ここにこうやって書くのも一応気持ちが形になって文字になる。
ただ、今回のは音を含む「言葉・会話」の話。
口に出して言うというのは恐らく、自己暗示を含んでいると最近思う。
勿論、僕はそんなには口に出さないけど「今自分があるのは位置世代前の両親の人生の賜物」だし、「それよりずっとずっと手前の先祖達の一生」があったからだと思う。
勿論その先の世代へ命をつなげるかどうかというのは運もあるだろうし縁もある。ただ、つなげた人は儲けものぐらいなもので、別に繋げなかったとしてもそれだけが人生ではないと思う。
それよりも、今生まれてきてこうして生きているということを両親や先祖、うちでいえば妻の方の祖先にも同じように感謝すべきだとおもう。
なので、僕は妻の実家へ上がらせてもらった時は真っ先に仏間へ行き(真っ先にトイレのときもある)線香をつけて「今日はお邪魔します」と手を合わせる。
岳母の妹の家には妻の母方の祖父母の遺影と仏壇がある。(僕のことを水商売の男なんてと初対面でおっしゃった人です) こちらへ来た当初かなり風当たりが強かったけど、真面目に生きることで信頼を得てきた(と思う)
おばあちゃんの晩年、マクドナルドで買ってその家で食べたのが僕らの一緒の最後の食事になった。(クリームソーダを美味しそうに飲んでいた)
おじいちゃんは無口な人で頭を少し下げるだけで会話らしい会話はしなかった。
いつもリビングの一番奥の席に座り、新聞を読んだりお茶を飲んでいた。(大和の最後の寄港先で降ろされた人)
そうだ、爺ちゃんついでにうちの方は(父方)かなり波乱万丈な人生を送った。磯原の方の炭鉱で働いて戸籍上実子をもうけた結婚は2回。ただ、戸籍に入らない物を含めると奥さんは八回くらい変わったらしい(笑)
「保」「勝」「力」と「勝田のおばちゃん」までが上の奥さんの子供。
「父」「茅ヶ崎のオバサン」が川崎のおばあちゃんの子供。
僕から見て力さんより上は名前が示すように戦時中に生まれてつけられた。(残念なことにふたりとも早逝して現在は他界した)
そういう話って二十歳越えてから言われることが多く、僕は四人兄弟の次男だとばかり思っていた。
力さんは仕事中の事故(交通事故ではない)で亡くなって小山に子供二人とおばさんが暮らしてる(と思う)
川崎のおばあちゃんの実質長男の父と妹、腹違いの勝田のおばちゃんが多分存命中。
こう考えると僕の祖父は長生きだったけど(明治44年生まれ)子供は父を除き、皆早くに旅立ってしまったようだ。
力さんがなくなったあとで様々なバランスが崩れて面倒なことになるのだけどおここでは書かない。
僕がいいたいのは様々な人が今ある自分を気遣い、支え、僕は生きている。
僕は幸運にも女系一家の中でも久々の男子を授かることができたし、もう一人娘も授かり、世代交代することができた。
一方、義理の妹や岳母の妹さんのように結婚しても子供がいなかったり結婚生活そのものが破綻するなんてこともある。
それでも、彼女たちは恐らく思いがあり、僕らを支えてくれている。
ウン十ウン年前の今朝5:38分に僕は生まれたけど、泣かなかったらしい(笑)
昔の産婆さんは割りと荒っぽくて足を掴んで身体を叩いて泣かない子は無理やりに産声をあげさせたと聞いた。(勿論僕はひっぱたかられたのは覚えてない)
そうやって生まれた僕もこの年になって「命のありがたみ」が分かるようになったし、こうして文字にして残せる能力も身につけることができた。
生まれてきたことに感謝して生かされている事に感謝する。
誕生日はそういう日であると思いたい。
ただ、今回のは音を含む「言葉・会話」の話。
口に出して言うというのは恐らく、自己暗示を含んでいると最近思う。
勿論、僕はそんなには口に出さないけど「今自分があるのは位置世代前の両親の人生の賜物」だし、「それよりずっとずっと手前の先祖達の一生」があったからだと思う。
勿論その先の世代へ命をつなげるかどうかというのは運もあるだろうし縁もある。ただ、つなげた人は儲けものぐらいなもので、別に繋げなかったとしてもそれだけが人生ではないと思う。
それよりも、今生まれてきてこうして生きているということを両親や先祖、うちでいえば妻の方の祖先にも同じように感謝すべきだとおもう。
なので、僕は妻の実家へ上がらせてもらった時は真っ先に仏間へ行き(真っ先にトイレのときもある)線香をつけて「今日はお邪魔します」と手を合わせる。
岳母の妹の家には妻の母方の祖父母の遺影と仏壇がある。(僕のことを水商売の男なんてと初対面でおっしゃった人です) こちらへ来た当初かなり風当たりが強かったけど、真面目に生きることで信頼を得てきた(と思う)
