基本実名のフェイスブック。
クローズドコミュニティになっているミクシ
一番長く続いているダイアリーノート。
ちょっと事情があって「インターネットの一時ファイル」を消したらよくアクセスするさいとが消えてしまっていた。
じ、自分の日記に飛べねえ!
と「ダイアリーノート」と検索したら「ブログ」の文字が!
これってブログなん?!
オマケにもう数カ月ぶりにあしあと見てみたらなんともリンクしていただいていたみたいで相互リンクをさせていただきました。(遅くなってスイマセン)
でもって、その相互リンクの方がどうやら故郷の側(自動車生活圏)に住んでいるみたいで「ジョイフル本田」が小田原にもあると勘違いされていた。
小田原にはジョイフル本田もジョイフル山新もありません(泣)
アノへんのホムセンでかぶるのは「トステムビバ」(元の飯島製作所跡地ね)とコメリ(野木)くらいです・・・・・。
ただ、ジョイフルのやすさを体感して育った僕は「ホムセン安くねえ」(神奈川西部)に慣れるのに時間かかりました。
ホムセンではないですが、東京インテリアの斜め前にこちらにも店舗がある「クリエイトSD」があります。
あの四つ角には僕がユニクロ時代に(総和店は今の場所ではなくデイリーヤマザキの向いにありました)ご飯をよく食べていた「サイゼリア」もあります。
共通の店舗といえば「上州屋」(釣具)もありますね。ただ、小田原は海があるので海釣り用品「も」そろっています。(そういえばこちらに来てほとんど釣りしてないや)
今では故郷の「古河市」は「旧総和町」「旧三和町」と合併して一応県西の中核都市になりましたけど、僕がいた頃は細長い、東西は歩いて余裕で横断できる暗い「小さい都市」でした。
僕が小さいころどろんこになって遊んだ田んぼは大々的に埋め立てられて(随分と時間がかかった)「日赤病院」が移転して人と車の流れが変わっちゃうほど風景が変わりました。
別に古河をけなすわけではないけど(上野まで一時間はいいよね)市議会議長をしてる同級生に聞くと母校の古河三小は「なんとかニクラス」を保っていると。
不動産なんかも見ると中古住宅で(もちろん一軒家の2階建て)500万とかあります。
安い! ジョイフルもトステムも駅まで歩けてその値段! 粕田米屋までロケット花火が届きそうな距離!(笑)
けど、実は残念なことに多くの古河市民がそうであったように「私立の学校の僻地」なのです。
ですので過疎っている小田原よりもそういう選択が少なくて、中学受験は学年で一人か二人、高校で数名、それ以外は三高、一高普通科、総高、一高商業、二高、三和高校、総和工業辺りに行っていました。
ぶっちゃけ高校まで私立という選択肢は我が家にはなかった(泣)
ここでは伏せますが、条件付き私立に行かせてくれると言われたこともありましたけど、当時の僕の学力ではそこに入るなんてとんでもなかったです(笑)
ま、僕は大学で私立に初めて行ったわけですが、ぶっちゃけ最近まで「特色」なんてあまり気にも留めなかったです。
だから20代の時に好みの女性に「付き合うなら慶応じゃないと」と言われて「他の六大学に負けるならまだしも慶応だけはKOしてやる」と意味のない闘志を燃やしたこともあります。(実は最初から負けてるのだけどw)
親になってみてわかるのですが、中学から慶応というのは「財力」と「学力」がないと行けないのです。(格差だよな)
オマケに慶応は4科です。
4科の塾+4科の財力+学力の成果がないと・・・・。
※うちは2科ですので頭があったとしても上位の中学は入れない。
ですのでそういう遊びたい盛りの時間の有用性を語れる親と、財力と本人のやる気と成果がないと神奈川でいう栄光、聖光、浅野、慶応クラスは厳しい。
でもってそういう経験を積まなかった人が大学に入っても(そりゃあ合コンでもさ)そういう進学校に言ったヤツラと会話も趣味も合うわけ無い(涙)
こちらでも多分中学受験するのはクラスに五人もいないと思います。
けど、通学圏にはなんとか学校があります。
住めば都といいますけど、住んでいる所で選択の格差ができちゃうのは仕方ないといえば仕方ないのかもしれない。
逆に簡単に引っ越せる人は神奈川で言えば東部地区へ引っ越して行っちゃう(川崎辺りね)
神奈川だってそういう格差があるのだから、茨城の西は県外に私立を求めるしかない。 (最近出来ていたらスイマセン、30年前はありませんでした)
逆に栃木や埼玉には宇都宮学園、佐野弥生、国学院栃木、埼玉栄、足工付属なんてのもあったなあ。
この間小田原でご飯食べていたら埼玉栄の剣道部の人たちと一緒になった。懐かしくてつい「僕、古河出身なんです!」と言うとなんと彼女は一中です!(古河は三中まである)と言ってくれた。
「おお! 北の方だね!」といって食事を続けたのだけど、食べながら小田原で初めて古河の人にあったなあとちょっとだけ感動した。
同じようにひょんなことからコメントをして(アミさんのリンクより)相互リンクになった人が同じ「ジョイフル本田」で買い物をしていたというのも結構な驚きと喜びでした。
つい、今の所と故郷を比べていたら長くなりました>< スイマセン。
クローズドコミュニティになっているミクシ
一番長く続いているダイアリーノート。
ちょっと事情があって「インターネットの一時ファイル」を消したらよくアクセスするさいとが消えてしまっていた。
じ、自分の日記に飛べねえ!
