先日、高校生が(これがポイント)IT断食をする様子をニュースのコーナーでやっていた。

学校で周りの学生がスマホをシュッシュする中、自分は昔の(といっても数年前の)スタイルでスマホ抜きで学校生活を送る・・・・。

自慢じゃないけど僕は一歩外へ出るとPHSしか持ってないので電波が届かないと捕まらなくなってしまう。けど、そんなことはなくて本当の急ぎの用の場合妻はこの時間はプールに入ってるんだろうな?とプールのフロントに言付けをお願いしてあったりして結局捕まらないという事はほとんどない。

別にシュッシュするのが羨ましいわけではない。

うちにも七インチのタブレットがあるのでやろうと思えばタブレットでシュッシュできる。

僕がイイたいのは君たち、そんなにネットに繋がっていることが必要なのか?!

ということで、端折って話すと、結局そのスマホ親が与えてるんじゃん?という結論だったりする。

僕が市内の某小学校でPTA役員をしていた頃、高学年でスマホを持っている子供が結構いた。

当たり前だけど親もスマホ持ちでもちろん、子供のスマホ代を親が払っている(小学生は働けないからね)

最近の色々な事件の報道の中で「最近の子供達は・・・・・」という事を耳にするのだけど、結局それは半分は「最近の親たちが・・・・・」というふうに言い換えられると僕は感じている。

じゃあそういう親たちを誰が育てたのか?というと子供から見てじいちゃんばあちゃんに当たる人なんだよね? そういう人たちが生きてきた時代と今を比べちゃうのはアレだけど、随分高速通信の分野に置いては技術革新があった。

僕らの世代だってポケベル全盛期からPHS(今も使ってるけど)から3G携帯、スマホへと移行してきた。

自宅用の回線なんて56kモデムからADSL、光通信、ワイファイルーターへと高速に、便利になってきた。

けど、僕は思う。

不便なことはいいことだよ!

僕は人がワーワー騒ぎ出すとそれとは別方向へ進む(選ぶ)きらいがある。

和装だったり、忍者だったり、手作り鎧武者だったり。

人がヤリたがらないという点でいえばPTAの役員だって一回はやった(あんなもの二度とやらない)

スマホで世間が騒いでる時、利用料金が高いからと3Gの携帯を解約しちゃったし(そのあと数人に連絡せずびっくりされたけど)プールのサウナでは自分の母親以上の年齢の女性と歓談している。

不便であるということをITだけでいえば「携帯なんかなくても大丈夫な時代のコミュニケーションに戻る」ということだと思う。

若い時に生身のそれを学ばなくていつ学ぶんだ?(今でしょ?)

図書館で髪の長い女性が真剣に本を読んでるのを自分の探している分野の本棚で見つけた時のトキメキとか知らないのか?(残念だなあ)

国語辞典や英和辞典をパラパラとめくっているときにふとした言葉の使い方や意味を知った時の優越感も知らないのか?

僕らは生身の肉体を持った生き物である以上、アナログなものというのが必要だと僕は思う。

多分だけど、通常与えられてるものを断食させられるってかわいそうだと思うけど、世の中にはラインやツイッターのID持ってる人ばかりじゃないということも知ってほしかったりする(はい、僕はどっちも持ってませんよ)

ということでそろそろ今季最後の子供の水泳の授業の手伝いに行ってきます。(25度越えたのかな?)

では、また。

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