ヒントは日常にある。
2013年10月11日 連載 コメント (2)といっても、東雲研究所のでてくる日常じゃないです。
マジメな事を書こうとしてるのに軽くジャブを飛ばしてスイマセン。
何故書き続けるのか?(実際は書いてないけどね)
多分後悔したくないからです。
以前にも書きましたけど様々な命の終わり方を見てきました。
大したことでは無いかもしれないけど
僕と同い年に生まれてすぐ亡くなったあったこともない同級生。
小学生の時一つ下の学年の男の子が闘病の末に亡くなりました。
(今でも苗字と顔を覚えています)
親戚のおばあさんや近所のおじさんも亡くなりました。
中学のクラスメイトを三ヶ月の間に二人立て続けに亡くし
一人は交通事故で、中学から仲の良かった友人M君が体育でマラソンを
走った後、心臓発作で亡くなりました。(これはショックでした)
高校の時クラスメイトだったU君は二十歳を超えた頃、土手の水位計
にロープをかけて自死しました。将来を悲観してとのことだったと
元クラスメイトで生徒会長だった友人Hが最後にあった日の事を
語りながら「助けてやれなかった・・・」と言ってました。
急性白血病にかかり亡くなったと聞いてる人もいます。
二十歳近辺までに結構な数の人が旅立ちました。
小田原に来て結婚式を上げて、ひ孫の顔を見るのが夢だという妻の
祖父母も四年ぐらい前に立て続けに亡くなりました。
確かその時のことを日記に書いています。
命の脆さと強さを知りました。
献血が趣味で(実はお菓子とかジュースが貰えたりする上に血液検査もしてもらるので)していましたが、それよりさらに先にある骨髄バンクドナー登録できるようにという目標の下、減量して見事に登録することができました。
何万分かの①の確率で僕と型の会う(いなそうだけどw)ドナーさん
が居れば喜んで骨髄を提供したいと思っています。
。死ぬ時に後悔したくない
命のためにできることはしておきたい
という二本柱を建てて生きています。
僕が感じるのは当たり前に生きているけど「生かされているんだ」
ということです。
両親から授かった命ですが(今は音信不通ですが)
一つの命が一つでも二つでも生きている命のために何かできれば。
と思っています。
これもどこかで書きましたけど死にたいという境地にいる人には
なにか手紙のようなことを書いたこともあります。
いつか死が僕らを捕まえるまで生き延びたらどうだろうか?と。
書くことで笑ったりにやけてくれたらそれでいいのです。
もちろん気持ちの沈んだ人が「もうすこし生きてみよう」と思える
ようなものが書ければ素晴らしい。
ま、そういうものは中々かけないですけどね。
ここはネットの中ですがこれを見る画面の向こう側には熱い血の流れ
た人間がいる。
見たことのない、あったことのない人が楽しんだり喜んでくれれば
面白く書いてる僕だって幸せです。
ネタの無い時は(よくあるけど)色々な人からネタをもらい、
触れたらマズイよな?と思うことはあえて書かなかったり疲れたら
休筆宣言をしたりします。
減量もそうですが続けるということに面白みがないといけない。
ただでさえあまりおもしろくない人生です(あっ!)
こんな駄文であっても誰かが読んでクスっと笑ったり
そうだよね。と思ってくれればしめたものです。
同じことの繰り返しになりますが、銀河鉄道に乗ってアンドロメダ
に向かい、機械の身体を手に入れない限り、僕らは「死」に捕まり
ます。間違いありません。
じゃあ死ぬ時どうしたら後悔しないか? 自分で納得できる人生で
あったか?
