日記は厳密にはブログとは違う。

だからコメントがうざいなあ。と思ったら著者の裁量で有り無しをきめられる。

僕のリンクを貼らせて頂いてる方の日記を読むととても心が広く、いいことを書かれている。

気がつけばコメントさせて頂くし、なんだか興ざめなコメントがついていた場合レスしないこともある。

アミさんもそうだけど、日記を連絡掲示板的に使っている僕らは

コメントで持ってつながっている人たちもいる。

僕の日記で言えば某薬剤師さんや大航海時代の商会仲間などなど。

僕は幸運な事に「荒らし」と呼ばれる行為の被害に殆ど合わなかった。

けど、やっぱり日記を書いていてなんだこいつは?と思うコメントや
ユーザーの一言に憮然としたこともあった。

もう一度だけいう。

コメントを書けるということは主が「だれでも気軽にコメント書いてね」と設定してるからなんです。

2ちゃんねるの掲示板とは違う。

僕も一回だけお互いの方向性の違いでトラブルがあり、相互リンクを外すことで決着点を見た事があった。

それからリンクについては相手の文章をしばらく読んで相手がドンナコメントを求めているのか? どういう価値観なのかを以前より少しだけ注視することにした。

フェイスブックの用に「イイネ!」ボタンしかないと不幸があったのにイイネ!と言われて腹が立つこともある。

使ってみるとわかるのだけどあれは使う人を選ぶ。

僕は文章を作り変えないとイイネしてもらえない(笑)

怪しい事を痛烈に批判することは得意でも、それでもいいじゃないか!という落とし所を作ったり、けど、こういういいところもあるよね?というオチにする文章は意図しないと作れないから。

ダイアリーノートはあくまで日記でブログの類するものかもしれないが、日記という他の人が書いたものに「コメントさせて頂いてる」という姿勢が必要ではないか?と思う。

思いつきで書いたことに天邪鬼なコメントをされても困ると思う。

僕はそういうものでもまじめに返答するけどそれの回答が届いたことはない。

人に荒らされたくないなら公開するんじゃねえよ!ボケ!と言われるかもしれないけど、それはそれ、これはこれ。だと思うのだよね?

ロスGさん風に言うとお互いに思いやりを持っていれば世界中のすべての争いはなくなると思う。

けど、それは理想論で実際は違う。

長い歴史の積み重ねがあり、経済のあり方や国民意識、民度、対日感情、宗教、風習、もうあげたらキリがないくらいの価値観の違いがある。

ジョンレノンの歌のようにみんながそういうイメージを持っていれば世界は平和になるなら僕だって歌う。

流行歌が変わるより早く世界情勢も変わってゆく。

日本人をたくさん殺したアメリカがキャスティングボートを握りなんでも思い通りになるのはどうかな?と思うけどね。

あと100年ぐらいしか経ってない国家(オーストラリア)にくじらを食べる文化の事をとやかくいわれてもねえ?と。

長い歴史だけで言えばロシアも中国も我が国日本も結構古い。

アメリカとかオーストラリアってまだまだ若いような気がする。

けどそういう国が力をもってるのは多分資本主義の魔力なんだと僕は思ったりする。

※石原さんが離脱したけどこの人「も」元自民党。 選挙に行かないことが自分たちの国を悪くする事に気づかない国民。 かといっても別の候補者や政党に未来は感じられない。 政治に未来が見えないというのは多分僕らの未来も見えてこないんだろうな。と思う。

自民党支持者はバーカバーカ死ね死ね。 けどそれを容認しちゃうバカな国民はもっとバーカ!

と釣りにも似た悪態を最後についてみる。


ということで言いたいことを言いたいように言ってみました。

こんなことをフェイスブックで書くわけに行かないからね。

なんてったって小田原は売国奴の河野元衆議院議長さまのお膝元で保守分裂したあとのかれんちゃんの地盤固めに忙しいんですからね。

ちなみに、かれんちゃんは好きだけど、自民党のかれんちゃんには死んでも投票しない。

小田原を基本とする地域政党「かれん党」なら入れるけど。

ということで城下町ばかり引っ越している変人マサムネでした。

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