眼の前で起きている問題こそ社会の縮図
2018年8月20日 時事ニュースタイトルを書いて失敗したな、こんな大それた事についてかけるのかな?と思った頭の八割くらいが女の人の妄想で出来ている変態ブロガーマサムネです。(笑)
行き
小田原厚木→厚木→圏央道→厚木PA(休憩)→魔のトンネル連続区間→入間→R16経由で川越大宮→岩槻春日部(ここが今回違う)→埼玉レジャーランド→R4経由権現堂栗橋で元のR125と合流(古河市北で分岐するまでR4.R125重複区間)→到着
帰り
R4経由で高柳からサイクリ線→西大輪から県道12号→モラージュ菖蒲→桶川加納(圏央道)→狭山PA(休憩)→帰りは眠くならない魔のトンネル区間→気づくと神奈川→厚木PA→海老名JCT→左車線をとろとろ走って時間調整(笑)→大井松田ICを0:01に退出(深夜割適用2510円)0:17に帰着
神奈川には余り見かけない24時間営業のゲームセンター(風営法上カラオケボックスなどの待合室の扱いらしい) 前回の息子同乗の帰郷では栗橋にあるオートパーラー(小さめ)に寄りました(年代物のゲームたくさん)息子がやってる音ゲーも置いてあったのですが、深夜は稼働してないようです(あの日だけ?) あと、どうでもいいのですが、久々に通ったらR16のR4との交差が16号が地下へ入り込む形式の立体交差になってました。
当たり前なのですが、R4の幸手市内には当時なかった幸手ICが! 春日部市内から古河を向いた時に「左前方に東武動物公園がある」と話したり(ケモふれでよく登場する)それと五霞の焼却場跡地にラウンドワンが出来ていました。権現堂は桜の名所で(誰と見に来たのかは言わないけど)春先はすごいよ。と。
今回の本来の目的はいとこ同士が遊ぶ(ゲーム)のが主文だったのだけど結局裏の家に生えていた(正確には境界を乗り越えて覆いかぶさってきている)藤、ハナミズキ、毛虫の付いた榊、柿などの伐採をしました(笑)
数ヶ月前に屋根に被っていたのは切ったのですが、今回は境界付近の物を屏に乗って剪定しました。
藤というのは自生もしてますが、昭和の北関東では?(いや、南でも流行ったのかな?)鉢植えもそうですが、地植えして藤棚を作り、夏の日陰を作るのに重宝した蔓性植物です。(そんな事書かなくても知ってますよね)
足利フラワーパークの巨大なやつが有名ですが、藤というのはメンテナンスしないと朝顔やきゅうりやゴーヤーみたいに近くに生えている木や屏を伝って上へ上へ、日陰から日向へ日向へとぐんぐんと伸びてしまう植物なのです。ものすごく生命力が強くてたとえ全部伐採したとしても根っこが残っていたらまたニョキニョキと生えてきてしまう。
我が家は一年前の帰郷から足掛け今までで地上部分の伐採は終えましたが、それでもやはり数十年かけて生えた根っこが生きてるのでひょろひょろと生えてくる(まあこれくらないなら剪定鋏で切れる)放置しておけばまた藤のジャングルになるでしょうね。
・・・・・の状態がうちの北側の家ですね。
「越えてきてた部分きらせてもらいました」と母が言った時に裏のおばさんは「どんどん切っちゃってください」と言ってたらしいので、今回は断りもなく(もう50年以上の付き合い)ガンガンと行かせて頂きました。
裏の家は元々四人家族で親父さん(病気で倒れて施設で暮らしている)おばさん(80近いけど食べていく為に夜中居酒屋で働いてる)上のお姉さん(会社員、未婚実家ぐらし)下のお姉さん(既婚、子供あり、実家ではほぼみない)の四人ぐらしでした。うちが築60年近い平屋の借家ですから裏の家はそれよりもっと古い2階建ての家です。
ま、ここまで書いたので書いちゃいますが、正直自宅の植木にまで手がまわらないのが現状です。
うちはお金がなくてもなんとか各自自立して人手だけは集めればあります。ただ、裏の家は恐らく5-6メートルの高さの樹木を切る道具も人手もない(お金は知らない)んですね。
なので木が乗り越えて隣家に伸びると文句を言う家以外は基本放置です。
オジサンが元気だったときは手入れしていたのでしょうが、恐らく施設からでて植木を手入れできるほどに回復は見込めないのだと思います。
