長年に渡り続いてること
2018年3月5日 時事ニュース コメント (6)手を使い作業すること。
プラモデル、日曜大工、植木の剪定、簡単な縫い物、写真、カメラ、文章(文字)を記すこと、料理(家事)、バイクに乗ること。
鉋の刃だって研いで使っていた。
小学生の時、裁縫を習ったあと、近所の裁縫洋品店でフェルトを買って(おばちゃん奇異の目で見てた)小銭入れや筆入れ何かを作った(笑)
中学に入り技術家庭で木工を習うと本棚や釣りのときに腰掛ける椅子なんかも廃材を貰ってきて作った。
多分だけど、説明書と道具が揃っていればログハウスなんか作れそうだ(材料木だからね)
売ったりはしないけど100均で材料を買ってきて判子を彫ったり、コサージュっぽい物を作ったりもした。(5月の祭りで帽子に飾るために)
基本「ないものは作ってしまえホトトギス」なのでコレが変な方向へ進んで印刷屋さんで技術を学んで「金が無いから金を作ろう」とならなかったのはよかった(笑)
コスプレというのが流行る随分前、聖闘士星矢が流行った時、聖衣をダンボールで作ったりもした。木工の技術で西洋風の剣を作ったりもした(自己満足用)
だからキットで売っていた南蛮甲冑を作っていた時は楽しかった。
兜は厚紙と石粉粘土で作った(5月の小田原は晴れると結構熱いので頭が蒸れるし兜は数年被っていない)
一階の和室の畳が沈んだ所も畳を上げて土台を組み直してコンパネ張って直したりした。
物を作る事、直すこと、それを使い続けることは好きみたいだ。
後悔はしてないけど、たまに「中卒で大工か水道屋」になったほうが「向いていた」ような気もする(笑)
とんでもない悪筆なのだけど、文字を書くことも好きでかれこれ30年くらいは続いている。
俳句を作ったり、詩を書いたり、向いてないけど小説を見よう見まねで書いたり。
大学生の時は友人と協力して限定百部の読み物を刷ったり(印刷屋に外注に出したら一冊千円になった)もした。
あの頃は若かったので左から開けると僕のページ(横書き)右から開けると縦書きの友人のページの本(読み物)なんてものをするのによくもまあ小山市の印刷屋さんも仕事をしてくれたのだと思う(汗)
その後、彼は文章を書くことを辞めて(多分)人間に関することを生業として彩の国埼玉で仕事をしてる(のだと思う) 20年以上続いた年賀状のやり取りは数年前を持って止まってしまった、まあそういうことだと思う。
僕は青春の汚点として二冊の詩集を作った。今となっては恥ずかしくて目を通せない(涙)
今よりもずっとずっと純粋で「言葉が世の中を変えていける」と信じていた若い頃の話なのでなかったことにしたいくらいだ。
過去に二度、人生に迷い(今も彷徨っているけど)手相を見てもらったことがある。
一人目の人は3000円で「貴方は何をやっても大成します、力がありますから」と言った。
二人目の人は1000円で「50歳くらいから今までとは違った人生を送ります、言語に関する何かで今までとは比べ物にならない用な忙しい人生を送りますよ」と言った。
お金を払ってないという点でいうと弟も俺の手相を眺めて「先祖の墓参りしてるな? 守られている」と断言した(笑)
手相も見たりするけど、(聞きかじり程度)僕が見ているのは「人相と性格の関係」だったりもする。
寒い所に住む人は用心深く、慎重でおとなしいイメージ。
常夏の所に住む人は浅はかで、大胆で明るく、細かいことを気にしないイメージ。
ただ、別に人相学の有名所に師事して勉強してるわけではないので細木さんのように人間を数などに体系化してガッツリとした雛形を作っていないので生業にはならなそうだ(あの人は金遣い荒いよ、とか意外と家に入ると家事を上手くできるよ、的なものだけ)
人の顔と性格との関係を(多くはテレビに頼る)知るのに「人見知り」という致命的な弱点もある(笑)
新しい人と仲良くなるのは結構時間が掛かるし、PTAの役員をやっていた時は「向こうはこっちを知ってるけど、こっちは向こうを知らない」状態だったのでかなり疲弊した(スーパーなどで挨拶されても誰かわからないw)
実はこうやって今も「主夫」として暮らしているけど、週末は平日と比べて予定がイレギュラーになるのでペースが崩れて疲れる(笑)
皆は月曜の朝、四時くらいから起きて、仕事と学校へ行く。
うちの地区は今日は紙、布の日でこれから細かい雑紙をまとめて出したりして雨が降る前に肉の買い出しに行ければいいなと思う。
毎年毎年春が来るけど、僕の人生の僕のなるべきものは霞がかかっていてまだまだ見えない。
さて、時間だ 紙、片付けますね~
今日もあまり意味のない駄文を読んで頂き、ありがとうございます。
プラモデル、日曜大工、植木の剪定、簡単な縫い物、写真、カメラ、文章(文字)を記すこと、料理(家事)、バイクに乗ること。
鉋の刃だって研いで使っていた。
小学生の時、裁縫を習ったあと、近所の裁縫洋品店でフェルトを買って(おばちゃん奇異の目で見てた)小銭入れや筆入れ何かを作った(笑)
中学に入り技術家庭で木工を習うと本棚や釣りのときに腰掛ける椅子なんかも廃材を貰ってきて作った。
多分だけど、説明書と道具が揃っていればログハウスなんか作れそうだ(材料木だからね)
売ったりはしないけど100均で材料を買ってきて判子を彫ったり、コサージュっぽい物を作ったりもした。(5月の祭りで帽子に飾るために)
基本「ないものは作ってしまえホトトギス」なのでコレが変な方向へ進んで印刷屋さんで技術を学んで「金が無いから金を作ろう」とならなかったのはよかった(笑)
