やっとこさ子供の貧困についても言われるようになってきた。

両親の収入とか安定とか。

けどね、そんなの俺の世代にもあった!

チャンチャン!

でおしまい!












と、いうわけにもいかないだろう?(笑)

お偉い高官がネックだと感じているのはその割合だ。

人権なんちゃら~が幅を聞かせてきて本当に必要な人は人並みの暮らしができるようになってきた。

ただ、まだまだ生保を不正受給してるヤツらはいっぱいいる(と思う)

僕はよく今の世の中は50年前の現役世代が作った産物だという。じゃあその前はその前の世代が作った。

そうやって最初から触れるな触るな開けるな弄るなとされてる「行政のパンドラの箱」になってるのが「部落差別と生活保護問題」なのだと思う。じゃあ江戸時代にできた制度なのだから徳川氏が悪い! 源氏は滅べ!(俺は滅べとまでは言ってないけど)と叫んでいてそういう非効率な問題が解決するのか?と言うと、そうでもない。

平氏が負けたくそ~!というのは本音だけどそれはじゃんけんに負けるのと同じで勝ち負けは常だと思っている。

そういう積年の面倒なことがある中ではアベちゃんはまあまあよくやってると思う(笑)

やってることの効果が目に見える形ででていないだけで。

僕がイイたいのはそういうことじゃなくて我々の民族の質が下がっていないだろうか?と言うことなんです。

小さい国土の中でみんなが助けあって生きてきた。

多分できた当初は自治会もちゃんと機能していて行政の末端としての役割を果たしていたのだと思う。(年間通じて募金も含めて5000円以上を渡してるのに全く恩恵を受けていないけど)

「働かなくていいなら働かねえよ~」

「自治会入らなくてもいいならはいらん~」

「PTA? 面倒だな~」

だんだんそういう人が増えている。

政治とは国民に素晴らしいビジョンを常に提供して「良い国家づくりはそのまま自分たちに返って来るのだ! だからみなさんもがんばってください!」といえる場所であるべきだと思う。

目先の経済政策や小手先だけの男女平等というのは怠ける人を増長させるだけだと思うけどね。

かくいう僕もクラスに一人か二人いた貧困の家に育った。

と言っても、幸い両親は健在だったし、周りにはお金を貸してくれるおばさんが結構いたのでなんとかやっていけた。

まだ、長屋ぐらしの義理人情が生きていた。(長屋じゃないけど)

僕の今、住んでるところは名実共に自治は崩壊している。

神奈川県の端っこで豊臣政権に最後まで抵抗したことが誇りの小さい都市。

だからこそ僕は時間をかけて近所の人とは仲良くするようにしてるし、毎日ゴミ捨て場の掃き掃除や道路のゴミ拾いだけでもやるようにしている。

昨晩もうちの組だけ自治会から抜けて面倒な組長とか婦人部とか無くせばいいのにね?

と言ったら「し~!」って言われた。

自治のモデルが崩壊していてもそれはそれで形だけ参加する。

けど、近隣がいがみ合っていたとしても小さな心遣いでもってうちは恨むことはあっても恨まれるようなことはない(はず)

思いながら行動してると不思議と実が伴ってくるものでそういうのは何にもで共通してるのじゃないかな?と思う。

僕は僕なりに頑張っている。じゃあギャアギャア叫んでいるアンタらは叫ぶ以外に何かしてるのか?

頑張れ、ニッポン! 頑張れ! 国民! まだまだ俺たちはそんなに腐っていないはずだ!

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