で、家のメンテナンス(外壁や雨樋など)も含めて余裕があれば、直してすむのでしょうが、残念ながら我が家と負けず劣らずに古いのであと何年持つのかな? といった感じです。(土地はおじさんの名義だろうから上手く世代交代していれば立て直していたのだと思う)
実はうちの家を中心として北側、南側、西側の家に俗に言う「結婚もせずに実家ぐらしをしている」人がいる(東側は新しい家なのでまだ若い)
勿論実家を除けば「持ち家」で2階建てで当時の僕から見たら皆結構いい生活をしていたと思うのですが、40年の歳月というのは現実を容赦なく突きつけてしまうのだな、と思いました。
西側の家なんかミサワホームで建てた当時はハイカラな住まいだったんですけどね? パット見きれいですが、雨樋がぶらーんとぶら下がってしまっています(汗)
僕は出かける前に「結婚なんてひでえものだ! 救いがない! いつか保証人二人見つけてさっさと離婚してやる!」と思っていましたけど(実は常に思っている) そういう現況を目にして、様々な状況を耳にすると(もし俺が離婚して戻ると)挟まれたオセロのコマがひっくり返るだけです。
なので、五体満足で生まれた子供を連れて故郷に錦を飾れるというのは(ましてやいとこ同士で遊ぶんだなんて)とても幸せで恵まれていることなんだと思いました。
息子は帰郷しても勉強時間を決めて合間にリラックスタイムでタブレットでゲームをしたりしてました。(ゲーム漬けの甥っ子から見たら言わないのに勝手に自分でルールを決めて勉強と遊びをやってるなんて恵まれている)
土曜日の夜に一度、弟の家で子供らが遊んだのですが、実はそこでとある問題が!
ウインクの一時的復活!!
7:30からの放送でどこかでウインクの二人が登場して歌うはずなのですが、いやはやこれがまたいつかわからない(笑)
結局、ウインクが出てきたのが番組終了の15フン前という視聴率至上主義!
母は普段早いと八時半くらいに眠剤を飲んで寝てしまいますから9時すぎると眠い眠い。 ウインクまだ出ないから帰ろうと翌日の午前中に子どもたちはまた遊ぶと約束して帰りました。
※ウインクについては後日別件で書きます。
ホッピー、赤ワイン、ビールと飲んで帰ってから生搾り(オレンジ)を飲みながらウインクを見ていつの間にか寝落ち(笑)してましたけど普段どおりにめざめ、オートミールな食事、一時間遅く息子を起こして息子も勉強して九時過ぎにそろそろいいだろうと弟の家に。
実は20数年前に働いていたセブンイレブンのオーナーさんが弟の家の近くに店を出していると聞いていたので知ってる人なんかいないだろと差し入れを買うがてら立ち寄りました。
「ピロピロピロ・・・・・」(入口ドアが開くと音がする、基本この音を聞いてお客が来ていたら店員は挨拶する)
「イラッシャイマセ!!」とドスの効いた懐かしい声。
はい、朝九時から支店のレジに立っていました。
20年以上の再会。
「痩せましたね! あれ?いまはどちらに?」(おいおい、年賀状出し合ってるじゃないか!)
「小田原ですよ!」(笑)
一応息子です、と紹介したり、どれくらいかかった? いつ帰るの?と話をしてナナコでアイスコーヒー(自分用)と差し入れの飲み物とトッポ(息子が食べたいと言った)を買って弟の自宅へ。
車のドアを開けるとリビングの網戸を明け、出てきたのは眠そうな甥っ子(笑)
「今起きたところだけど上がって~」と義理妹。
また11時過ぎたら迎えに来るよ~ これ少ないけど差し入れ~! よろしくね~!と僕。
息子を預けて裏の家の木の剪定、片付け、袋詰をする。
途中、畑で取れたスイカの試食?(笑)
5個取れた(小さいマスクメロンぐらい)けど、食べられるのは3つほど。
2つはそとからみたらわからないけど、真っ白!
一つは割れてしまっていたけどすごく甘い(完熟)
一つはまあまあ、二番目に甘い
一つは種が真っ白、薄ピンク色だけど食べられなくはない。
飲み物を飲む代わりに食べるならカリウム補給にちょうどいい。
真っ白なやつは一応カットして食べましたけど、キュウリにもスイカにも似てない独特の味(笑)
親父はやせ我慢して「これだって食えるよ!」と一切れ食べていましたけど、口にしたのはその一切れだけでした。(はっきりいってまずい!)
