今朝の関東平野爆走記とうってかわって僕が父から聞いた怖い話です。(まあ怖くもないのだけど)

日本人が戦争で一番死んだのはガダルカナルで10万人だそうです。

硫黄島では4万人。

人口密度じゃないけど、犠牲者に対しての陸地の面積で言うと硫黄島はものすごい人が亡くなり、今だに掘り起こされない遺骨が島のいたるところにあるといわれてます。

父は某ゼネコンからの孫受けぐらいで一般の人が入れないそこへ急ぐ時は入間から、重機を積む時は横須賀から輸送船で向かったそうです。

気候は熱帯。(と言っていた)

ポトスが(観葉植物の)そこら中に生えていて(でかい)土がないそうです。

上陸するとまず、慰霊碑に水と線香と祈りを捧げる。

硫黄島で火が使えるのは指定された喫煙所とその慰霊碑だけです。(硫黄が湧いてるからね)

さて、上陸した人は大雑把に二種類に分けられるそうです。

「出る人」と「出ない人」

企業名を書くとその企業の信用や企業価値を損ねるかも知れないでここでは書きませんが、大手のゼネコンと大手の発電機を作っているメーカーです。

その2社の社員は確実に出るそうです。

聞いてみると「出ても大丈夫な人」と「出たらだめな人」に更に分けられる。

だめな人は速攻でダメだとわかり、本土送還になるそうです。

某現場監督さんは父の隣の隣の部屋に居たらしいですが、一晩中軍靴を履いた将校風の男とドアを押し合い、引き合い、「開けろ!」「ダメだ!」とやりあっていたそうです。(しかもその声は隣の部屋に聞こえない)

幽霊は足がないというけど、戦時中の軍人は足音が我々と全く違うそうです。

そういう足音がしてドアをドンドンと叩き、「開けろ!」というのですから怖い。

なぜ出るのかな?と僕は思いました。

生きることへの執着? 武装解除命令をもらってないから?

多分ですが、彼らの中ではまだ戦争が続いていて軍需産業で大きくした会社から来てる人はドアを開けて連れて行かれるそうです。

勿論、今まで戦後に行方不明になった人はいないのですが、ドアを開けて連れて行かれると腑抜けになるそうです。

おそらくは「心」「精神」を持っていかれてしまうのでしょうね。

父は何年も通っていたけど一度もそんな事はないと言ってました。

ついでにいうと慰霊碑以外の場所で戦闘があって人がなくなったと感じる場所では自分の飲む水以外に余計に水を運んできて水を捧げたらしいです。

硫黄島というのは井戸がないし、雨水を貯めるか、海水を真水に変えない限り飲料水はてにはいりません。

戦争で亡くなっていった人たちは口々に最後は「水」と言いながらその命の灯が消えていったようです。

硫黄島では昔も今も人は消耗品だ。と父が言ってました。

現代でもその大手に属する現場監督が多数送り込まれるらしいです。

幽霊の話も聞かされるでしょうし、職務だから断れない。

幽霊を見ても大丈夫な人は居続けるし、幽霊を見なくてもだめな人というのはいるそうです。(昼間ボーッとしてしまうのでわかるそうです)

数週間に一回、医師が来てカウンセリングや投薬をするらしいですが、送り込まれた日数の経過ではなく、みたらすぐだめな人は本土送還だそうです。

当時の軍部は恐らく、死守せよ!と命令だけだして多くの日本人の命が島で散っていってしまった。

肉体は滅び、その後、70年も経っているけど、その精神は生き続けて配下になりそうな人の部屋のドアを叩く。

僕が僧侶だったら島の各所を回ってお経を唱えて回るのですが、残念ながら僧侶でも神官でもないです。

今でも24時間365日絶えることなく、硫黄島へは人が送り続けられ、その多くが本土送還されてしまいます。

多分ですが、死者に対して上っ面だけで敬意を払っても向こうは見抜いてしまうのでしょうね?

ついでにいうと硫黄島へ行くと結構なお金になるそうです。

ただ、一度行くと最低でも2.3週間は帰れません。(急病人は飛行機やヘリが飛びますけど本当に危ないときです)

なのでだめな人は最初の日の夜が明けると暫く使い物にならずに昼間ポケーっとしてるそうです。会社はそういうふうになる人も計算して多めに送っているそうです。

僕がもし、行ったら軍靴を履いた将校は僕の部屋に来るのか?

魔除けではないのですが、父が言うには酒やワインではなくて「飲水」を捧げるのが一番「効果がある」そうです。

戦争という時代背景の元で生きたくても生きられなかった無念さは70年の時の経過は全く関係なく、僕らの住む本土よりはるか南で今でも晴らされぬままそこにあるのだろうな。と思いました。

何世代か前に戦争で財を成した企業に務めていた祖先をお持ちの方々は自分たちの先祖に線香を上げててを合わせる時に、真剣に戦争で犠牲になられた方のご冥福をお祈りすることを私はおすすめ致します。

そういう無念さを抱えたまま70年過ごす事に比べたら我々の抱えている生老病死の苦しみというのは恐らくちっぽけなものなんだろうと思います。

実家に戻っていろいろ雑用して感謝されましたけど、そんなことより、実際にそこに居た人から聞いた生の声が聞けたことが良かったです。


コメント

まるこ
2018年9月19日5:21

貴重なお話をありがとうございます。
硫黄島…まさに激戦区でしたね。
魂が彷徨うその島に平穏な日々は来るのでしょうか??
赤紙一つで召集されて無念の死を遂げた英霊に祈りを捧げる。
明日はお彼岸の入りですね。

マサムネ
2018年9月19日8:34

まるこさん

硫黄島や沖縄で米軍を命を張って食い止めた人が居るからこそ、我々の祖先たちは生き延びることが出来た。自分たちの先祖に感謝することも大切ですが、それを生かすために沢山の命が(硫黄島で亡くなった人の多くは未成年だったとも聞きます)犠牲になったことを忘れないようにしたいですね。僕も今さっき玄関の線香立てで拝んできました。

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索