さっきフェイスブックを開いたら僕が骨髄バンクドナー登録をするきっかけになった知り合いの人のページで移植手術がされたことを知った。

元から献血が好きで(健康以外取り柄がない)定期的に血を使ってもらっていた。

以前にもここに書いたかもしれないけど、骨髄バンクの登録には色々と制約があって、僕は当時BMIの数値が30をゆうに超えていた。

真剣に考えたあげく、僕は減量を決意する。

血の滲むような食事制限と毎日のウイーフィット(これは楽しい)の結果、僕のBMIは30をついに切った!

県央部の厚木の献血センターでドナー登録の受付もしていて(小田原出張扱いで常時受け付けていない)献血のついでに登録も済んで、早5年以上経つ。

数ヶ月に一度骨髄バンクから現況確認届けと冊子が届くくらいで今のところ僕と「型」があって骨髄分けてくれ!という連絡もない。

万に一つでもその知り合いの方のお子さんと合えば・・・・。とおもったけどどうやら合わなかったらしい(そりゃああわないよ)

正直、僕の骨髄をその彼に全部差し出して彼が生きられるなら彼に新しい命を!と思っている。

彼はまだ若いし、僕はそこそこ生きたし、ある程度の経験もできた。

志や夢や希望のある若者の生命だけは老兵は死んだとしても生かさねばいけない。

もっともっとドナー登録が広がって助かる命が増えてこの国に優しさと慈愛の精神が広がればいいなあ、と思っています。

フェイスブックで書くことも考えたけど、実名というのは色々な弊害を産みやすい。

フェイスブックには当り障りのないコメントを書いて、僕には何ができるだろうか?と思い筆を取った。

彼の手術はなんとしても成功して欲しい。やっと大人になったのにその子に(最初に会った時は小学生だった)未来も天は与えないのか?

と、同時に「死に対して人間は無力だ」ということを痛感させられる。

僕らはみんな死ぬまで生きないといけないのだけど(生きてるってすごいことだ)「僕らの生きてる今日は昨日死んだ誰かがどうしても生きたかった明日」なんだということ。

僕の祖父母はひ孫まで見られずに死んでしまった。だからというわけではないけど、妻の祖父母にはひ孫を見せてあげようと一緒になった。

僕らは祖先から命のバトンを渡されて今、ここにいる。

生きてる命はすべての命のために生きるべきだと思う。

たとえ自分のバトンが次に渡せなくてもね。

秀吉は戦争を体験して命が失われるのを見てもったいないと思ったという。

命を失われないようにすること、今ある生命を活かすこと、新しい命を生み出すこと、無駄な争いを起こさないようにすること。

僕らの命のすべてが今ある生命のために生きてゆくことを願いたい。

どうか彼の手術が成功しますようにと!

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