スイカでベトベトになった手を洗って片付けをしていたら約束の時間に。
車を入れ替えるのが面倒なので父親のトラックで迎えに行ってもらいました。
四人合流したのですが、何食べる?という話になった時に前日焼き肉だったので「マックでいいか?」とご当地バーガーやその他のセットを買ってきて四人で2600円余。
マックフルーリーブラックサンダーは甘かったです。あれは普通にソフトはソフトで食べて、ブラックサンダーはブラックサンダーで食べたほうが僕は好きです。
午後、残りの片付けをしましたけど、父は畑の大家から依頼を受けて仕事へ(実は無料奉仕)
夕飯は「サンバンダ」で食べようと待っていたのですが、結局戻ってこないので先に「乙女屋」でお菓子を買ったり、「ベイシア」で帰りの飲み物を買ったりしていたら母親の電話がやっと鳴りました。
想定外の藤の剪定があったので同級生と祖母のお墓はカット。
おじさんのお墓は乙女屋の本店の近くなので他界して初めてお参りすることができました。(享年51才)
諸事情があり、今借りてる900坪の畑は3月まで。
4月からは母の実家の近くをおじさん(母の兄)から無償で借りてなんか作るそうです。車で40分くらいかかるけど、今の所より気分は楽だそうです。
そして、戻ってきて今朝。
仕事へ行こうといそいそと準備をしていると電話がなります
「マサムネさん、中止です」と。
一階を掃除して、紙布を出して、よっこらせとPC部屋に。
実家のネット環境に付いては保留。
PCはあれば便利だよね?と両親
今朝、朝ドラで律の母親に張り合いを持たせるために何かをさせようとするくだりがありましたけど、我が家の実家も基本、二人だけの暮らしの中では活気と言うかマンネリ化してしまった生活に何かスパイス的要素も要る時期なのかな?と僕は思いました。
ここで読み書き出来る人はスマホやPCやタブレットなどのツールを使いこなせてわからないことや欲しいものがあるとネットで探せますが、うちの両親は携帯のメールを読むのがやっとです(汗)
父親は中古の部品や機械工具類を見たいとも言うし、母親は健康に関することを調べたいとも言ってました。
ただ、まあなくても困ってない(笑)と。
頭にもチラっと書きましたけど「自分がどれだけ恵まれた環境や状況にいるかというのは自分では気づきにくい」ということが実感できた帰郷でした。
だからといって岳父と和解するか? 押印済みの離婚届を燃やしてないものにしちゃうか?というのは別問題です。
恵まれた環境に置かれているのを実感できたとしても我が家の隣家の出す騒音は止まないだろうし、実家の裏の家の藤の木は伸び続けるし、これから僕自身がどうやって生きていくのか?という問題が消えるわけではないのですから。
行き
小田原厚木→厚木→圏央道→厚木PA(休憩)→魔のトンネル連続区間→入間→R16経由で川越大宮→岩槻春日部(ここが今回違う)→埼玉レジャーランド→R4経由権現堂栗橋で元のR125と合流(古河市北で分岐するまでR4.R125重複区間)→到着
帰り
R4経由で高柳からサイクリ線→西大輪から県道12号→モラージュ菖蒲→桶川加納(圏央道)→狭山PA(休憩)→帰りは眠くならない魔のトンネル区間→気づくと神奈川→厚木PA→海老名JCT→左車線をとろとろ走って時間調整(笑)→大井松田ICを0:01に退出(深夜割適用2510円)0:17に帰着
神奈川には余り見かけない24時間営業のゲームセンター(風営法上カラオケボックスなどの待合室の扱いらしい) 前回の息子同乗の帰郷では栗橋にあるオートパーラー(小さめ)に寄りました(年代物のゲームたくさん)息子がやってる音ゲーも置いてあったのですが、深夜は稼働してないようです(あの日だけ?) あと、どうでもいいのですが、久々に通ったらR16のR4との交差が16号が地下へ入り込む形式の立体交差になってました。
当たり前なのですが、R4の幸手市内には当時なかった幸手ICが! 春日部市内から古河を向いた時に「左前方に東武動物公園がある」と話したり(ケモふれでよく登場する)それと五霞の焼却場跡地にラウンドワンが出来ていました。権現堂は桜の名所で(誰と見に来たのかは言わないけど)春先はすごいよ。と。
今回の本来の目的はいとこ同士が遊ぶ(ゲーム)のが主文だったのだけど結局裏の家に生えていた(正確には境界を乗り越えて覆いかぶさってきている)藤、ハナミズキ、毛虫の付いた榊、柿などの伐採をしました(笑)
数ヶ月前に屋根に被っていたのは切ったのですが、今回は境界付近の物を屏に乗って剪定しました。
藤というのは自生もしてますが、昭和の北関東では?(いや、南でも流行ったのかな?)鉢植えもそうですが、地植えして藤棚を作り、夏の日陰を作るのに重宝した蔓性植物です。(そんな事書かなくても知ってますよね)
