昔、確かどこかで「夕暮れ」という文字を入れて何かを書いた。

若気の至りなので恥ずかしいのでそれ以上は述べない。

限定100部刷った物を持っている人は巨神兵に

「焼き払え!」 と命じて下さい。

詩的に成らずに文章を書くというのが実は(今更)僕のブログの隠れたテーマだ。

ワープロで詩作に励んていた頃の名残で一行開けをやってしまう。

読みにくい、意図的にやってるんですか?と聞かれることもある。

僕は小説家ではないのでズラズラと長い文章を書いた時、切れ味が落ちる。

それをごまかすのに(笑)行間を明けて文字を見やすくする。

パット見です。

僕が良いと思っているからやってるだけ。

たまに長い文章を書くと一般的なつながりの文章として文字の羅列が次の行に進み、詩的なものと文章的なもの(すべてが文章的なのだけど)が混沌とした中に同時に存在して読者への配慮も何もない物になったりもする。

日が暮れている、土手で彼女の膝枕でゴロンと横になり一言二言会話する。最後に「飲みに行こうか」と完結する。

二行で終わる。

それを長々とご大層に大きく広げる。

まるでオペラのように「おお!ユミコ(有働さん借りました)!!」

貴女のすっぴんを知る男はこの世で何人いるのだろう?

アイシャドウの奥に秘めた小さな光の中に僕の姿は写っているだろうか?

どこかで読んだけど、ブログ、詩、何かは自己満足でナルシズムの究極のあり方だと。

自分でいいと思うことを書く。

思っていることを書く。

あったことを書く。

今更だけど昔はノートに万年筆で書いて推敲してワープロに打ち込んで、データ化してコンビニに行って刷って二つ折りにして表紙と裏表紙をつけて製本テープを貼らないと物にならなかった。

もしくは原稿を持って印刷屋さんに行ってお金を払う。

100部刷って10万だったので一冊千円の本だった(笑)

そういうのがなくなり、(今もあるけど)様々な状況、環境、年齢、世代を超えて僕の文章に触れてもらえるようになった。

SNSなどを活用したら効果的に文章を投下することだって可能だ。

実は昔々、とある女の子に

「○○(僕の本名)は実際にあったことを書くのは上手だけど作り話をあったことのように書けるようになるといいね!」

と言われたことがある。

つまりは小説などの架空のお話。

20年ほど経つが、「思ってないこと、体験してないこと」を文字にすることはできていない。

妄想の中で有働さんを抱き寄せたり、西堀さんの胸を触ったりするかもしれないけど、そういうのを発展させて物語にするのは僕の能力の中からかけている物に思える(笑)

とんでもないブラック企業が日本には沢山ある。

と書いた時に僕がブラックだと思ってる企業がたくさんないとそれは僕には文字にできない。

郵便局の仕事の流れや配達業務中の苦労については書けるけど、ジャニーズ事務所に入ってからデビューするまでの苦労については到底かけない(笑)

剥げていてもかっこいいと思う男の気持ちは書けても

髪の毛生えていてもモテナイ男の気持ちは書けない。

理想的な文章というのは読んだ後、良い気持ちになるものだと思う。

冗談にしてても単一の民族や、宗教、思想をケチョンケチョンにして自分だけスッキリしてるオナニーみたいなものというのは文章と呼ぶには下劣だ(スイマセン例えが下劣なのは僕です)

いつか誰のこころにも「ダークフォース」を宿すことなく正しい方向にのみ力を向かわせることのできる文章が書けたら、それは僕の理想だと思う。

その時文章のライト・サーベルで戦う真のジェダイになれていると信じたい。

フォースのご加護のあらんことを!

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