同じ釜の飯を食った仲間とは昔言った言葉で(いまでもいうか)「一緒に○○する」という共通認識は人のつながりを強くするようだ。

県西部の小田原から県北東へ大移動する電車通学。(栗平)

「N」の塾で一緒だった五人(六人)がその学校へ合格したのだけど、早速小田原から固まって通うらしい(男子三人、女子三人)

妻は「皆のいる前で全員の連絡先を聞いとくんだよ!」というのだけど、年頃の息子はなかなか切り出せなくて「変なふうにおもわれたらどうしよう」と言ってるらしい(そんな風に思ったり、女子はしない)

そんな初々しい息子は置いといて。

多分通学になれる数ヶ月の間だけだと思うけど、六時代のその電車に(学校に間に合うのは六時三分と六時十七分)乗って通った仲間が高校卒業後も仲良くして・・・・

小田急六時代の会(ひどい名前だ、俺がつけたのだから仕方ない)なんていって各個人が世帯をもっても月一とかで集まって飯食ったり飲んだりするのかな?

なんて思ってしまった。

※岳父はいまでもそうそうたる面々と「オダコー会」(検索避けでカタカナです)を月イチでやってるらしい。

僕は故郷を飛び出したり、故郷に戻ったり、かと思うとまた飛び出したりして(わりと若い時は引っ越しばかりしていた)あいつは連絡がつかないという人になったらしい(笑)

若いときの順応力というのは凄いもので初日にヘロヘロになってたのに二日目は「帰りの電車暇だから音楽聞くやつ買って」と妻にねだったらしい。

僕も大学生の時古河から市ヶ谷まで通ったけど、これがまた一時間半以上かかる。下手すると二時間。

今と違って宇都宮線の池袋行き(乗り換えが便利)は1時間に一本あるかないか。池袋行きに乗れないと、赤羽で悪魔の埼京線に乗り換えることになる(もしくは上野、秋葉原経由で向かう。)

帰りはその時間にピッタリあったりしないから結局、本数のある上野へまわるのだけど・・・・。

ある時期までは一人で大学へいき、一人で帰ってきていた。

大学の友達も二三人居たけど、飲み会をやるほど親しくもない。

というのも、僕は春樹さんと一緒で大学で伴侶を見つけたので言ってみればまだ腐れ縁が続いてることになる(笑)

だから途中からは御茶ノ水で東京行きへ乗り換えて新幹線で帰る彼女を改札で見送り、わりと寂しい気持ちで上野へ向かっていた。

新幹線だから僕が家に着く前にメールなんかで「家に無事につきました」なんてメールが宇都宮線の社内で届くのは日常茶飯事、東京の向こうって遠いな~!とまだ髪の毛のあった僕は思ったものです。

新幹線の改札前で彼女を(今の妻)見送るときに味わった寂しさはなくなったけど、結婚生活の大変さや父親として生きてゆくことがこんなに大変だったと分かっていたらひょっとして寂しい方がよかったかもしれない(故郷の友達と離れなくて住んだからね)

僕が動いたことで妻は僕が味わった別れの辛さやなんともいえない気持ちで暮らす日々の辛さを味合わなくてよかったのかな?なんて思う。

別に息子がその通学の一緒の女子とどーこうではなくて、「変なふうに思われたらどうしよう」なんて言ってるうちが青春真っ盛りだよな!と思う。

こんなこと書いたら変だけど、割りと恋愛なんかどうでもいいやと思っているときに限ってじわりじわりと真綿で首を締められるようにやってくるのが恋愛の怖さである(それがゆくゆく結婚とかなるとさ)

もう一度ああいうのを味わいたいか?と聞かれるとノーである。

文章上ではあの人が可愛いとかオッパイが大きいとかメガネがイカス!とかいうけど、だからと言って恋愛なんかもうしない(笑)

「めんどくせーなあ」と思う。

でも、そう思う割に「オランジーナ」のCMを見て胸がキュンとするのはまだ若い証拠なのだろうか?(変わった所に気づいてほしいのが女子なんだよ!)

※オランジーナ先生のオッパイの破壊力は連邦の白い悪魔のようだ。脱いだらボインってのは最強だよな?

そんな他愛もないことを書きながら夜は更けてゆく。

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