このゾロ目の日が来る度に僕は若くして旅だった同級生を思い出す。

高校一年の体育の授業中に心臓発作で倒れて心臓マッサージの甲斐もなく亡くなってしまった。

一節には病院に運ばれた後も心臓の一部が動いていたらしい。(心室細動か?)

けど随分前だったし、AEDなんてのもなかった。

ブラックジャックの知識だけいえば動いてたなら開胸して直接動かせよ!とも思った。

けど、M君は死んでしまった。

そのM君の誕生日だ。

と、同時に第一次世界大戦が終わった日でもある。(そうやって中学時代は生徒手帳に書いていた)

ひょんなことから彼が他界して20数年後、妻の友人が同じ日の生まれだと知った。(そろそろ初産で出産だ)

今日、生まれたら母子ともに11月11日生まれ。

どこかでも書いたのだけど、彼が心臓発作で亡くなった数日後、ドラクエ3だったか4だったかが出た。(もちろんファミコンね)

あれ? 五からスーファミだっけ?

もうちょっと長生きしてたら最新版のドラクエができたのにね?と悪友に話かけながらドラクエをプレイした。

彼の戒名には雲を招き光を浄化する信士という意味のものがつけられた。

なんだか僧侶みたいな戒名だけど、生きていれば何になってただろうなあ?と思ったりする。

僕は彼が死ぬまで結構ちゃらんぽらんに生きていた。

けど、彼が死んだ後は彼の分まで・・・・。と思うようになり、その後妻の祖母が亡くなり、あの震災が起きた後には「人の生き死にはある意味運命だ」と思うようになった。

ぶっちゃけ生まれることは自分の意志で決められない。

けど、命を粗末に扱うならば死ぬときは決められる。

でも、何をもって死に急ぐことがあろうか?

僕らにはその生命と同じく平等に「死」も与えられている。

ほおって置いてもそのうち誰でも死ぬのだ。

ただ、死を意識して生きてゆける人とそうでない人は多分、違う。

時間の使い方やお金の使い方、人との接し方。

彼の魂はもう天国と呼ばれるところへたどり着いただろうか?

そんな彼が40数年前に生まれたのが今日の日だったりする。

僕はまだ生きて為すことがある(と思う)

シードルやビールをのんで酔っ払っていたあの頃が懐かしい。(高校生は酒のんじゃダメだろw)

僕が向こうへ行った時、あの世に酒というものがあるならば思い出話をつまみに飲みたいね。




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