それが僕の人生のテーマです。
基本軸は自分が。なのです。
ただ、助けてもらったと感じるのでじゃあ僕も誰かを助けてあげよう
助けた誰かがまた別の誰かを助けるかもしれない。
そうであったらないいな。
と思っています。
ですので生きるための(書くための)ヒントは日常にあるのです。
追伸
日常はマイちゃんが好きです。(眼鏡っこ好き)
マジメな事を書こうとしてるのに軽くジャブを飛ばしてスイマセン。
何故書き続けるのか?(実際は書いてないけどね)
多分後悔したくないからです。
以前にも書きましたけど様々な命の終わり方を見てきました。
大したことでは無いかもしれないけど
僕と同い年に生まれてすぐ亡くなったあったこともない同級生。
小学生の時一つ下の学年の男の子が闘病の末に亡くなりました。
(今でも苗字と顔を覚えています)
親戚のおばあさんや近所のおじさんも亡くなりました。
中学のクラスメイトを三ヶ月の間に二人立て続けに亡くし
一人は交通事故で、中学から仲の良かった友人M君が体育でマラソンを
走った後、心臓発作で亡くなりました。(これはショックでした)
高校の時クラスメイトだったU君は二十歳を超えた頃、土手の水位計
にロープをかけて自死しました。将来を悲観してとのことだったと
元クラスメイトで生徒会長だった友人Hが最後にあった日の事を
語りながら「助けてやれなかった・・・」と言ってました。
急性白血病にかかり亡くなったと聞いてる人もいます。
二十歳近辺までに結構な数の人が旅立ちました。
小田原に来て結婚式を上げて、ひ孫の顔を見るのが夢だという妻の
祖父母も四年ぐらい前に立て続けに亡くなりました。
確かその時のことを日記に書いています。
命の脆さと強さを知りました。
献血が趣味で(実はお菓子とかジュースが貰えたりする上に血液検査もしてもらるので)していましたが、それよりさらに先にある骨髄バンクドナー登録できるようにという目標の下、減量して見事に登録することができました。
何万分かの①の確率で僕と型の会う(いなそうだけどw)ドナーさん
が居れば喜んで骨髄を提供したいと思っています。
。死ぬ時に後悔したくない
命のためにできることはしておきたい
という二本柱を建てて生きています。
僕が感じるのは当たり前に生きているけど「生かされているんだ」
ということです。
両親から授かった命ですが(今は音信不通ですが)
一つの命が一つでも二つでも生きている命のために何かできれば。
と思っています。
これもどこかで書きましたけど死にたいという境地にいる人には
なにか手紙のようなことを書いたこともあります。
いつか死が僕らを捕まえるまで生き延びたらどうだろうか?と。
書くことで笑ったりにやけてくれたらそれでいいのです。
もちろん気持ちの沈んだ人が「もうすこし生きてみよう」と思える
ようなものが書ければ素晴らしい。
ま、そういうものは中々かけないですけどね。
ここはネットの中ですがこれを見る画面の向こう側には熱い血の流れ
た人間がいる。
見たことのない、あったことのない人が楽しんだり喜んでくれれば
面白く書いてる僕だって幸せです。
ネタの無い時は(よくあるけど)色々な人からネタをもらい、
触れたらマズイよな?と思うことはあえて書かなかったり疲れたら
休筆宣言をしたりします。
減量もそうですが続けるということに面白みがないといけない。
ただでさえあまりおもしろくない人生です(あっ!)
こんな駄文であっても誰かが読んでクスっと笑ったり
そうだよね。と思ってくれればしめたものです。
同じことの繰り返しになりますが、銀河鉄道に乗ってアンドロメダ
に向かい、機械の身体を手に入れない限り、僕らは「死」に捕まり
ます。間違いありません。
じゃあ死ぬ時どうしたら後悔しないか? 自分で納得できる人生で
あったか?
それが僕の人生のテーマです。
基本軸は自分が。なのです。
ただ、助けてもらったと感じるのでじゃあ僕も誰かを助けてあげよう
助けた誰かがまた別の誰かを助けるかもしれない。
そうであったらないいな。
と思っています。
ですので生きるための(書くための)ヒントは日常にあるのです。
追伸
日常はマイちゃんが好きです。(眼鏡っこ好き)
コメント
知ってるんですね^^; 魚雷跳びを初めて見た時腹が捩れるかというくらい笑いました。 切れ味の良いコメントありがとうございます。