コメントを書くより日記を書いてエールを送る
2018年5月8日 エッセイ コメント (2)何かの歯車が似ているのか、僕が回ると相互リンク先の所でも何か大変な事が起きている。
けど、コメントに長文で書くより、僕の所で独り言ぽくかいたほうがいいのではないか?と思い記すことにした。(足跡ついていてコメントないときはそのほうがいいかな?と思っているときです^^;)
GW前に猫が体調不良で病院へ。猫と人とを比較してはいけないのかも知れないが、地球上で暮らす同じ命なので続けます。
左目の眼球と鼻腔の状態から目の後ろ辺りに腫瘍があるらしい。
急性のもので突然出来て大きくなったのであまり状況はよくない。
実は別の猫の口内炎もひどかったので二匹連れて病院へ行った。
口内炎の方の猫はだいぶよくなった。
左の顔面が変形してしまった彼はヨレヨレだ。
猫は鼻呼吸なので鼻の穴が塞がると苦しい。
猫エイズのキャリアなのも重なってカリシウイルスも発症してるらしのでその処置を病院でしてもらった(注射+薬)
ちょっと汚い話だけど、血の混じった鼻水が出てくしゃみのたびに辺りへ飛んでしまう。僕はそれをティッシュやアルコール手拭きなどでチャチャチャと拭く。
話が変わるけど、脳と言えば妻の祖父母とも両方脳梗塞を発症して緩やかに命の炎が消えるのを見届けた。
僕らの介護は幸いにも数年に及んだけど、人海戦術と僕が雑用を一手にに引き受けた(僕は仕事をするのは苦手だけど、買い物や片付けは割と好きなので)ので僕以外の人は仕事を続けたまま、命の灯火を見守った。
僕がこんなことを言っていいのかわからないけど、介護や看護にはゴールがない。する方もされる方も生きるチカラを振り絞っているのだ、でも、共倒れするのはもっと良くないので「上手に力を抜いてね」と僕はこれからそういう終わりの見えない戦いに向かう人へエールを送る。
僕の通うスポーツクラブでも長い人で10年を超え、母親や父親、人生の伴侶の文字通り命のお世話をした人がいる。(数年の僕はひよっこだ)
上でゴールがない、と書いたが、「終わり」は来る。
妻の祖母は脳梗塞を発症して自宅で倒れたまま8-9時間も誰にも気づかれなかった。当時、数時間以内であれば梗塞を除去する点滴で脳の機能回復が期待できたのだけど、彼女の脳は半分真っ白になってしまっていた。
その時の市立病院での対応については日記の何処かに毒々しくかいてある。半分真っ白な脳のおばあちゃんは病院を二箇所変わり、(数ヶ月すると出ていかないといけないのだ)秦野市内の某病院で僕らが見舞いに来ていた時間に容態が急変して(土日にならないと全員集まれないのを知ってたかのように)ろうそくの灯火が消えるように亡くなった。
老人医療(こういう言葉でいいのかな?)の現場も大変なのはわかるけど、家族にしてみたら人間をあんなふうに扱うなんて信じられないという現場も見てきた。だから急性期を過ぎて落ち着いてきたらコーディネーターさんとよく話し合って納得のいく病院や看護や介護の態勢を整えておくのも肝心だと思う。
病院名は伏せておくけど、胃ろうの中身がこぼれた状態で着替えさせずにナースコールが鳴りっぱなしなのに看護師はのんびり歩いていたりとかね?
僕から見ると命の終わりがそういう酷い扱いで終わるなんてとんでもないと思うのでマメに酷い扱いをされてないか(勿論見舞いなのだけど)チェックするのも必要だと思う。
それと、「お金があるなら介護する人のために全部使っちゃうつもりで」お世話するといいのかもしれない。
品がないかも知れないけど、人が死んでお金や財産がなまじっか残っていると人によってはそんな事にそんな金つかったのか?という見舞いには来ないけど葬儀の後にやってきて遺産、財産を遺留分だけ持っていく輩がいるので。
なので、FPの妻は生前贈与や法的に有効な遺言状を作っておくのを元気な人たちに(身内にも)勧めるが、殆どの人は明日倒れて意思表示ができなくなることなんて考えてない。(ひとによっては怒る人だっている)
ひょっとしたら僕がこうやってかいてるのだって「まだ生きてるのに死んだあとの話をしないで!縁起でもない! プンスカ!」と怒られるかも知れない。
けど、備えあって憂い無しという言葉が示しているように元気なうちからきちんと話しておくことも時には身内で公開することも必要だと思う。
文中にも書いたけど、ゴール(終わりとは書けたものではない)が見えないマラソンのようなので途中途中でペースを配分して後悔しないように一歩づつ進んで言ってほしいと思う。
僕らの第一段階(祖父母の介護や看護)は終わっているけど、両親のそれはまだ何も始まっていない、様子を見に行ったり、孫の顔を見せに行ったり、体調を聞いたり、さり気なくどうしたいかを聞いたり、仕事を与えたり、生きる楽しみと苦しみを小出しにして毎日が進んでいる。
山中鹿之介であればカッコよく「われに七難八苦を与え給え!」というのだけど、僕はそんなに大変だと間違いなく意気消沈してしまう。
冗談はさておき、恐らく、神様というものがいるとすればその人に果たせない事は起きないのではないかとも思う。
毎回一休和尚の言葉を借りて恐縮だけど、「大丈夫だ 心配するな なんとかなる」と自分に言い聞かせて僕も今の状況をなんとかしようと思います。
雨が上がったようなのでこれから調味料と食材の買い出しに行ってきます。
皆様の今日一日が実りあるもので有ることを願いつつ。
