貧乏が僕に与えてくれた物
2014年1月26日 時事ニュース コメント (3)相互リンクのロスGさんの所で過去を振り返っていたので僕も感化されて書いてみる。
僕の父は19歳で僕をこの世に作り出し、(正確には生まれてないよ)その年の秋に結婚して、クリスマスイブに予定日を一ヶ月以上速く生み出す手伝いをした。(変ないいまわしだw)
父は二十歳、母は24歳。
僕が小学校に上がった頃まだ20代だった。
父は家の事情で中学しか出ずに東京へ出てきて寿司屋の見習い、工員、自動車整備工、営業、道路工作機械の整備工などを転々としながら家族五人と共に六畳、四畳半、風呂、台所トイレのある小さな借家で暮らす。
家の貧しさとは似合いもしない豪華ででかい仏壇があった。
太ってメガネのかけたおじいさんの写真があり両親はその人を崇拝していた。
貧乏なのに年末に「幸せになるためだ」と醤油瓶に貯めた小銭貯金を銀行に持って行き近所のみんなの前で報告した。
「絶対に幸せになる」
これが彼の口癖であったけど、実際に幸せになったかどうか音信不通になった今わからない。
学のない彼は一生懸命働いても貰えるお金が少しだった。
母はヤクルトおばさんをして家計を支えた。
家に帰るとご飯だけは炊いてあって兄弟三人適当に何か作る術を学んだ。
最悪「ヤクルトラーメン」がケースで買ってあってそれに卵やネギを入れて食べた。
釣りや遠出をする時は自宅から塩ムスビか味噌おにぎりを作って
チャリで出かけた(笑)
後々、僕は結構な貧乏な家庭に育ったこととマインドコントロールの呪縛を受けて育ったことを知るのだけどそのおかげで(?)貧乏を苦に思ったことがなかった。(いいことだ)
「オカズ」がなかったので家庭科で習うより早く料理をした。
野菜炒め、玉子焼き、インスタントラーメンづくり。
少年マサムネはその後そこで覚えた事が一生役に立つことを知らない。
「ものがなければ作ればいい」と言うことも覚えた。
中学校の技術家庭で習うより先にノコギリやげんのうの使い方を
学んで近所の大工さんの所で木片をもらってきてつぎはぎしてわけのわからないものを作って遊んでいた。
前述したけどいきものなんて買ったことがない(笑)
カブトムシ、魚、カエル、ヘビ、ザリガニ
捕まえることが遊びだった。
ドロドロになって帰ると母親に怒鳴られた。
「服と靴洗ってきなさい!」(家じゃないどっかでw)
と言われ汚したら公園の水道などで靴や服を洗うことを覚えた。
貧乏が故に(本当にそうか?w)炊事と洗濯は学んだ。
狩猟、採集も覚えた。
木工もカンナの刃の出し入れ自由自在だし、簡単な刃物も研げた
ないものは作ればいいさ精神はその後のゲームスタイルにも活かされる。
工芸、造船、調理、採集、調達。
変なスキルがカンストして何屋だかわからなくなったw
貧乏が僕にくれたものは「生きる力」だ。
けど、金があったら今の僕はないだろう。
まず、小学校の図書室で本を読み漁らなかった。
自転車で遠出しなかったので恐らく脚力もつかず、土地勘を活かす郵便配達員も目指さなかっただろう。
幼い僕が持っていなかったものを今の僕はほとんど持っている
食べるものには困らないし、家族の健康を考えてバランスの良い食事まで作る。短気で子供を怒ってビンタしたりしないし、悪いことをして子供に何の説明も無いまま仏壇の前に何時間も座らせたりしない。
家の中でネコを六匹飼って近所に変な人はいるけどそれほど切羽詰まった問題が生じているわけでもない。
子どもたちの学校では一応知られた存在だし先生や他の保護者とも大きなトラブルはない。
ここに住んで10年で大きな祭りの主役にも抜擢されて、観光協会長や市長ともお近づきになれた。
人の付き合いの広がりはSNSなどで加速するが、何やら上手に誘導されているような気もする。
トータルで見れば幸せだ。
僕の命を生み出した事には僕の両親に感謝はしている。
けど、その養育環境については言いたいことが山ほどあるけど反面教師にすることで役に立つ。
僕は貧乏から生まれ、育てられた。
そういっても過言ではない。
それを体験してない人は非道いね。というけど、僕には選択肢すらなかった。
だから酷くはない。
過去は変えられないけど未来は努力によっていくらでも良くする可能性があるからね!