足利フラワーパークの巨大なやつが有名ですが、藤というのはメンテナンスしないと朝顔やきゅうりやゴーヤーみたいに近くに生えている木や屏を伝って上へ上へ、日陰から日向へ日向へとぐんぐんと伸びてしまう植物なのです。ものすごく生命力が強くてたとえ全部伐採したとしても根っこが残っていたらまたニョキニョキと生えてきてしまう。
我が家は一年前の帰郷から足掛け今までで地上部分の伐採は終えましたが、それでもやはり数十年かけて生えた根っこが生きてるのでひょろひょろと生えてくる(まあこれくらないなら剪定鋏で切れる)放置しておけばまた藤のジャングルになるでしょうね。
・・・・・の状態がうちの北側の家ですね。
「越えてきてた部分きらせてもらいました」と母が言った時に裏のおばさんは「どんどん切っちゃってください」と言ってたらしいので、今回は断りもなく(もう50年以上の付き合い)ガンガンと行かせて頂きました。
裏の家は元々四人家族で親父さん(病気で倒れて施設で暮らしている)おばさん(80近いけど食べていく為に夜中居酒屋で働いてる)上のお姉さん(会社員、未婚実家ぐらし)下のお姉さん(既婚、子供あり、実家ではほぼみない)の四人ぐらしでした。うちが築60年近い平屋の借家ですから裏の家はそれよりもっと古い2階建ての家です。
ま、ここまで書いたので書いちゃいますが、正直自宅の植木にまで手がまわらないのが現状です。
うちはお金がなくてもなんとか各自自立して人手だけは集めればあります。ただ、裏の家は恐らく5-6メートルの高さの樹木を切る道具も人手もない(お金は知らない)んですね。
なので木が乗り越えて隣家に伸びると文句を言う家以外は基本放置です。
オジサンが元気だったときは手入れしていたのでしょうが、恐らく施設からでて植木を手入れできるほどに回復は見込めないのだと思います。
で、家のメンテナンス(外壁や雨樋など)も含めて余裕があれば、直してすむのでしょうが、残念ながら我が家と負けず劣らずに古いのであと何年持つのかな? といった感じです。(土地はおじさんの名義だろうから上手く世代交代していれば立て直していたのだと思う)
実はうちの家を中心として北側、南側、西側の家に俗に言う「結婚もせずに実家ぐらしをしている」人がいる(東側は新しい家なのでまだ若い)
勿論実家を除けば「持ち家」で2階建てで当時の僕から見たら皆結構いい生活をしていたと思うのですが、40年の歳月というのは現実を容赦なく突きつけてしまうのだな、と思いました。
西側の家なんかミサワホームで建てた当時はハイカラな住まいだったんですけどね? パット見きれいですが、雨樋がぶらーんとぶら下がってしまっています(汗)
僕は出かける前に「結婚なんてひでえものだ! 救いがない! いつか保証人二人見つけてさっさと離婚してやる!」と思っていましたけど(実は常に思っている) そういう現況を目にして、様々な状況を耳にすると(もし俺が離婚して戻ると)挟まれたオセロのコマがひっくり返るだけです。
なので、五体満足で生まれた子供を連れて故郷に錦を飾れるというのは(ましてやいとこ同士で遊ぶんだなんて)とても幸せで恵まれていることなんだと思いました。
息子は帰郷しても勉強時間を決めて合間にリラックスタイムでタブレットでゲームをしたりしてました。(ゲーム漬けの甥っ子から見たら言わないのに勝手に自分でルールを決めて勉強と遊びをやってるなんて恵まれている)
土曜日の夜に一度、弟の家で子供らが遊んだのですが、実はそこでとある問題が!
ウインクの一時的復活!!
7:30からの放送でどこかでウインクの二人が登場して歌うはずなのですが、いやはやこれがまたいつかわからない(笑)
結局、ウインクが出てきたのが番組終了の15フン前という視聴率至上主義!
母は普段早いと八時半くらいに眠剤を飲んで寝てしまいますから9時すぎると眠い眠い。 ウインクまだ出ないから帰ろうと翌日の午前中に子どもたちはまた遊ぶと約束して帰りました。
※ウインクについては後日別件で書きます。
ホッピー、赤ワイン、ビールと飲んで帰ってから生搾り(オレンジ)を飲みながらウインクを見ていつの間にか寝落ち(笑)してましたけど普段どおりにめざめ、オートミールな食事、一時間遅く息子を起こして息子も勉強して九時過ぎにそろそろいいだろうと弟の家に。
実は20数年前に働いていたセブンイレブンのオーナーさんが弟の家の近くに店を出していると聞いていたので知ってる人なんかいないだろと差し入れを買うがてら立ち寄りました。
「ピロピロピロ・・・・・」(入口ドアが開くと音がする、基本この音を聞いてお客が来ていたら店員は挨拶する)
「イラッシャイマセ!!」とドスの効いた懐かしい声。
はい、朝九時から支店のレジに立っていました。
20年以上の再会。
「痩せましたね! あれ?いまはどちらに?」(おいおい、年賀状出し合ってるじゃないか!)
