ついこの間、小、中の同級生が火事で他界したことを書いた気がする。
亡くなったのは妻のはとこの奥さん。
小田原の学校を出て薬剤師になって奥さんの実家のある千葉県へ引っ越した。
子供はいない。
年齢が僕のひとつ下。(奥さんも)
多分だけど、向こうに家を建てたし、仕事だって向こうにあるので奥さんが亡くなったからといってこっちに帰ってはこないだろう。
だからといって奥さんという繋がりがないのに向こうのご両親とこれからもおつきあいするのか?
20年近く義理の間柄を続けていくと「情」が湧くのだろうか?
細くて色が白くて綺麗な奥さん。
そうか、また一人旅立たれてしまったのか。
と朝から驚いている。(驚きよりもまあこれからどうするんだろ?って思ったけどね?)
僕の場合、万が一妻が死んでも今は子供を連れて実家へ帰れないなあ。
例の一件で僕はまだ謝罪されてないし怒りが治まったわけではない。(ただ、書かないだけです)
僕はこう見えても親なので子供がやりたいようにやりたいことを歩める人生であればそれでいいと思う。
だから法的に離婚が面倒なので「卒婚」あたりを落とし所に自由にさせてもらおうとプランを練っている(笑)
麒麟の田村が父親に「解散!」と言われて一家が離散したように俺も時期が来たら家族を集めて「ここで卒業! みんな自分の力でしっかり生きろよ!」と言ってみたい。(できるかどうかは別にして)
ただ、面倒なそういう絡みもそれは僕が「妻帯者」だから言えるのであって「結婚してない人」「結婚してても子供をが居ない人(いらないと作らなかったひと、欲しかったけど出来なかった人)」もそういうものはない。
あるからに故、悩めるいわば贅沢な問題なのかもな。と。
話を戻そう。
上記の夫婦は「子供を作らなかった」(真意は知らない)だから彼らの意思を継いで生きてゆく遺伝子は今のところない(彼が再婚して子供が出来たら別だけど)
ついでにいうと元小田原にいた彼は姉と妹がいるけど、子供はいない。(姉は結婚すらしていない)
そうすると今おばさんとお姉さんと住んでる家はどうなるんだろ?と思ったりもする。(そりゃあ法定相続人に渡るのだろうけどね?)
実は彼の父は既に故人になっていて確かがんだったと思う。(奥さんは肺がん)
一生かけて夫婦で(おばさんも定年まで仕事をした)子供三人を育てて家を建てて死ぬ時に孫の顔は見られずに(もちろん今日まで生きていても見られないのだけど)ひっそりとこの世と別れを告げる。
一方で勢いとは言え祖父母にひ孫を見せてあげたいと出来損ないの男を捕まえて小田原に据え置いて女系家族の中でただ一人の男子を授かり、産み育てている。そのあとには女児も授かり、(一応見た目には)幸せそうに見える夫婦。
幸せというのは難しいなと思う。
余談だけど、ウチの両親は他界したその大和の船員だった妻の祖父が「生まれました!男の子です!」と言われた瞬間、車椅子を降りて病室の方へ歩いて行ったのを目の当たりにしている。
僕は当時ヘロヘロだったので付き添いが終わって息子を抱っこして写真撮ったら多分、待合室で寝た気がする。
すべての命の誕生には感動のドラマがあったとは思うのだけど、その終息にはやはり虚しさと悲しさが多くの場合ついてくる。
「それで幸せな人生だったのか?」
これはこれからの僕が一生抱えていく課題でもありその答えを見つけるべくこうしてない頭を動かし、記している。
彼女は死んじゃって僕とあったことなんかもう忘れているかも知れないけど少なくともその死は僕の人生に一石を投じた。
まだ50にも届かずに他界した彼女の冥福を祈りたいと思う。
合掌
亡くなったのは妻のはとこの奥さん。
小田原の学校を出て薬剤師になって奥さんの実家のある千葉県へ引っ越した。
子供はいない。
年齢が僕のひとつ下。(奥さんも)
多分だけど、向こうに家を建てたし、仕事だって向こうにあるので奥さんが亡くなったからといってこっちに帰ってはこないだろう。
だからといって奥さんという繋がりがないのに向こうのご両親とこれからもおつきあいするのか?
20年近く義理の間柄を続けていくと「情」が湧くのだろうか?
細くて色が白くて綺麗な奥さん。
そうか、また一人旅立たれてしまったのか。
と朝から驚いている。(驚きよりもまあこれからどうするんだろ?って思ったけどね?)
僕の場合、万が一妻が死んでも今は子供を連れて実家へ帰れないなあ。
例の一件で僕はまだ謝罪されてないし怒りが治まったわけではない。(ただ、書かないだけです)
僕はこう見えても親なので子供がやりたいようにやりたいことを歩める人生であればそれでいいと思う。
だから法的に離婚が面倒なので「卒婚」あたりを落とし所に自由にさせてもらおうとプランを練っている(笑)
麒麟の田村が父親に「解散!」と言われて一家が離散したように俺も時期が来たら家族を集めて「ここで卒業! みんな自分の力でしっかり生きろよ!」と言ってみたい。(できるかどうかは別にして)
ただ、面倒なそういう絡みもそれは僕が「妻帯者」だから言えるのであって「結婚してない人」「結婚してても子供をが居ない人(いらないと作らなかったひと、欲しかったけど出来なかった人)」もそういうものはない。
あるからに故、悩めるいわば贅沢な問題なのかもな。と。
話を戻そう。
上記の夫婦は「子供を作らなかった」(真意は知らない)だから彼らの意思を継いで生きてゆく遺伝子は今のところない(彼が再婚して子供が出来たら別だけど)
ついでにいうと元小田原にいた彼は姉と妹がいるけど、子供はいない。(姉は結婚すらしていない)
そうすると今おばさんとお姉さんと住んでる家はどうなるんだろ?と思ったりもする。(そりゃあ法定相続人に渡るのだろうけどね?)
実は彼の父は既に故人になっていて確かがんだったと思う。(奥さんは肺がん)
一生かけて夫婦で(おばさんも定年まで仕事をした)子供三人を育てて家を建てて死ぬ時に孫の顔は見られずに(もちろん今日まで生きていても見られないのだけど)ひっそりとこの世と別れを告げる。
一方で勢いとは言え祖父母にひ孫を見せてあげたいと出来損ないの男を捕まえて小田原に据え置いて女系家族の中でただ一人の男子を授かり、産み育てている。そのあとには女児も授かり、(一応見た目には)幸せそうに見える夫婦。
幸せというのは難しいなと思う。
余談だけど、ウチの両親は他界したその大和の船員だった妻の祖父が「生まれました!男の子です!」と言われた瞬間、車椅子を降りて病室の方へ歩いて行ったのを目の当たりにしている。
僕は当時ヘロヘロだったので付き添いが終わって息子を抱っこして写真撮ったら多分、待合室で寝た気がする。
すべての命の誕生には感動のドラマがあったとは思うのだけど、その終息にはやはり虚しさと悲しさが多くの場合ついてくる。
「それで幸せな人生だったのか?」
これはこれからの僕が一生抱えていく課題でもありその答えを見つけるべくこうしてない頭を動かし、記している。
彼女は死んじゃって僕とあったことなんかもう忘れているかも知れないけど少なくともその死は僕の人生に一石を投じた。
まだ50にも届かずに他界した彼女の冥福を祈りたいと思う。
合掌
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