基本弱いものです。(人間スベテが弱いと思いますけど)

僕もそうですが、現実で辛いことがあるから空想や妄想の世界やゲームの世界に逃げこむわけです。

役割として、肉体の構造の違いとして男女があることは否めませんが、そこから生じたできることととできにくいことまで持ち出して「同権」を旗印に男をこき下ろす一部の風潮はとても残念に思います。

さっきもいいましたように、弱いです。

多分ですけど、男子に毎月生理痛があったとしたら男子の半分くらい痛みで発狂しちゃうんじゃないかな?

だから産みの苦しみなんてとんでもない!!(男には死んでも体験できませんが)

生まれて生きているので生きることの辛さや苦しさはわかります。

けど、産みの苦しみと死の瞬間に体験?体感することは多分、ここにはかけません。

僕は割りと若年期に死について真面目に考えました。

(実は毎日毎日死は身近にあると思いながら生きています)

生きる意味や生きてゆくことの先にあるものについても考えました。

たくさんの災害や事件や事故などで多くの命が一瞬でその炎が消えてゆくのも見聞きしました。

「生きることと同じように死もまた身近にある」

「生まれてきた以上、僕らは必ず死ぬ」

「せっかく生まれてきたのだから人生を楽しまないと損だ」

死の話は暗くて重い。

けど、究極を言うならは「楽しんだものがち」ということが齢40を超えて見えてきた真実のような気がする。

楽しむためには色々なものが必要だ。

「お金」「収入の源になる生業など」「目標」「時間」などなど

人生のパートナーなんかもそうかな?(必須ではないけど)

色々なものを見抜く眼力も必要だと思う。

自分のことを表現できる手段も。

もちろん、そういったものを下支えするのが健全な肉体と精神。

完璧に持ってる人なんか居ないと思うけど、(もってたらうらやましいな)そういうものを目指すのも一つのモチベーションの維持につながるのだと思う。

けど、どんなに地位と名声があったとしても僕らを死へと引っ張る強大な力のようなものから完全に逃れることはデキない。(誰しも死んじゃうからね)

医学が進歩して「生き延びること」ができるかもしれないけど、生きてくってことは本当に大変なことだから生き延びることが本当に幸せかもわからない。

けど、自分の大切な人がその死に近づいてると知ったとき、多くの人がそうであるようにまず、受け入れられない。

「現実逃避」

逃避して一旦自分の思考からその悲しい現実を追い出す。(またやってくるけど)

逃避が悪いとは言わない。

いつか受け入れることになるのだから逃避して先延ばしにするのはショックに耐えられる自分の準備をするためにはいいのかもしれない。

僕はやばいもの、危ないものから「逃げる」ことを若い時しなかった。

それどころが、自分の弱さなんか無視して立ち向かった。

僕の中を流れる古い血脈が負け戦に誘うのかもしれないけど、そんなのは現代にはいらない。

現代においては名を残すより、金を残したほうが優秀な種なのだ(笑)

戦うことに意味があるとき、男は強い。

けど、その戦いに大義も名分もないとき、多分弱い。

なので結局死ぬことには意義を見いだせず、生きることに大義をあとで我々が付与したようにも思える。

生きることにも、死ぬことにも意味がある。けど、愛する人の死をあっさりと受け入れられる人なんてこの世のどこにいるだろう?

そういう意味では男も女も弱いのだと思う。


コメント

sunao
2017年1月16日23:37

逃げられない私と、まだ逃げられる彼との間にはなかなか埋まらない溝があるのかもしれません。

マサムネ
2017年1月17日22:03

けど、彼の本心?が見られてよかったんじゃないですかね? 文章だけだと思い切り無関心なのになんで一緒にいるのかな?と感じていたのですが、やっぱりお互い必要だから一緒にいるんだろうな。と。

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