金曜日、同居していた猫が他界したことは書きました。

書かずにはいられなかったし、書いてると泣けてくるし。

けど、人間て不思議です。

時間が経つと濃い目のハイボールにゆっくり炭酸がたされるように悲しみというのはなくならないけど、味わいというか風味が柔らかくなる。

お酒に例えちゃって猫には悪いけど、濃いハイボールも、一口飲み込んでもう一度炭酸を足した薄めのハイボールもいい味わいだということです。

実は猫が他界した瞬間(ほぼ同時刻)鳥取で地震が起きました。

被災した人たちには申し訳ないけど、「こっちは猫が死んだんだ! 地震なんて関係ない!」(グスン)と思っていました。

前にも書いたけど、実母は東日本大震災の日、妻はニューヨーク同時多発テロ(いずれも後付だけど)が誕生日です。

猫が死んだ時間は鳥取大地震(勝手に命名)の時間と変わらない。

忘れたりしないけど、テレビで今後やったりするたびに「あの瞬間、うちの猫はいったんだよな」と思う。

猫の他界に際し、皆様から哀悼のコメント頂き、ありがとうございます。

そう言えば的に、「あ、そうだ? お経?」とコメントから気づき、さてどうするか?とネットを駆使して調べました。

妻の両親のお寺は曹洞宗で、○回忌などで読まれるお経を僕は覚えていました。

それが法華経の如来寿量品です。

法事でそれを見た時(目でおってるだけでもご供養になるとお坊さんから渡された)「曹洞宗でも法華経を読むんだ?」と思いました。

僕は仏教学者じゃないので細かいことは端折りますが、「嘘も方便」という言葉の語源も法華経の「方便品」というお経です。

本当はその曹洞宗のお寺さんで供養してもらえばいいのですが、お寺さんもなんというか「犬猫は畜生だから人と同じところで供養するなんてとんでもない!」というお寺さんとマダムさんが教えてくれたお寺さんのように「ご家族ですからやりましょう、命は人も動物も同じです」というスタンスのところに分かれるようです。

ジャガーノートの忠告を無視して書いちゃうとあの有名な(漫画にもなってる)ブッダが残した色々な教え(高僧が持ち帰る)の経典を元にそれぞれの開祖が開いたのが「浄土宗」「禅宗」「曹洞宗」だったりするわけです。それぞれ大切にしてるお経や唱える題目が違っていてま、ぶっちゃけていうと英語を勉強するときのテキストが違うくらいの違いしかない(はず)です。

元は同じ人が書いた様々な教えですからね。

さて、本題に戻ります。

ちらっとネットで検索するとこの如来寿量品はおそらくは成仏とかそういうことについて書かれている(のだとおもう)

だから法事で読まれる。(曹洞宗)

真言宗や、他の宗教は知りません。(笑)

ということは、猫の魂の成仏を願って僕がお経を上げてもいいのでは?と思うわけです。

なんていうのだろ? 勉強ってのは多分こうやって興味を持ったことを突き詰めてくことなんだろうな?と思うのです。

これがきっかけで俺が仏門に入りそのうち拙僧が・・・・なんて言い出すかもしれないし(笑)

ちなみにオフ会で会った友人からは氏康じゃなくて「板部岡江雪斎」じゃない?(真田丸より)と言われます。(そう言われると似てる気もする)

実は過激な物言いでも有名な永遠の0の作者にも似ています(笑)

ま、坊主頭でメガネかけてればなんでも似てるのでしょう。

僧侶って実は国家資格?でかんたんには正式に名乗れない(汗)

そういう勉強した人だけがそういうことに関係してお金を貰える(生業とする)んですからね。

ただ、僕は肉も魚も食べたいし、酒も飲みたいし、僧侶にはムカないと思うのです。

一休さんがそんなの関係ねえ!といってたんでしたっけ?

個人的には厳しい戒律において頑張りたいという人はそういう道へ進めばいいし、おれは多分合わないからゆるい感じでやりたい。という道も用意したら僧侶になる人増えるのかもしれない。

ま、保育士にしたって教師にしたって僧侶にしたって大変なのには違いないだろうけどね。

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