ後はどうなるのかわからない)?になるのかな?
とにかく、僕はこうやって今日も生きて、その胸のうちに秘めるささやかな思いを世界の片隅に散骨するようにパッと書きなぐることができる。
幸せと言われれば幸せなのかもしれないけど、どちらかというと明石家さんまの言う「生きてるだけでまるもうけ」の教え(?)に近い心境だ。
僕らは昨日、お寺を後にするとき、枝垂れ桜の下で一同深々と合掌しながらお辞儀をしてその場を後にした。
僕より後に生まれたのに先に旅立ったその魂のご冥福をお祈り申し上げます
合掌
死がわかっていたのかどうかは僕は知る由もないけど、会葬案内には「故人のリクエスト」と書かれ、生演奏でその曲が流れていた。
お寺と保育園の跡継ぎを失った境内と園庭にはテントが張られ、受付所の脇に故人の思い出が見られるようになっていて簡単な飲み物と食事も取れるように配慮されていた。
亡くなった方には申し訳ないけど、墓地の脇に咲いた枝垂れ桜が見頃で、バイオリンとピアノの音楽が流れ、ここは桃源郷かと勘違いするほどであった。(勿論そこはお寺であり、園庭だから)
何十年も小さい子供を(大きい子供は保育しないし、子供は大きくなったら大人だ)保育して小学校へ上げてきた(うちの子供もお世話になった)ご両親がこんな形でご子息を失ったのかと思うとその胸の痛みは計り知れない。 ただ、仏門に入られているのでとても強い方なのかもしれない。
ここでも何度も書いてるけど僕は死んだらそこら辺に(できれば海に)散骨しちゃってくれと言ってある。
祖先を敬い、感謝することは大切だけど、その墓参や墓守が子孫の足かせになるのは違うよな?という考えからである。
僕の両親は茨城のほうに墓を買ってある(父の実母が眠っている)父の父と義母は東海村に墓があるという。
母の両親は実家の側にお墓があるけど、家をでているので母はおろか僕もそこに入れない(もちろん)
ま、だから家は買えなくても墓は買ったんだろうね?
話を僕に戻そう。
小田原には2つお墓があり、岳父の家系のお寺と岳母の両親の眠るお寺(今回ご子息を亡くされたお寺)とあり、岳父母は海に近いお墓に、妻は祖父母の眠る墓に入りたいと言っている。(死んでからも俺と一緒にいたいとは言わないのがミソだ)ついでにいうと、岳母には妹夫婦が居てその二人はどこのお墓に入るのかは僕は知らない。今回のお寺ともう一つのお寺は同じ宗派なので2箇所の墓の維持が厳しくなればどちらかを残し、どちらかを墓じまいするのかもしれない。
禁句ではないけど、うちの子らに大変な墓の維持をさせるわけにいかないし、墓守するために育てているわけではないので、そういう話題は絶対に出さないし、言わない。思っていてもノーコメントを貫く。
毎年お布施を出せて、潤沢な資金が手元にあり、時間も暇もあればね? 法事で来られて手ぶらで返すわけにも行かないし、それなりの供養がいるからね。
日本の寺・檀家制度についてはここでは書かない。各寺で違うし、宗派でも違うと思うので。岳父を見てると檀家総代になったりすると身体に鞭打って尽力してるのは見て取れる。(大変そうだ)
で、僕は僕の死は生命機構の終末であり、その遺骸は抜け殻だと思っている。
魂だけの存在があるのかもしれないし、なにもない「無」なのかもしれない。それは死んでみないとわからないし、死した後、ここに記すことも出来ないと思う。
けど、死んだ後で生きてる人の足かせになるのはゴメンだと思う。
それと一応皆さんとお付き合いをさせてもらっているけど、死んだ後まで一緒にいたいとは思わない(骨だけど)
例えば近江さんや剛力さんが亡くなって粉々の骨になって遺言で僕の骨と混じり合いたい!と言うならどうぞご自由にと思うけど(そんな変態死後プレイは聴いたこともない)そうでないなら僕の骨はただの骨です。海にでもまいて「はい!おしまい!」のほうが性に合っている。
あまり書かないけど僕は元来遊牧民のような人間なのだ。定住して腰を据えて何かをするなんて本当は苦痛なのです(笑)
世界中のありとあらゆる風景を見てみたいし、そこの食べ物や美味しいお酒や綺麗な女性とおしゃべりしてみたい(笑)
まあ、そういうのは現世では叶いそうにないので(現状では)死んだら魂だけの存在になって世界中を見るぐらいはしてみたい。
石の上にも三年というので小田原にも10数年腰を据えて「修行」している。
話が戻るけど、37歳で他界された彼は現世での修行は終わり、仏の元での修行(死んだ後はどうなるのかわからない)?になるのかな?
とにかく、僕はこうやって今日も生きて、その胸のうちに秘めるささやかな思いを世界の片隅に散骨するようにパッと書きなぐることができる。
幸せと言われれば幸せなのかもしれないけど、どちらかというと明石家さんまの言う「生きてるだけでまるもうけ」の教え(?)に近い心境だ。
僕らは昨日、お寺を後にするとき、枝垂れ桜の下で一同深々と合掌しながらお辞儀をしてその場を後にした。
僕より後に生まれたのに先に旅立ったその魂のご冥福をお祈り申し上げます
合掌
コメント
こんな悲しい事はないですね。私も謹んでご冥福をお祈りします。
今の私としては、兎に角母を見送ってという思いがあります。後の墓守より、私の義務として娘に迷惑をかけたくないと思ってます。
義母の葬儀の時は宝塚のCDをずっと流して貰いました。義母の希望で、私的には良いお式だったと思いましたよ。
これから桜が楽しみですね。
子供がお世話になったのですが、そのご子息がですのでかける言葉もありませんでした。 ただご供養なので軽く飲食して一晩寝て頭の中のイメージを文章に起こしました。 若いのに怒るようなこともなく、心の優しい悟りを開いた人のように穏やかな人でした。ありがとうございます。
ついこの間、お坊さんの修行を終えて晴れて自宅の所属になったと聞いています。亡くなった妻の祖父母のお経もあげに来てくれていました。 息子たちも保育園でお世話になったのですが、自分より若い、ミライのある人が先に行ってしまうの心に刺さるものがあります。お寺にはモクレンも植えてあって中々風流なお寺です^^ 音楽葬っていいですね、僕なら雨の日にショパンの「雨だれ」を延々と流していてほしいです(暗いな)コメントありがとうございます。