関羽様もそうだけど、尊徳翁も祀られている。

前者は関帝廟に、後者は小田原城近くの二宮神社に。

ふとしたことから(僕は歴史好きなので)尊徳翁についてウイキを読んでいた。

藩主に頼まれて栃木県の桜村で財政の立て直しを・・・・。

へ? 二宮町け?

調べてみる。

うん。二宮町(栃木県)は二宮尊徳から名前が来てるという。

実はうちの母の姉さんがそっちに住んでいて、小田原に車では二宮といえば、堀米、鷲の巣の方というイメージだった。

今は年始に神社にお参りして必ずお守りを買う。

信仰してるほどじゃないけど、この土地の有名人が祀られているのだから土地のパワーを貰えるだろうという目論見。

森友問題で揺れているけど割と神道の考え方には共感できる。

仏教は教えやそのた教訓としては素晴らしいものもあるかもしれないけど、今のお寺にちゃんと民のために身を粉にしてすお坊さんがどれだけいるかは不明。(坊主丸儲けっていうくらいだからね)

多分だけど、農家出身だったのに晩年の肖像画では帯刀してるところを見ると士分扱いだったのだと思う。

このように日本各地には藩に貢献した商人、農民などをその貢献度合いの大きさによって昇格(?)させたというのを聞く。

こないだ息子に聞いたら今は「士農工商」って教科書に載ってないんだってね? 
いいのかわるいのかね?

あと石田三成も悪者になってないらしい。

中教審のさじ加減ってやつか?

コメント

マダムM
2018年4月16日21:56

そうそう、士農工商、石田三成の事、テレビでやってました!
聖徳太子も実在しない?
娘が最近読んだ本で備前藩士で上杉鷹山より藩政を立て直した武士がいたとか。名前は失念(2,3回聞いた位では覚えられない!)
以前は小学校の校庭の片隅に、二宮尊徳の銅像があったものですよね。あのマキを背負って、という事実(?)は無かったらしいですね。

マサムネ
2018年4月16日22:41

マダムさん

薪を取りに来ていたのは事実らしいですが、あの当時の子供が背負っていたのは薪というより「シバ」(お爺さんが山へシバ刈りにの)だったそうです。 その名残でうちの近所の山には「矢佐芝」という地名が残っているらしいです。近所と言っても頂上まで上がると1200メートル近いので大人の足で4時間位です><(頂上は明神ヶ岳)多分ですが、銅像を作る時にシバ(竹箒くらいの小枝?)だと作りにくいから太い薪を背負わせたんだと思います^^;

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