僕がまだ髪の毛フサフサで女性のじも知らなかったうら若き16さい。

僕の通っていた高校で体育の持久走の時間に心臓麻痺を起こして救急車で運ばれた人が学年に居たとお昼に聞いた。

授業が終わり、緊急の全校集会があると聞き、体育館に向かう途中、同じクラスから同じ高校に入った中学のクラスメイトが僕のところに血相を変えて飛んできて

「倒れたってM君だって!」という。

おまけに彼は亡くなったと。

集会の間僕はずっと泣いていた。

クラスに戻っても泣いていた。

今思い出しても目頭が潤んでくる。

僕はその日まで「無遅刻、無欠課、無早退」の皆勤賞を狙っていたのだけどそんなものはすっ飛んで学校を一週間休んだ。

彼が他界して人生観は変わった。

しみじみと「人は死ぬ、確実に死ぬ」という事を実感させられた。

僕は転校(第一希望だった工業高校へ)すら考えた。

自分は命があり、やりたいことも見つからずに(いまだ)のほほんと生きている。死んでしまった彼に申し訳ない!と。

クラスの担任に伝えると「今転校するより、高校3年をやりきったほうがいい」と正確無比なアドバイスに従うことにした

彼の死後僕にはもう一人のクラスメイトとの生徒会長選挙での一騎打ちやらその後の確執やらで波乱に満ちた高校生活を送ることになるのだけど今はそれは置いといて。

第一次世界大戦が終わった日(と中学の生徒手帳のダイアリーに書いてある)

その下に小さく「M君の誕生日」とひねくれ者の僕は書き記した。

生きていれば、僕より先に年を重ねるわけだけど、彼は16歳で死んでしまったのでその時は止まったままだ。

招雲浄光信士

彼の戒名の通りにそらの上から雲を招き光を浄化すべく励んでいるのか?

それとも生まれ変わって新しい命として大地に降り立ち苦しみ、悩んでいるのか?

今日はそんな彼の誕生日です。

コメント

まるこ
2017年11月11日14:53

若いのにお気の毒な話ですね。
お悔やみ申し上げるのも辛いです。
人間の生死ってわかりませんね。若い頃は延々と人生は続くものだと思っていました。が、色んな経験や体験をして、イヤそうじゃないんだってわかって。
戒名。菩提寺の住職はその人の生き様を文字にして入れると言ってましたが。
そうですか。お誕生日ですか。
16歳から随分経った今でもきちんと覚えているマサムネさん。尊いですね。

マサムネ
2017年11月11日18:13

まるこさん

お坊さんの話を告別式の時に聞いていました。 akb48の顔と名前イッチするのはすごおおく時間かかりますが、小学校、中学校、くらいの同級生の顔と名前は思い出せます。(俺が21世紀少年に登場したら話がめちゃくちゃになるW) 高校になると学区が広くて、顔と名前と自宅が一致しないのですね^^ 近所でもないし。 先日の火事でまた同級生の人生の加算が止まりましたので多分5-6人は小、中の同級生は他界していますね。勿論僕らも「いつか必ず」死んじゃうわけですが、「生き方」「よい、死に方」というのはいつになっても先人たちから学ぶべきことだと思っています。 新しいこと覚えにくいって老化かしら?(汗)

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