ただ、親になって思うのは
「なるべくなら子供に貧乏は味あわせたくない」というのが本音だったりはする(汗)
だって大変だもの。
僕の父は19歳で僕をこの世に作り出し、(正確には生まれてないよ)その年の秋に結婚して、クリスマスイブに予定日を一ヶ月以上速く生み出す手伝いをした。(変ないいまわしだw)
父は二十歳、母は24歳。
僕が小学校に上がった頃まだ20代だった。
父は家の事情で中学しか出ずに東京へ出てきて寿司屋の見習い、工員、自動車整備工、営業、道路工作機械の整備工などを転々としながら家族五人と共に六畳、四畳半、風呂、台所トイレのある小さな借家で暮らす。
家の貧しさとは似合いもしない豪華ででかい仏壇があった。
太ってメガネのかけたおじいさんの写真があり両親はその人を崇拝していた。
貧乏なのに年末に「幸せになるためだ」と醤油瓶に貯めた小銭貯金を銀行に持って行き近所のみんなの前で報告した。
「絶対に幸せになる」
これが彼の口癖であったけど、実際に幸せになったかどうか音信不通になった今わからない。
学のない彼は一生懸命働いても貰えるお金が少しだった。
母はヤクルトおばさんをして家計を支えた。
家に帰るとご飯だけは炊いてあって兄弟三人適当に何か作る術を学んだ。
最悪「ヤクルトラーメン」がケースで買ってあってそれに卵やネギを入れて食べた。
釣りや遠出をする時は自宅から塩ムスビか味噌おにぎりを作って
チャリで出かけた(笑)
後々、僕は結構な貧乏な家庭に育ったこととマインドコントロールの呪縛を受けて育ったことを知るのだけどそのおかげで(?)貧乏を苦に思ったことがなかった。(いいことだ)
「オカズ」がなかったので家庭科で習うより早く料理をした。
野菜炒め、玉子焼き、インスタントラーメンづくり。
少年マサムネはその後そこで覚えた事が一生役に立つことを知らない。
「ものがなければ作ればいい」と言うことも覚えた。
中学校の技術家庭で習うより先にノコギリやげんのうの使い方を
学んで近所の大工さんの所で木片をもらってきてつぎはぎしてわけのわからないものを作って遊んでいた。
前述したけどいきものなんて買ったことがない(笑)
カブトムシ、魚、カエル、ヘビ、ザリガニ
捕まえることが遊びだった。
ドロドロになって帰ると母親に怒鳴られた。
「服と靴洗ってきなさい!」(家じゃないどっかでw)
と言われ汚したら公園の水道などで靴や服を洗うことを覚えた。
貧乏が故に(本当にそうか?w)炊事と洗濯は学んだ。
狩猟、採集も覚えた。
木工もカンナの刃の出し入れ自由自在だし、簡単な刃物も研げた
ないものは作ればいいさ精神はその後のゲームスタイルにも活かされる。
工芸、造船、調理、採集、調達。
変なスキルがカンストして何屋だかわからなくなったw
貧乏が僕にくれたものは「生きる力」だ。
けど、金があったら今の僕はないだろう。
まず、小学校の図書室で本を読み漁らなかった。
自転車で遠出しなかったので恐らく脚力もつかず、土地勘を活かす郵便配達員も目指さなかっただろう。
幼い僕が持っていなかったものを今の僕はほとんど持っている
食べるものには困らないし、家族の健康を考えてバランスの良い食事まで作る。短気で子供を怒ってビンタしたりしないし、悪いことをして子供に何の説明も無いまま仏壇の前に何時間も座らせたりしない。
家の中でネコを六匹飼って近所に変な人はいるけどそれほど切羽詰まった問題が生じているわけでもない。
子どもたちの学校では一応知られた存在だし先生や他の保護者とも大きなトラブルはない。
ここに住んで10年で大きな祭りの主役にも抜擢されて、観光協会長や市長ともお近づきになれた。
人の付き合いの広がりはSNSなどで加速するが、何やら上手に誘導されているような気もする。
トータルで見れば幸せだ。
僕の命を生み出した事には僕の両親に感謝はしている。
けど、その養育環境については言いたいことが山ほどあるけど反面教師にすることで役に立つ。
僕は貧乏から生まれ、育てられた。
そういっても過言ではない。
それを体験してない人は非道いね。というけど、僕には選択肢すらなかった。
だから酷くはない。
過去は変えられないけど未来は努力によっていくらでも良くする可能性があるからね!
ただ、親になって思うのは
「なるべくなら子供に貧乏は味あわせたくない」というのが本音だったりはする(汗)
だって大変だもの。
コメント
リンクさせていただきましたのでよろしくお願いします。
私もそれ、わかりますね。
6畳一間に母と子3人の4人で雑魚寝しまていた時期がありました。
私の母は貧乏であるを子に時々申し訳なさそうにわびてましたが、
家族の距離が近くて、とても良かったと思います。
>ただ、親になって思うのは「なるべくなら子供に貧乏は味あわせたくない」というのが本音だったりはする
これもそうなんですよね(ノ∀`)親ってやつぁ・・・。
母に親孝行せねば・・・。
ロスGさま→お互い大変でしたね。無理強いせずに自発的意志でもってなんでもやってもらえれば心の広いオトナになるかな?と今は思っていますが、学校というくくりがあるとどうしても他人と比べちゃう私がいます(汗) これも日々精進ですね。