おばあちゃんの晩年、マクドナルドで買ってその家で食べたのが僕らの一緒の最後の食事になった。(クリームソーダを美味しそうに飲んでいた)
おじいちゃんは無口な人で頭を少し下げるだけで会話らしい会話はしなかった。
いつもリビングの一番奥の席に座り、新聞を読んだりお茶を飲んでいた。(大和の最後の寄港先で降ろされた人)
そうだ、爺ちゃんついでにうちの方は(父方)かなり波乱万丈な人生を送った。磯原の方の炭鉱で働いて戸籍上実子をもうけた結婚は2回。ただ、戸籍に入らない物を含めると奥さんは八回くらい変わったらしい(笑)
「保」「勝」「力」と「勝田のおばちゃん」までが上の奥さんの子供。
「父」「茅ヶ崎のオバサン」が川崎のおばあちゃんの子供。
僕から見て力さんより上は名前が示すように戦時中に生まれてつけられた。(残念なことにふたりとも早逝して現在は他界した)
そういう話って二十歳越えてから言われることが多く、僕は四人兄弟の次男だとばかり思っていた。
力さんは仕事中の事故(交通事故ではない)で亡くなって小山に子供二人とおばさんが暮らしてる(と思う)
川崎のおばあちゃんの実質長男の父と妹、腹違いの勝田のおばちゃんが多分存命中。
こう考えると僕の祖父は長生きだったけど(明治44年生まれ)子供は父を除き、皆早くに旅立ってしまったようだ。
力さんがなくなったあとで様々なバランスが崩れて面倒なことになるのだけどおここでは書かない。
僕がいいたいのは様々な人が今ある自分を気遣い、支え、僕は生きている。
僕は幸運にも女系一家の中でも久々の男子を授かることができたし、もう一人娘も授かり、世代交代することができた。
一方、義理の妹や岳母の妹さんのように結婚しても子供がいなかったり結婚生活そのものが破綻するなんてこともある。
それでも、彼女たちは恐らく思いがあり、僕らを支えてくれている。
ウン十ウン年前の今朝5:38分に僕は生まれたけど、泣かなかったらしい(笑)
昔の産婆さんは割りと荒っぽくて足を掴んで身体を叩いて泣かない子は無理やりに産声をあげさせたと聞いた。(勿論僕はひっぱたかられたのは覚えてない)
そうやって生まれた僕もこの年になって「命のありがたみ」が分かるようになったし、こうして文字にして残せる能力も身につけることができた。
生まれてきたことに感謝して生かされている事に感謝する。
誕生日はそういう日であると思いたい。
コメント
最近、ご実家とも密になられた様子。
喜ばしく思ってました。
ただ、16号は大幹線道路。
くれぐれも、走行にはお気をつけ遊ばせ!
我が家も、明後日頃、お墓参りに行くために16号を横切ります。(笑)
檜原街道を西に行きます。
ステキな事が沢山ありますように〜!!
40代はお子様の成長、お仕事等一番大変な世代ですね。でも、まだ体力もあり気力も充実して(いるはず?)ますよね。
ご先祖様を大切になさる事は、現代人がおざなりにしがちなのに素晴らしいことですよ(^^♪ 私も見えない力=きっとご先祖様が守ってくれる力を信じています。
空から見守って下さるご先祖様だけでなく、身近なご両親様たちを大切になさることは真似したいと思います・・・もっとも生存しているのは私の母だけですが。
マサムネさんの生き方は、お子様方も黙って見ているようでも、大人になった時にきっとマサムネさんと同じようにご先祖様を大切にされるのは間違いないでしょう。
楽しいブログを続けてくださいね♪
四号線と一五号線と一号線が遅いのは身をもって知りました。 時間が勿体無いので大井松田から入間まで使ってあとは16号で行き来しようと思います。コメントありがとうございます。お気をつけて~
ありがとです~ 今晩は誕生会を妻のおばの家でやってくれます~ ワイン飲んでブッシュドノエル食べますね~ よいクリスマスをお過ごしください。
僕は組織が向いてないようでそれを30代に知ることができました。体力は病気になる前以上に戻りましたが昔のように「なんでもやってやるぞ!」という気力は今だに戻ってきません(涙) それでも色々な資格を取りお金をやりくりして栄養バランスを考えて縁の下で家を支えています。 こう言うやり方であっても誰かのためになって生きていると見つめ直すチャンスができたので結果的に「いい経験」をしたと思っています。 あと10-15年くらいはなんとかやっていかないといけませんね。手のひらの神秘十字線が消えないように大切にします。コメントありがとうございます。