以前も何回もこの重いテーマについて書いたり考えたり。

僕は小学生の時に身近な人の死に直面したあと貪るように本を読みました。

結論から言うと「生きることは死ぬことです」

正確に言うと自分の理想を日々追い求めながら理想の死に方をするのが「生きること」だと僕は思っています。

僕には先天性の病(違い)があり、40数年に渡りそれと付き合いながらなんとか今日の今日までやってきました。

また、生まれた家がわりと貧乏だったためそれに起因するいじめのようなものを受けて義務教育(小学生)を過ごしました。

もちろん貧乏な人のすべてがそういう待遇を受けて育つとはいいませんが、お金がないことに起因する小さな原因菌のようなものはお金で解決できることに気づいたのは僕が30歳に近いときでした。

お金は必要なときに稼ぐけど、幸せのためにはお金がなくてもいい。

(僕のためには)というのが今のところの僕のスタンスです。

僕の病を知らない人は(知らないんだから仕方ない)
「あなたはもっと働けるのにもったいない!」
「郵便局は安泰だったのにねえ」

などと言われます。

けど、今のところ夏場だけ集中的に稼いでそれ以外は週二日で四時間余働いて、それ以外の時間は家のこと(主に掃除と猫の世話と買い物や炊事)をしてるのが合っています。

ネコの話が出たのでついでに・・・・・。

実はうちには七匹の猫がいます。この間、ある偶然から七匹目が増えたのですが、うちの猫が増える法則みたいなものがあり、それは

誰か亡くなると増える

と言うものです。

気づいたのは冬の寒い日に親戚のおばさんの告別式の開始の時間丁度に茶色のメス猫が(老猫だった)入ってきたときに

まさかおばさん?!

とふと思ったのです。

ま、もちろん、猫は猫なんですけど、もしかしたら生まれ変わりとか魂だけ猫に入って我が家で曾孫の面倒が見たいあまりにとったこうどうなのかも?とリビングで話したりします。

けど、猫に「○○ばあちゃん?」と聞くと目が硬直して固まります(怖いですね)

普通に猫の名前を呼ぶと「ニャー」っていうんですけどね?

シリアスな話題を書いていたのにオカルトっ気な話になってしまいました。

けど、七匹と四人、(どっちが主人だ?)平和に暮らしております。

それと最後に、人は生きるべき時まで生きたらあとは何をしようと死んでしまうものです。

生きている、ということは今、生きてすべき事がその生命にはある、だから生かされている。

と僕は毎日心に刻んで生きています。

(すべき何かはまだまだ見つかりませんが)



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