「小田原ですよ!」(笑)
一応息子です、と紹介したり、どれくらいかかった? いつ帰るの?と話をしてナナコでアイスコーヒー(自分用)と差し入れの飲み物とトッポ(息子が食べたいと言った)を買って弟の自宅へ。
車のドアを開けるとリビングの網戸を明け、出てきたのは眠そうな甥っ子(笑)
「今起きたところだけど上がって~」と義理妹。
また11時過ぎたら迎えに来るよ~ これ少ないけど差し入れ~! よろしくね~!と僕。
息子を預けて裏の家の木の剪定、片付け、袋詰をする。
途中、畑で取れたスイカの試食?(笑)
5個取れた(小さいマスクメロンぐらい)けど、食べられるのは3つほど。
2つはそとからみたらわからないけど、真っ白!
一つは割れてしまっていたけどすごく甘い(完熟)
一つはまあまあ、二番目に甘い
一つは種が真っ白、薄ピンク色だけど食べられなくはない。
飲み物を飲む代わりに食べるならカリウム補給にちょうどいい。
真っ白なやつは一応カットして食べましたけど、キュウリにもスイカにも似てない独特の味(笑)
親父はやせ我慢して「これだって食えるよ!」と一切れ食べていましたけど、口にしたのはその一切れだけでした。(はっきりいってまずい!)
スイカでベトベトになった手を洗って片付けをしていたら約束の時間に。
車を入れ替えるのが面倒なので父親のトラックで迎えに行ってもらいました。
四人合流したのですが、何食べる?という話になった時に前日焼き肉だったので「マックでいいか?」とご当地バーガーやその他のセットを買ってきて四人で2600円余。
マックフルーリーブラックサンダーは甘かったです。あれは普通にソフトはソフトで食べて、ブラックサンダーはブラックサンダーで食べたほうが僕は好きです。
午後、残りの片付けをしましたけど、父は畑の大家から依頼を受けて仕事へ(実は無料奉仕)
夕飯は「サンバンダ」で食べようと待っていたのですが、結局戻ってこないので先に「乙女屋」でお菓子を買ったり、「ベイシア」で帰りの飲み物を買ったりしていたら母親の電話がやっと鳴りました。
想定外の藤の剪定があったので同級生と祖母のお墓はカット。
おじさんのお墓は乙女屋の本店の近くなので他界して初めてお参りすることができました。(享年51才)
諸事情があり、今借りてる900坪の畑は3月まで。
4月からは母の実家の近くをおじさん(母の兄)から無償で借りてなんか作るそうです。車で40分くらいかかるけど、今の所より気分は楽だそうです。
そして、戻ってきて今朝。
仕事へ行こうといそいそと準備をしていると電話がなります
「マサムネさん、中止です」と。
一階を掃除して、紙布を出して、よっこらせとPC部屋に。
実家のネット環境に付いては保留。
PCはあれば便利だよね?と両親
今朝、朝ドラで律の母親に張り合いを持たせるために何かをさせようとするくだりがありましたけど、我が家の実家も基本、二人だけの暮らしの中では活気と言うかマンネリ化してしまった生活に何かスパイス的要素も要る時期なのかな?と僕は思いました。
ここで読み書き出来る人はスマホやPCやタブレットなどのツールを使いこなせてわからないことや欲しいものがあるとネットで探せますが、うちの両親は携帯のメールを読むのがやっとです(汗)
父親は中古の部品や機械工具類を見たいとも言うし、母親は健康に関することを調べたいとも言ってました。
ただ、まあなくても困ってない(笑)と。
頭にもチラっと書きましたけど「自分がどれだけ恵まれた環境や状況にいるかというのは自分では気づきにくい」ということが実感できた帰郷でした。
だからといって岳父と和解するか? 押印済みの離婚届を燃やしてないものにしちゃうか?というのは別問題です。
恵まれた環境に置かれているのを実感できたとしても我が家の隣家の出す騒音は止まないだろうし、実家の裏の家の藤の木は伸び続けるし、これから僕自身がどうやって生きていくのか?という問題が消えるわけではないのですから。
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