と「ダイアリーノート」と検索したら「ブログ」の文字が!
これってブログなん?!
オマケにもう数カ月ぶりにあしあと見てみたらなんともリンクしていただいていたみたいで相互リンクをさせていただきました。(遅くなってスイマセン)
でもって、その相互リンクの方がどうやら故郷の側(自動車生活圏)に住んでいるみたいで「ジョイフル本田」が小田原にもあると勘違いされていた。
小田原にはジョイフル本田もジョイフル山新もありません(泣)
アノへんのホムセンでかぶるのは「トステムビバ」(元の飯島製作所跡地ね)とコメリ(野木)くらいです・・・・・。
ただ、ジョイフルのやすさを体感して育った僕は「ホムセン安くねえ」(神奈川西部)に慣れるのに時間かかりました。
ホムセンではないですが、東京インテリアの斜め前にこちらにも店舗がある「クリエイトSD」があります。
あの四つ角には僕がユニクロ時代に(総和店は今の場所ではなくデイリーヤマザキの向いにありました)ご飯をよく食べていた「サイゼリア」もあります。
共通の店舗といえば「上州屋」(釣具)もありますね。ただ、小田原は海があるので海釣り用品「も」そろっています。(そういえばこちらに来てほとんど釣りしてないや)
今では故郷の「古河市」は「旧総和町」「旧三和町」と合併して一応県西の中核都市になりましたけど、僕がいた頃は細長い、東西は歩いて余裕で横断できる暗い「小さい都市」でした。
僕が小さいころどろんこになって遊んだ田んぼは大々的に埋め立てられて(随分と時間がかかった)「日赤病院」が移転して人と車の流れが変わっちゃうほど風景が変わりました。
別に古河をけなすわけではないけど(上野まで一時間はいいよね)市議会議長をしてる同級生に聞くと母校の古河三小は「なんとかニクラス」を保っていると。
不動産なんかも見ると中古住宅で(もちろん一軒家の2階建て)500万とかあります。
安い! ジョイフルもトステムも駅まで歩けてその値段! 粕田米屋までロケット花火が届きそうな距離!(笑)
けど、実は残念なことに多くの古河市民がそうであったように「私立の学校の僻地」なのです。
ですので過疎っている小田原よりもそういう選択が少なくて、中学受験は学年で一人か二人、高校で数名、それ以外は三高、一高普通科、総高、一高商業、二高、三和高校、総和工業辺りに行っていました。
ぶっちゃけ高校まで私立という選択肢は我が家にはなかった(泣)
ここでは伏せますが、条件付き私立に行かせてくれると言われたこともありましたけど、当時の僕の学力ではそこに入るなんてとんでもなかったです(笑)
ま、僕は大学で私立に初めて行ったわけですが、ぶっちゃけ最近まで「特色」なんてあまり気にも留めなかったです。
だから20代の時に好みの女性に「付き合うなら慶応じゃないと」と言われて「他の六大学に負けるならまだしも慶応だけはKOしてやる」と意味のない闘志を燃やしたこともあります。(実は最初から負けてるのだけどw)
親になってみてわかるのですが、中学から慶応というのは「財力」と「学力」がないと行けないのです。(格差だよな)
オマケに慶応は4科です。
4科の塾+4科の財力+学力の成果がないと・・・・。
※うちは2科ですので頭があったとしても上位の中学は入れない。
ですのでそういう遊びたい盛りの時間の有用性を語れる親と、財力と本人のやる気と成果がないと神奈川でいう栄光、聖光、浅野、慶応クラスは厳しい。
でもってそういう経験を積まなかった人が大学に入っても(そりゃあ合コンでもさ)そういう進学校に言ったヤツラと会話も趣味も合うわけ無い(涙)
こちらでも多分中学受験するのはクラスに五人もいないと思います。
けど、通学圏にはなんとか学校があります。
住めば都といいますけど、住んでいる所で選択の格差ができちゃうのは仕方ないといえば仕方ないのかもしれない。
逆に簡単に引っ越せる人は神奈川で言えば東部地区へ引っ越して行っちゃう(川崎辺りね)
神奈川だってそういう格差があるのだから、茨城の西は県外に私立を求めるしかない。 (最近出来ていたらスイマセン、30年前はありませんでした)
逆に栃木や埼玉には宇都宮学園、佐野弥生、国学院栃木、埼玉栄、足工付属なんてのもあったなあ。
この間小田原でご飯食べていたら埼玉栄の剣道部の人たちと一緒になった。懐かしくてつい「僕、古河出身なんです!」と言うとなんと彼女は一中です!(古河は三中まである)と言ってくれた。
「おお! 北の方だね!」といって食事を続けたのだけど、食べながら小田原で初めて古河の人にあったなあとちょっとだけ感動した。
同じようにひょんなことからコメントをして(アミさんのリンクより)相互リンクになった人が同じ「ジョイフル本田」で買い物をしていたというのも結構な驚きと喜びでした。
つい、今の所と故郷を比べていたら長くなりました>< スイマセン。
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