社会の勉強(学校のね)は古い時代から始まって大概近現代がサラっとやって終わってしまう。

高校で「政治経済」を取っていれば(僕がそれだったけど)まあなんとかというあたり。

本当は「人間社会の今があるのは?」という視点で遡るほうが良いような気がするけどそれは教育のしくみなのだろうと思う。

ということで金(カネ)で動いてる世の中の仕組み(笑)

身分制度を取っ払い、社会主義を取っ払い、公平性に特化して「頑張れば恩恵が受けられる」の旗印の元で世界中で進んできた。

各地にはその土地に古くからあるやり方や考え方もある中でどうにかして資本主義の枠組みに先進国と言われる国々が「救済」の名のもとに手助けしているように見える錯覚。

本当にそれが正しいのか?

話が違うと言われそうだけどナイジェリアで起きている若い女性の集団誘拐事件

イスラム教にはイスラム教の言い分がある。

キリスト教との戦いは有史以来ずっと続いてる。

勿論武力でもって人の意志に反して誘拐するのはよくない。

けど、多くのそれがキリスト教・先進国とイスラム教・後進国のぶつかり合いな気がするのは僕の思いすごしではないはずだ。

ゲームの話で申し訳ないが、日本で生産された刀や絹織物やその他この国で「しか」作られない物は西洋諸国では高値で取引された。

実際の貿易というのはそういうものだろう。

銃ではなく刀で斬り合っていた頃は鍛冶屋は恐らく繁盛していてこの狭い国土でたくさんの和鉄が生産されたいた。

食べるだけに精一杯だった僕らは自然の素材から着るものを編み出した。(綿 絹 麻)

地下資源が金になるからそれを巡って紛争が起きる。

大きな戦争になり一応条約が結ばれる。

そうやって先進国は後進国から搾取して文明化を加速して必要以上のものを世界中で作るようになる。

カネの流れが物の流れを加速して実は人間がそれを止めることができない(制御できなくなっている)

儲かってる人はより儲けようとするし、儲かってない人はいつかああなろうと頑張る。

結局人間は「欲」に支配されてしまっているなあと痛感する。

それが全て悪だとは言わない。

いいところに住みたい

良い教育を受けさせたい

いい子孫を残したい

いい人間になれるものならなってみたい。

僕だって大金持ちになって高いところに住んで外界を見渡し

「庶民が汗して働いておるわ フォフォフォフォフォフォ」と言ってみたい(笑)

国語算数理科社会の最後の社会。

けどね、一言に社会と言っても長くて奥深い。

今、義務教育を受けている若人たちはこれから来る予測もしない未来の「社会」で生きてゆくために「勉強」するのだ。

テストの点数なんてただの指標です。

ドラゴンボール風に言えば頭のなかに一生故障しないマイ・スカウターを作る為にみんな勉強するのです。

それを通して見たものの善悪を自分で判断して選びとる為に。

ま、資本主義がヤダと言ってもそうじゃない国ってほとんどないんだけどね(笑)

批判じゃなくて「やり方があるっぺよ!」という事がいいたいだけです。


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