けど、コメントに長文で書くより、僕の所で独り言ぽくかいたほうがいいのではないか?と思い記すことにした。(足跡ついていてコメントないときはそのほうがいいかな?と思っているときです^^;)
GW前に猫が体調不良で病院へ。猫と人とを比較してはいけないのかも知れないが、地球上で暮らす同じ命なので続けます。
左目の眼球と鼻腔の状態から目の後ろ辺りに腫瘍があるらしい。
急性のもので突然出来て大きくなったのであまり状況はよくない。
実は別の猫の口内炎もひどかったので二匹連れて病院へ行った。
口内炎の方の猫はだいぶよくなった。
左の顔面が変形してしまった彼はヨレヨレだ。
猫は鼻呼吸なので鼻の穴が塞がると苦しい。
猫エイズのキャリアなのも重なってカリシウイルスも発症してるらしのでその処置を病院でしてもらった(注射+薬)
ちょっと汚い話だけど、血の混じった鼻水が出てくしゃみのたびに辺りへ飛んでしまう。僕はそれをティッシュやアルコール手拭きなどでチャチャチャと拭く。
話が変わるけど、脳と言えば妻の祖父母とも両方脳梗塞を発症して緩やかに命の炎が消えるのを見届けた。
僕らの介護は幸いにも数年に及んだけど、人海戦術と僕が雑用を一手にに引き受けた(僕は仕事をするのは苦手だけど、買い物や片付けは割と好きなので)ので僕以外の人は仕事を続けたまま、命の灯火を見守った。
僕がこんなことを言っていいのかわからないけど、介護や看護にはゴールがない。する方もされる方も生きるチカラを振り絞っているのだ、でも、共倒れするのはもっと良くないので「上手に力を抜いてね」と僕はこれからそういう終わりの見えない戦いに向かう人へエールを送る。
僕の通うスポーツクラブでも長い人で10年を超え、母親や父親、人生の伴侶の文字通り命のお世話をした人がいる。(数年の僕はひよっこだ)
上でゴールがない、と書いたが、「終わり」は来る。
妻の祖母は脳梗塞を発症して自宅で倒れたまま8-9時間も誰にも気づかれなかった。当時、数時間以内であれば梗塞を除去する点滴で脳の機能回復が期待できたのだけど、彼女の脳は半分真っ白になってしまっていた。
その時の市立病院での対応については日記の何処かに毒々しくかいてある。半分真っ白な脳のおばあちゃんは病院を二箇所変わり、(数ヶ月すると出ていかないといけないのだ)秦野市内の某病院で僕らが見舞いに来ていた時間に容態が急変して(土日にならないと全員集まれないのを知ってたかのように)ろうそくの灯火が消えるように亡くなった。
老人医療(こういう言葉でいいのかな?)の現場も大変なのはわかるけど、家族にしてみたら人間をあんなふうに扱うなんて信じられないという現場も見てきた。だから急性期を過ぎて落ち着いてきたらコーディネーターさんとよく話し合って納得のいく病院や看護や介護の態勢を整えておくのも肝心だと思う。
病院名は伏せておくけど、胃ろうの中身がこぼれた状態で着替えさせずにナースコールが鳴りっぱなしなのに看護師はのんびり歩いていたりとかね?
僕から見ると命の終わりがそういう酷い扱いで終わるなんてとんでもないと思うのでマメに酷い扱いをされてないか(勿論見舞いなのだけど)チェックするのも必要だと思う。
それと、「お金があるなら介護する人のために全部使っちゃうつもりで」お世話するといいのかもしれない。
品がないかも知れないけど、人が死んでお金や財産がなまじっか残っていると人によってはそんな事にそんな金つかったのか?という見舞いには来ないけど葬儀の後にやってきて遺産、財産を遺留分だけ持っていく輩がいるので。
なので、FPの妻は生前贈与や法的に有効な遺言状を作っておくのを元気な人たちに(身内にも)勧めるが、殆どの人は明日倒れて意思表示ができなくなることなんて考えてない。(ひとによっては怒る人だっている)
ひょっとしたら僕がこうやってかいてるのだって「まだ生きてるのに死んだあとの話をしないで!縁起でもない! プンスカ!」と怒られるかも知れない。
けど、備えあって憂い無しという言葉が示しているように元気なうちからきちんと話しておくことも時には身内で公開することも必要だと思う。
文中にも書いたけど、ゴール(終わりとは書けたものではない)が見えないマラソンのようなので途中途中でペースを配分して後悔しないように一歩づつ進んで言ってほしいと思う。
僕らの第一段階(祖父母の介護や看護)は終わっているけど、両親のそれはまだ何も始まっていない、様子を見に行ったり、孫の顔を見せに行ったり、体調を聞いたり、さり気なくどうしたいかを聞いたり、仕事を与えたり、生きる楽しみと苦しみを小出しにして毎日が進んでいる。
山中鹿之介であればカッコよく「われに七難八苦を与え給え!」というのだけど、僕はそんなに大変だと間違いなく意気消沈してしまう。
冗談はさておき、恐らく、神様というものがいるとすればその人に果たせない事は起きないのではないかとも思う。
毎回一休和尚の言葉を借りて恐縮だけど、「大丈夫だ 心配するな なんとかなる」と自分に言い聞かせて僕も今の状況をなんとかしようと思います。
雨が上がったようなのでこれから調味料と食材の買い出しに行ってきます。
皆様の今日一日が実りあるもので有ることを願いつつ。
コメント
ありがとうございます。
伝えたいことはシンプルなはずなのに長文になってしまうのが僕のいい所でも悪い所でもあります(汗) どうぞ日常のスキマにリラックスと楽しみを!