アサイチの書き方について
2018年11月26日 時事ニュース コメント (2)今朝のは少々ムカついた。
「女性の友情はハムより薄い」などとサブタイトルがついていた。
問題は中身ではなく「女性の」とついていたことと、中身が「女性女性ってうぜえよ!」と思ったこと。
環境の変化によって友達から連絡が来なくなったり、突然切れたりするのは男子にもあるよ!
という意。
怒りを抑え込んで言えば男女関係なく、結婚や子供の誕生やさらに子供の進学の違いによって疎まれたり、妬まれたり、職場で嫌がらせを受けたりするのは「女子だけじゃあない」
ただ、僕は当たり前のように結婚して(相手が居たので)子供ができて、(切迫早産だったけど)無事に生まれて、身体的には五体満足で育ち、なんとか上は中学生、下は小学校最後の学年まで来た。
実家に住んでいて、遊び歩いた友達たちも、就職したら仕事があるし、時間の都合がつかなくて不義理になったりもした。
それでも僕の場合、故郷を離れ、出ていってしまったので20年経過しようとする今でも、なんとか2.3人の友人知人はたまに飲みに行ったりお茶したりできる。
けど、高校まで同じで別の道を歩んでしまった友人Hは結婚式にも来てくれたりFBで繋がったりしたけど、年賀状の挨拶が来なくなり、手紙の返事もまったくこなくなった。(SNSの更新もメッセもない)
彼一人だけでいえば彼は僕と争った生徒会長選挙に勝ち、学校推薦をもらい大学で商業を学び、上場企業に勤め、ステップアップしてフリースクールの中核を担っている(と思う)
僕から見たら彼は「勝ち組」だけど、彼から見たら「結婚」「誕生」「育児」「進学」と彼にはない経験と地位をもってるのかもしれない。(共感要素がない?)
以前、たまたま母校で同じグループに居た友人と夏祭りで再会した。
「じゃあHを呼ぼう、Kも呼んでみよう!」と電話したけど、昔のようには集まらなかった。
見下すわけではなく、「結婚」「誕生」などはあるものにとってはなんでもないが、ないものにとってはそれはそれは得難い何かになり、コンプレックスになってしまうものなのかもしれない。
僕が務めていたドラッグストアでは僕は少数派の男子であった。
ほとんどの同僚のは母親であり、学区は違えどPTAなどの行事にも参加してるいわゆる普通の家だった。(一軒だけ高校から私立に行った家があったけど)
てなもんで受験の大変さを理由にシフトを替えて(管理職にちゃんと相談して)もちろん協力できるところには入って(腰を痛めていたけど)円滑な職場のコミュニケーションに努めた。
けど、妬まれていた(笑)
自慢に聞こえたら申し訳ないが、子供の小学校で中学受験するのは少数派でクラスに2人か3人いるか居ないかであった。
しかも、その中で受ければ入れる学校ではなく、更に上を六年で目指せる学校に入ったのは学年で3人くらいである。
しかも! 下の子も受験ですから終わらないですね~なんて言った日には同僚の妬みはすごかった(後になって知った)
まず、管理者を無視して「この曜日にでてきてくれない?」と直接言われた。
僕の雇用契約は会社と曜日と時間をしていていて(腰の養生のため)休みを入れないと腰が不具合を起こすのだ。
しかも! 同じ給料だけど僕だけ当たり前だけど、力仕事があった(笑)
ただ、それは同意の上で「力仕事専門」と契約していたので不満はないけど、逆側から見れば「マサムネさんだけ別の仕事したり、出勤日数がすくないのはずるい」と思われてもしかたないのかもしれない。(僕は契約優先だけど)
最終的に僕は両腕を痛め、力仕事で採用されたけど自分の求めるパフォーマンスも家の料理における効率化にも支障をきたす。という理由で退職した。
力仕事のできない倉庫番は要らないのだ。
僕が僕にとっての風当たりが強かったのだと知ったのは有志が開いてくれたささやかな送別会でのことだった。
仲間だと思っていた同僚は皆管理者に「マサムネさんにも同じ仕事をしてもらいましょう!」と突き上げていたらしいのだ(笑)
重い商品の納品がない日は僕が出勤してきても意味はないのだけど(バックヤードの整理を急がなくて良いという理由)納品のない日にも僕を駆り出そうとしていたのがよーーーく見えた。
宴会の会話の中で背筋が凍る思いだったのを覚えている(女子って怖いよ)
もちろん思考の方向性は男子と女子で差異があるかもしれない。
大きく言えば男子だろうが女子だろうが友情を感じやすい人もいれば感じにくい人もいる。
だから番組の看板として「女子の友情が~」なんて書かれていた事とやった内容において僕はとても違和感を感じたのである。
※本当は「やっぱり都内っていいよな? ブラマサムネ 駒場~東北沢周辺」を書こうと思っていたけど不意打ちパンチをくらったので内容を変更しました(笑)
「女性の友情はハムより薄い」などとサブタイトルがついていた。
問題は中身ではなく「女性の」とついていたことと、中身が「女性女性ってうぜえよ!」と思ったこと。
環境の変化によって友達から連絡が来なくなったり、突然切れたりするのは男子にもあるよ!
