誰とはあえて言わないのだけど元から細い上に更に骨皮に!

実は全く関係がないわけではなくて小田原の石垣山に旦那さんがお店を出している。

石垣山一夜城祭りには「秀吉とおね役」で出演してくれていたりも。

肝内胆管がんの予後はあまりよくないらしく・・・・・・。

岳父は胃がんで胃の2/3を摘出して五年経った。

ガンに関しては問題ないのだけど・・・・・・。

僕らは生まれ方(家とかその他の条件)は選べないのだけど、実は「命の始末のしかた」に関してはある程度選べる。

とことんまでガンと闘い、死ぬのか?(モルモット的な意味合いも含めて)

ガンになったのを好機と捉えその余命までやりたいことをやって死んでゆくのか?

以前にも書いたけど、僕はガンに関しては「一切の延命治療を拒否してあるがままに死んでゆく」という姿勢を持っている。

子供はまだ二十歳にならない。

日本の行く末は暗い。

けど、この生命の始末は僕にしか出来ない。

他のことは我慢するけど、あり方くらいは僕のやりたいようにさせていただきたい。

一方で妻はがん保険などを窓口でうって僕らの生計を支えている。

僕には実は誇り高きプライドがあって、貧乏人だったからこそ納得の行かない会社やひとからは「絶対に」施しを受けない。というものがある!

僕は生きるために仕事をする。

けど、それ以外の(主に福利厚生部分)部分では会社からお金を貰って美味しいご飯を食べたり旅行に行ったり(たとえば)はしない。

飯が食べたければ自分の稼ぎから好きなようにご飯を食べるし、お酒を飲む。

けど、会社の経費で「せっかく美味しいものが食べられてお酒も飲めるんだから」と誘われると貧乏人のプライドがムズムズして、

「そんな金でうまい飯が食えるか!」

と思っちゃう。

僕は僕に与えられた仕事を納得の行くように遂行してお金をもらう。

熟練度が上がり、効率よく仕事をして時給が全く上がらなくてもその姿勢は変わらない。

まじめに仕事をする。対価として賃金を得る。

それだけ。

それ以外の会社の経費の食事会なんてのは僕は上司が変わってからどうも胡散臭くなって(不満減らし対策)行くのをやめてしまった。

飯が食いたければ食べたい人と行くし、飲みたければ飲みたい人と飲む。

けど、コミュニケーションに「経費」のちからは借りない。

でも、それを真面目に答えてどれだけの人がわかるのかな?とも思う。

だから予定が出る度に「スイマセン。その曜日はダメなんです」(実際に週末は忙しくて行けないのだけど)と断る。

本音と建前は違う。

自分のやっていることと生き方に「誇り」をもって生きてるのです。

なんか某女優さんの病気の話から妙なところに飛び火した(笑)

けどね、結局同じことなのだと思う。

自分の最後の時に満足した生き方ができたか? できないか?

もしくは前触れもなく死んだ時はあの世で(そういうものがあったなら)振り返り、納得の行った生き方だったのか? そうでなかったのか?

たくさんの不満は人生にあるけど、せめて自分の気持ちの中くらいはスッキリさせたい。

そのために日々の暮らしの中の心がけが必要なんです。

アンテナ拡げて受信できる電波を最大限に受信して。

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