僕の頭に髪の毛がフサフサ生えていた頃の話。

信濃町と四ッ谷の中間点ぐらいにある和裁の専門学校に通う彼女と待ち合わせでブラタモリのように細い路地を歩く・・・・・。(二部式着物を開発した人が創設者、今は早稲田の方に移転したかな?)

実は大學で東京へ出てくるまで何がどこにあるかサッパリだった。

まだ二十歳そこそこだったし公園の向こうに見える白くでっかい建物が迎賓館だと知ったのも後々だった。

時間には早かったので路地や空き地に出てくるネコと対話していたとき視界の向こうに半長靴を履いた機動隊員(当時、警視庁に努めていた同級生が半長靴は機動隊員だと教えてくれた)が住宅街、空き地、ネコと戯れる不審者と三拍子揃ったところで「職務質問」が始まった。

と、冒頭「僕は不審者じゃありません(笑)」と。
「そこの専門学校に通う彼女との待ち合わせでネコと戯れています。四ッ谷の向こうのお堀端のちょっと過激な学生がいる大學に通っていますが、僕はそういう人とは交わりがありません。 もし必要でしたら学生証や免許証もあります。」と答えると

笑いながらわかりました。結構です。(アレ?)

いいんですか? 確認しないで?と聞くと 我々も仕事だからやっているだけで本当に怪しい人は見ただけでわかるものです(笑)と言われた。

実は僕18の時に茨城県警を受けていて身元紹介も済んでいて警察の人に「あとはマサムネくんがなりたい!と言えばなれるけどどうする」と言われてたんです。けど、進学するので・・・と断っていたんです。

高卒で二人警視庁に入って、一人は逆ベンツマークの機動隊に配属になったと聞いてます。彼は僕に「学生運動やデモで見かけたら容赦なく警棒でぶったたいてやる」と笑いながら言ってましたけどね。

と談笑しました。(半長靴の話も彼から聞いたとその時に)

そういえばその時、国賓で誰かが来てるとかなんとか・・・・・。

あ!!

そうです。

オバマさんの前に来ていた大統領。

それの警備だったんですねえ。

二十代の僕は政治なんかに興味もなく、人生の目標もなくどーすっかなあ?とプラプラしていました。

四ツ谷駅を降りて五分ぐらいのところにあるたいやき屋で美味しいと評判のたい焼きを食べたり、専門学校でまちあわせたあと外堀通沿いに御茶ノ水まで歩き、神田を抜けて東京へ出たり。

髪の毛も時間もあったんだなあとついつい感慨深く思い出しました。

物書きになるぞ!と金ペン堂で万年筆を買ってみたり意外と安いものでも結構な値段がして実家に帰るギリギリの電車賃しか残らなかったり。

でも、あの頃は楽しかったなあと。

逆ベンツマークの隊に配属になった同級生のO山君。(伏せてねえ)

僕は学生運動もデモにも参加しないので君に叩かれることもないです

僕の高校時代所属していたサバゲーチームで二十歳になるまでに実銃を撃ったことがなかったのが唯一僕だった。

みんな警官か自衛官になって実銃を撃って反動がどうとか訓練がどうとか免許がどうとか。

今思い返すと僕も警察か自衛隊に入っておけば別の人生があったのかなあ?と思ったり(笑)

でも、自衛隊ってハートマン軍曹の「サーイエッサー!」「サーノーサー!」のイメージしかないのは僕がフルメタルジャケットを見過ぎてるからなのかなあ?w

コメント

流星綺羅
2014年4月26日22:22

サバゲーやってるんですか?

マサムネ
2014年4月26日23:12

もう10数年前にみんな実銃を撃つ仕事に移ったのでチームは自然消滅しました。 僕がやっていたのはギリギリマルイのファマスが出た当初でエアタンク背負ってる友人からは「東京マルイ」なんておもちゃだ(JACやMGCが幅を効かせていた時代)という時代です。 服もブーツもサスペンダーもベルトも保管してあってその時のファマスも持ってますが接点が焼き切れて動かなくなりました。 動く銃は何丁かありますが、ゲームの流れも動きも昔のとはずいぶん違うのでしょうね。前振りが長くなりましたけど今は引退してプレイしてません。あれは二三人でやるものじゃないですからね(汗)

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