今晩、小田原市某所(駅降りてすぐの某高校の前、日能研の並び)にて阿藤さんのお通夜が、明日、土曜日は告別式がひっそりととり行われます。

実は小田原では今週土日は「ツーデーマーチ」というイベントが行われていて、それの出陣太鼓をうちの子供達も叩きます。

昔は出発の度に叩くので最後の方は子供にとってはとてもきついものでしたけど、これを叩けると一応幼児部でも一人前になれる(持続性がないと叩けない)という暗黙の晴れ舞台の条件でして・・・。

なんといいますか、多分小田原駅を降りてツーデーの会場の二の丸広場へ向かうと、阿藤さんの葬儀会場の横を通るわけです。

数日前の日記にも書きましたけど、死してなお、観光大使として「俺が死んだら小田原で葬儀をやってくれよな!」と言ってるようで「郷土愛」に満ち溢れた人だったんだろうなあ。と思います。

一方の僕は全く郷土愛も小田原愛もありません(あ!)

僕の生まれ育った古河市はもう過疎化が進んでいて不動産物件の値段は僕の貯金で一軒家が買えそうです(笑)

事情を書くと面倒なので書きませんが、友達に会いに故郷へ遊びに行ったりはしますが、なんとなくよそ行きな気持ちです。

と、言っても小田原ラブか?と聞かれるとそうでもないです。

僕はどこまで行っても外様なのです。

小田原出身の奥さんと結婚したので血の繋がらない親戚はいっぱい増えましたけど、血の繋がってる親戚と疎遠ですので、他人様の優しさが身にしみてわかるのです。

けど、住んでみるとわかりますが、やっぱり戦国に始まり、戦国に終わった北条氏の小田原城があった小田原はとっても保守的ではっきりいって歴史好きにも歴史嫌いにも優しくないです(笑)

ただ、多くの物事と同じで救いがないわけではないです。

じっと腰を据えて気長に住んでいれば少しずつ「仲間」として認めてもらえます。

僕なんかが初代の公募氏康公でよかったんかな?とも思いましたけど、僕は外様でありながら結構小田原のいいところ悪いところを陰日向なく伝えてきたのでそういう意味では貢献したかもしれませんね(笑)

少なくとも僕の功績は小田原市の出生率を上げたことと僕が引っ越す前に比べて僕も含めて三人の人口増加の実績だけです。

僕の話を聞いたからといって何十人も何百人も何千人も小田原市民になってくれたなんて話は全く聞きません。

僕の日記を見たからといって小田原観光に来た!なんてひとはいません。

「ああ~! あの箱根の手前の都市ね!」

です。(それでもまだ古河に比べたら小田原のほうがメジャーだからね)

古河市と小田原市は実は歴史上結構なつながりがあるのですが、古河市で北条五代祭りなんてやりません(笑)

歴史が嫌いな人が読んだら拷問にしかならないのでそのこともここではあえて書きません。(好きな人なら調べればいいのですから)

と、ここまで書きましたけど、そういえば、僕の別のSNSでの知り合いが氏康公をやった時に遠方から訪ねてきてくれて飲みました。

実はその人はDNもやっていたらしいし、なんと!「DOLプレイヤー!」だったりするのですが、一応ここでは名前を伏せておきます。

その裏のSNSの繋がりではその人ともう一人の方を交えて東京でオフ会をヤリました。 オールで遊ぶなんて結婚してから一度もなかったので面白かったのですが、歳のせいか、もう12時過ぎたら眠くて眠くて(笑)

やっぱりもう年寄りです。

舜帝風に言うと

「ワシは眠気にはかなわんよ・・・フガフガ」といったところでしょうか?

VFもいまどうなってんだろうね?

トリッキーな動きの小田原舜帝は多分、もう指が動きませんw

毎晩毎晩下総ゴールドレーンでVFに燃えていた時が懐かしい!

「ヌーチャレンジャー!」

ってね!

と話がまた二転三転しましたけど、小田原が生んだ偉人、阿藤快さんのご冥福を心よりお祈り申し上げ、今日の日記を締めさせて頂きます。

合掌

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