http://www.news24.jp/articles/2017/09/05/07371698.html

昨日の続きになります。

午後になり、二人目の遺体が発見されました。

原因はいずれにしても彼女と彼女のお婆さんが亡くなられたことになるのだと思います。

不動産業をやっていた(その前はお爺ちゃんとかお父さんだったのかな?)お婆さん(14回免許更新してたみたい)

多分母親が後をついで。彼女も? その辺はわかりません。

小学校、中学校が一緒で彼女は確か女子校(当時)へ進学した記憶がある。

クラスに一人いるかいないかの演劇部で文系少女のイメージですね(メガネ有)

僕はクラスが一緒だったのと集会委員会が一緒だったので割りと近くで彼女を見ていました。

深くは追求しませんが、当時、弟が(多分お父さんも)いたはずですが、報道では三人が居住と有りますので何かしらの事情があったのかもしれません。

「人は二度死ぬ」

命が終りを迎えた後、その人のことを誰も知らなくなった時(存在していたことを語る人がいなくなる)の二回。

歴史に名を残してる人は二度目の死が来てないことになる(皆の記憶、口伝と文書と心の中で生きている)

村上春樹のダンス・ダンス・ダンス風にすると
「M君が死んだ、Uっちも死んだ、そして昨日、ネットニュースでHさんも亡くなった事を知った。次は誰だ?」という感じ。

僕らはカミソリの刃の上を進むナメクジのように毎日「生と死」のこちらと向こうをなんとかやり過ごして日々生き延びている。

16歳で心臓麻痺で亡くなる

ハタチそこそこで自死してしまう。

44歳で火事で亡くなる。

多分だけど、皆その日に死ぬとは思っていない。(自死の彼は違うけど)

最終的に僕らは間違いなく死ぬのだけど、その年令で死ぬために生きていない(はずである)

実家の敷地なんかうちの四倍か五倍くらいあって金だって仕事だってあっただろうに。と思う。

燃えてしまったら全部パアだよな。と思う。

何より、死んでしまったら(その先生きられるのに)もったいない。

僕らは今のところは平等に一つずつの命を与えられている。

僕もここでは言えないような(かけないような)窮地を脱して今ここにいたりする。

遠い空の向こうでフッと消えたクラスメイトの命。

他のクラスメイトと同じように「生きることってなんだろう?」「命の使いみち」について考え直すよいきっかけになったと思う。

偶然にも明日の夜、圏央道で実家へ帰る。(24時間だけの帰郷)

花や線香をあげられたらあげてこようと思う。

そういうのが何もなかったら彼女の家に向かって合掌して来ようと思う。

少なくとも僕が生きている間、彼らと本日仲間入りした彼女に二度目の死は来ない。

コメント

まるこ
2017年9月6日6:48

人は二度死ぬ。
まさにそうですね。
私も二度目死なさないように亡くなった人を忘れずにいます。
実家気をつけてお帰り下さいね。

マサムネ
2017年9月6日7:01

まるこさん

お互いになくなってしまった人を大切に忘れずに思い出してあげましょう。それが供養になるのかもしれません。 水曜日の日付の変わる前に出て、向こうを木曜日の日付の変わる頃に出てきます。(深夜割を体験) あとは軽自動車(二輪)と2.0だと更に割引になるんですが、それは先送り事項ですね。気をつけていってきます! ありがとうございます

マダムM
2017年9月6日10:42

お母様の白内障手術、上手くいって良かったですね。中には手術が合わない人もいるようなので。私の母は手術を受け、未だに視力に問題はないようで施設での縫物リハビリが楽しみらしいです(94歳)眼鏡を使用してますが、針の糸通しもバッチリ! 月一帰省は続けて下さい、意外と老化って進むんですよ。

マサムネ
2017年9月6日20:41

マダムさま

同世代のマダムさまに言われたら母に言われてるようで^^; いかないわけにはいかないですね。電話したら「お父さんいないけど?」と言われたけど「説明書のコピーと色々置きに行くからいなくてもいいよ」といいました。 事情があって僕は自宅の庭に車停めたら母が起きるまで車で寝てます。(実家の玄関の鍵持ってないから入れないw) 多分借りてる畑の収穫や草取りもしないといけないだろうし。庭木の刈り込みと買い物の運転手が主ですかね? 深夜一時か二時過ぎに出ようと思います(途中のPAで寝るか、自宅の車庫でビールでも飲んで寝る)

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