誕生日というのは覚えているものだな。
2018年1月10日 時事ニュース コメント (2)今日は僕が若い時に心を寄せていた女性の誕生日。
長子 丑年 O型の僕と末子 兎年 A型の彼女(共に山羊座だ!)
上手く行きませんでした><
まだ僕も若かったし、髪の毛もあったし、理路整然と物事を考えられる頭もなかった。
人生経験も乏しくて社会的信用もなくてね?
海へ出かけたりドライブ行ったり割りと脈ありだと思っていたのだけど、最終的にダメでした。
実は携帯なんか持って無くて(ポケベルくらいか?あってもさ)彼女は最初の頃は古河に居たけど、資格取ったら伊豆の熱川に引っ越しちゃってね?
ドラマみたいだけど毎週毎週手紙を書いて局の窓口に持っていった(枚数が多いので大概、加算料金になる)
その後、数年努めた後で彼女は故郷へ帰り、なんの縁か僕はその伊豆半島の付け根の要衝小田原に住んでいる。
実家から高速を飛ばして首都高に繋いで向島線を経由して東名へ繋いで、厚木から小田原方面へ向かって小田原から下道を行くんだけど、一号線が135号と分岐する東海道線のガードの手前を左に曲がるととてもワクワクしたのを今でも覚えている。
右に山、左は海。道はグニャグニャで多分渋滞もしていたのだろうけど、キラキラと光る海を眺めながらタバコをふかして渋滞すら楽しんでいた。
ただ、向かう時はいいんだけど、帰りが切なくてね?
バックミラーに映る彼女がだんだんと小さくなり、日常へ戻らないといけない。
伊豆半島の付け根へ来ると来る時にあんなにワクワクした曲がり角がね悔しいやら切ないやらでね? 当時、城山をぶち抜いたトンネルはなかったので基本左へ行くと箱根、三島で右が横浜、東京方面だった。
それでも行くときは高速使うのだけど(笑)帰りはめんどいから下道。
ただ、渋滞にうんざりすると高速に入っていたと思う。
伊豆半島に入るには実は箱根を越えて三島から韮山を抜けて熱海方面へ行く道もなくはない。高速を使って沼津まで行っちゃって戻ってくる道もある。ただ、最初が一号線だったので他の道を使ってもあんまりワクワク感がない。(なかったと思う)
僕は安定型の山羊座の中では異端児なので10代で資格を取って一生の生業をなんてことを爪の先ほども考えていなかった。
彼女が取った介護の資格はその後高齢化社会に則してきっと引っ張りだこになっていたと思う。(昔は金なら看護の方がいいという時代があった今もそうかな?)
僕の中で彼女は20代のままで若い。(笑)
40代になった彼女や結婚して子供を(機会があれば)産んだりというイメージは沸かない。
バックミラーの中で小さく手を振っていたイメージである。
きっともう、接点はなくて会うこともないだろうけど、一応彼女の誕生日を彼女の好きだった伊豆半島の付け根で小さく祝したいと思う。
長子 丑年 O型の僕と末子 兎年 A型の彼女(共に山羊座だ!)
上手く行きませんでした><
まだ僕も若かったし、髪の毛もあったし、理路整然と物事を考えられる頭もなかった。
人生経験も乏しくて社会的信用もなくてね?
海へ出かけたりドライブ行ったり割りと脈ありだと思っていたのだけど、最終的にダメでした。
実は携帯なんか持って無くて(ポケベルくらいか?あってもさ)彼女は最初の頃は古河に居たけど、資格取ったら伊豆の熱川に引っ越しちゃってね?
ドラマみたいだけど毎週毎週手紙を書いて局の窓口に持っていった(枚数が多いので大概、加算料金になる)
その後、数年努めた後で彼女は故郷へ帰り、なんの縁か僕はその伊豆半島の付け根の要衝小田原に住んでいる。
実家から高速を飛ばして首都高に繋いで向島線を経由して東名へ繋いで、厚木から小田原方面へ向かって小田原から下道を行くんだけど、一号線が135号と分岐する東海道線のガードの手前を左に曲がるととてもワクワクしたのを今でも覚えている。
右に山、左は海。道はグニャグニャで多分渋滞もしていたのだろうけど、キラキラと光る海を眺めながらタバコをふかして渋滞すら楽しんでいた。
ただ、向かう時はいいんだけど、帰りが切なくてね?
バックミラーに映る彼女がだんだんと小さくなり、日常へ戻らないといけない。
伊豆半島の付け根へ来ると来る時にあんなにワクワクした曲がり角がね悔しいやら切ないやらでね? 当時、城山をぶち抜いたトンネルはなかったので基本左へ行くと箱根、三島で右が横浜、東京方面だった。
それでも行くときは高速使うのだけど(笑)帰りはめんどいから下道。
ただ、渋滞にうんざりすると高速に入っていたと思う。
伊豆半島に入るには実は箱根を越えて三島から韮山を抜けて熱海方面へ行く道もなくはない。高速を使って沼津まで行っちゃって戻ってくる道もある。ただ、最初が一号線だったので他の道を使ってもあんまりワクワク感がない。(なかったと思う)
僕は安定型の山羊座の中では異端児なので10代で資格を取って一生の生業をなんてことを爪の先ほども考えていなかった。
彼女が取った介護の資格はその後高齢化社会に則してきっと引っ張りだこになっていたと思う。(昔は金なら看護の方がいいという時代があった今もそうかな?)
僕の中で彼女は20代のままで若い。(笑)
40代になった彼女や結婚して子供を(機会があれば)産んだりというイメージは沸かない。
バックミラーの中で小さく手を振っていたイメージである。
きっともう、接点はなくて会うこともないだろうけど、一応彼女の誕生日を彼女の好きだった伊豆半島の付け根で小さく祝したいと思う。
コメント
「バックミラーに中で小さく手を振る」う〜ん!!ステキな表現。
ドリカムの歌みたいですよ〜!!マサムネさん、ロマンチック。
そっかそっか、そんな気持ちで通ったんですね〜!!
私も夫とはちょっとした遠距離で、月に一度会えれば良い方だったんですよ。
あの頃思い出しました。(笑)
若いときの気持ち丸出しでお恥ずかしいです^^ けど、あれはなんとも言えない高揚感と喪失感でしたね。 見送る人、見送られる人の寂しさについては第二弾があるのですが、それはまたの機会に。
歌詞にしてみますかね? あの当時の気持ちを^^;