という意。
怒りを抑え込んで言えば男女関係なく、結婚や子供の誕生やさらに子供の進学の違いによって疎まれたり、妬まれたり、職場で嫌がらせを受けたりするのは「女子だけじゃあない」
ただ、僕は当たり前のように結婚して(相手が居たので)子供ができて、(切迫早産だったけど)無事に生まれて、身体的には五体満足で育ち、なんとか上は中学生、下は小学校最後の学年まで来た。
実家に住んでいて、遊び歩いた友達たちも、就職したら仕事があるし、時間の都合がつかなくて不義理になったりもした。
それでも僕の場合、故郷を離れ、出ていってしまったので20年経過しようとする今でも、なんとか2.3人の友人知人はたまに飲みに行ったりお茶したりできる。
けど、高校まで同じで別の道を歩んでしまった友人Hは結婚式にも来てくれたりFBで繋がったりしたけど、年賀状の挨拶が来なくなり、手紙の返事もまったくこなくなった。(SNSの更新もメッセもない)
彼一人だけでいえば彼は僕と争った生徒会長選挙に勝ち、学校推薦をもらい大学で商業を学び、上場企業に勤め、ステップアップしてフリースクールの中核を担っている(と思う)
僕から見たら彼は「勝ち組」だけど、彼から見たら「結婚」「誕生」「育児」「進学」と彼にはない経験と地位をもってるのかもしれない。(共感要素がない?)
以前、たまたま母校で同じグループに居た友人と夏祭りで再会した。
「じゃあHを呼ぼう、Kも呼んでみよう!」と電話したけど、昔のようには集まらなかった。
見下すわけではなく、「結婚」「誕生」などはあるものにとってはなんでもないが、ないものにとってはそれはそれは得難い何かになり、コンプレックスになってしまうものなのかもしれない。
僕が務めていたドラッグストアでは僕は少数派の男子であった。
ほとんどの同僚のは母親であり、学区は違えどPTAなどの行事にも参加してるいわゆる普通の家だった。(一軒だけ高校から私立に行った家があったけど)
てなもんで受験の大変さを理由にシフトを替えて(管理職にちゃんと相談して)もちろん協力できるところには入って(腰を痛めていたけど)円滑な職場のコミュニケーションに努めた。
けど、妬まれていた(笑)
自慢に聞こえたら申し訳ないが、子供の小学校で中学受験するのは少数派でクラスに2人か3人いるか居ないかであった。
しかも、その中で受ければ入れる学校ではなく、更に上を六年で目指せる学校に入ったのは学年で3人くらいである。
しかも! 下の子も受験ですから終わらないですね~なんて言った日には同僚の妬みはすごかった(後になって知った)
まず、管理者を無視して「この曜日にでてきてくれない?」と直接言われた。
僕の雇用契約は会社と曜日と時間をしていていて(腰の養生のため)休みを入れないと腰が不具合を起こすのだ。
しかも! 同じ給料だけど僕だけ当たり前だけど、力仕事があった(笑)
ただ、それは同意の上で「力仕事専門」と契約していたので不満はないけど、逆側から見れば「マサムネさんだけ別の仕事したり、出勤日数がすくないのはずるい」と思われてもしかたないのかもしれない。(僕は契約優先だけど)
最終的に僕は両腕を痛め、力仕事で採用されたけど自分の求めるパフォーマンスも家の料理における効率化にも支障をきたす。という理由で退職した。
力仕事のできない倉庫番は要らないのだ。
僕が僕にとっての風当たりが強かったのだと知ったのは有志が開いてくれたささやかな送別会でのことだった。
仲間だと思っていた同僚は皆管理者に「マサムネさんにも同じ仕事をしてもらいましょう!」と突き上げていたらしいのだ(笑)
重い商品の納品がない日は僕が出勤してきても意味はないのだけど(バックヤードの整理を急がなくて良いという理由)納品のない日にも僕を駆り出そうとしていたのがよーーーく見えた。
宴会の会話の中で背筋が凍る思いだったのを覚えている(女子って怖いよ)
もちろん思考の方向性は男子と女子で差異があるかもしれない。
大きく言えば男子だろうが女子だろうが友情を感じやすい人もいれば感じにくい人もいる。
だから番組の看板として「女子の友情が~」なんて書かれていた事とやった内容において僕はとても違和感を感じたのである。
※本当は「やっぱり都内っていいよな? ブラマサムネ 駒場~東北沢周辺」を書こうと思っていたけど不意打ちパンチをくらったので内容を変更しました(笑)
コメント
私にとって友人は宝物と思って(特に年を取るにつれ)います。
ブラマサムネ、楽しみにしています!
多分ですが、公立の平等さの中であらっぽく作られた人間関係というのはきっとそういうものなのだと思います。逆に出身校なんて関係ないという大学の友人はそんなことがないです(突然疾走しちゃったのもいるけど) ザックリ言うとお金のある所に集まる人はそんなに変な人は居ないということが最近分かってきました。 お金で友人を買うことはできないけど、いい意味でお金が友人を選別してくれることはあるよな?と。 明日はアサイチが始まる前に今日書けなかった「ブラマサムネ」を書きますね! ご期待に添えなかったらスイマセンです。