コスプレというのが流行る随分前、聖闘士星矢が流行った時、聖衣をダンボールで作ったりもした。木工の技術で西洋風の剣を作ったりもした(自己満足用)
だからキットで売っていた南蛮甲冑を作っていた時は楽しかった。
兜は厚紙と石粉粘土で作った(5月の小田原は晴れると結構熱いので頭が蒸れるし兜は数年被っていない)
一階の和室の畳が沈んだ所も畳を上げて土台を組み直してコンパネ張って直したりした。
物を作る事、直すこと、それを使い続けることは好きみたいだ。
後悔はしてないけど、たまに「中卒で大工か水道屋」になったほうが「向いていた」ような気もする(笑)
とんでもない悪筆なのだけど、文字を書くことも好きでかれこれ30年くらいは続いている。
俳句を作ったり、詩を書いたり、向いてないけど小説を見よう見まねで書いたり。
大学生の時は友人と協力して限定百部の読み物を刷ったり(印刷屋に外注に出したら一冊千円になった)もした。
あの頃は若かったので左から開けると僕のページ(横書き)右から開けると縦書きの友人のページの本(読み物)なんてものをするのによくもまあ小山市の印刷屋さんも仕事をしてくれたのだと思う(汗)
その後、彼は文章を書くことを辞めて(多分)人間に関することを生業として彩の国埼玉で仕事をしてる(のだと思う) 20年以上続いた年賀状のやり取りは数年前を持って止まってしまった、まあそういうことだと思う。
僕は青春の汚点として二冊の詩集を作った。今となっては恥ずかしくて目を通せない(涙)
今よりもずっとずっと純粋で「言葉が世の中を変えていける」と信じていた若い頃の話なのでなかったことにしたいくらいだ。
過去に二度、人生に迷い(今も彷徨っているけど)手相を見てもらったことがある。
一人目の人は3000円で「貴方は何をやっても大成します、力がありますから」と言った。
二人目の人は1000円で「50歳くらいから今までとは違った人生を送ります、言語に関する何かで今までとは比べ物にならない用な忙しい人生を送りますよ」と言った。
お金を払ってないという点でいうと弟も俺の手相を眺めて「先祖の墓参りしてるな? 守られている」と断言した(笑)
手相も見たりするけど、(聞きかじり程度)僕が見ているのは「人相と性格の関係」だったりもする。
寒い所に住む人は用心深く、慎重でおとなしいイメージ。
常夏の所に住む人は浅はかで、大胆で明るく、細かいことを気にしないイメージ。
ただ、別に人相学の有名所に師事して勉強してるわけではないので細木さんのように人間を数などに体系化してガッツリとした雛形を作っていないので生業にはならなそうだ(あの人は金遣い荒いよ、とか意外と家に入ると家事を上手くできるよ、的なものだけ)
人の顔と性格との関係を(多くはテレビに頼る)知るのに「人見知り」という致命的な弱点もある(笑)
新しい人と仲良くなるのは結構時間が掛かるし、PTAの役員をやっていた時は「向こうはこっちを知ってるけど、こっちは向こうを知らない」状態だったのでかなり疲弊した(スーパーなどで挨拶されても誰かわからないw)
実はこうやって今も「主夫」として暮らしているけど、週末は平日と比べて予定がイレギュラーになるのでペースが崩れて疲れる(笑)
皆は月曜の朝、四時くらいから起きて、仕事と学校へ行く。
うちの地区は今日は紙、布の日でこれから細かい雑紙をまとめて出したりして雨が降る前に肉の買い出しに行ければいいなと思う。
毎年毎年春が来るけど、僕の人生の僕のなるべきものは霞がかかっていてまだまだ見えない。
さて、時間だ 紙、片付けますね~
今日もあまり意味のない駄文を読んで頂き、ありがとうございます。
コメント
作り出せる能力があるって凄いです。ものでも文章でも。
私は欠落していますから妄想は出来ても想像するとネガティブ思考になり、なぜか悪い予感ばかり当たるという見え透いた人間。
夫から実家の父親そっくりと言われ、凹んでます。
マサムネさんの人生がどの様に展開されるか拝見できるのが楽しみです。
まずは試験頑張ってくださいね。応援してますね。
以前にも書きましたけど上の文中に書いた友だちが「なんでもできるってことはなんにもできないことだよな?」と居酒屋でボソっと言ったのが20年以上たった今でも心に残っています。こうやって色々と書き記していますが、僕も割りと心配症で常に「最悪の事態」を想定していたりします(割りと人ってネガティブなものです)今、紙類を出して一息ついて(アークロイヤル・パラダイスティは香織が3日で飛んじゃうな)アマゾンで頼んだ荷物を待っているところです。 20代の僕には今の人生が想像できなかったように、きっと今の僕にもこれから先の人生なんてわからないですね。応援、ありがとうございます。過去問の丸暗記、頑張ります!
最近作は紋ちゃん用の玄関逃亡防止柵です。手芸も好きでミシン掛けは夫の役目(?)料理も好きですし(^
強度が必要な部分は僕もミシンかけちゃいます。ただ、弟の奥さんが料理も裁縫も全くできない人なのであまりできるをアピールすると・・・・。 けど、水引テープでカバン作って道の駅で売ってるみたいですね、彼女は。竹割ってザルもやり方覚えたら作れそうだな^^
内容はどうでもいい事だったので、省略しますが・・・
籐でカゴを作った事がありますが(あまりに不細工で即止めた!)器用なマサムネさんだったら、簡単に笊は作れると思います(^O^)
河原に生えてる名称不明のつるでクリスマスリースの土台を作ったことはありますがそんな「器用」というほどではありません。典型的な器用貧乏ですね(涙)