リンクしてるかたの日記でテンプラの話がでた。
実はすでに三回程身体の見た目も中身も入れ替わっている気がするのでその話。(細かいことを言うと細胞は日々生まれ変わっているので三回どころじゃないけど)
何日か前にコンビニ三昧だった日々の話をした。
仕事も、食も、遊びも、恋愛も全部一つで完結した。
16-26ぐらいまでの足掛け10年ぐらい(間2年抜けるけど)
肌もガサガサで不摂生の塊だった。
中伊豆に仕事で赴任して結構不便な所に住み込んだ。
山の上にあるホテルで今でこそ水着温泉施設やワイナリーが出来た
けど当時はもう廃れたなんていう物じゃなかった。
それは置いといて。
山を降りて車で15分ぐらい走らないとコンビニもファストフードも
ない生活だった。
従業員食堂はあったけど、僕は一番最後に業務が終わるので(遅いと深夜二時)食堂に何も残ってないこともあった。
ここの食堂はご飯がカマに入っていて夜出したものの余りが並んでるだけ、ま、実質お客の残り物であったけどこれが旨かった。
僕は海が近くにない所で育ったのであんなに生きのいい魚介類を口に出来たのは初めてだった。
僕らの仕事には基本休業日はなく、三週間ホテルに住み続け、一週間お休みで実家に帰るというシフト(実質週休2日)だった。拘束時間はアホみたいに長いけどホテルに住んでるのだからそりゃあ長いわなと思い長いものには巻かれた。実労働時間は多分八時間ない(笑)
真面目に仕事をして夜遅くまで働いてたまにプールへ行って泳いで(温水プールは天城湯ヶ島へいかないとなかった)休みには実家へ戻ったある日、体の変化に気づいた。
それまでは唐揚げ、ハンバーグ、焼き肉が大好物だったのに胃腸が
受け付けなくなっていた。
あっさりした食事に慣れて、コッテリとしたものがあまり食べられなくなっていたのだ。
長くなったけど一度目。
二度目、その後紆余曲折を経て(随分端折ったな)神奈川県某都市に引っ越して「公務員」を目指していた。
年齢も年齢だったしなんの試験であっても公務員と名のつくものは受けまくった。
三島市調理員試験の一次試験に合格して健康診断の結果と面接。
僕は166センチで当時デジタルの体重計に乗ると三桁目の①がちらつく98.7キロもあった。おまけに三食もやしケチャップ炒り玉子ご飯というなんでもケチャップをかけて食べていたので血圧もトンデモない数値になっていた。
結果、不合格。
が、健康診断をした医師に「減量しないと高血圧の薬つかうからね」と半ば脅されて「どんな方法でもいいから一ヶ月の猶予をあげますので減量してください」といわれ、一ヶ月で八キロ落とした。
その一ヶ月過ぎた後、減量したら飲むんだ、と取っておいた酒を飲んだ時、「美味しい」と感じられなくなっていた。
酒が飲めなくなった二度目の話。
まだいけますか? 退屈じゃないですか?
美味しくなかったのでソレを期に酒を止めました。
体重は10キロ落ちたくらいで横ばい。(高校生の時の体重)
仕事を続ければ体重は落ちて、やめれば増える。
中々きっかけが掴めずにいた。
ひょんなことから僕は数年前に目標を得た。
骨髄バンクに登録できるBMIに落とす。
ウィーフィットを使い、プールに通う日数を増やし、けど無理をせずに無事にBMI25を切ることができた。
三島市の時の写真と今を比べると別人だ。
多くのその時来ていた服は着られても全くサイズが合わなくなっていた。
体重が落ちた三回目。
今のところまた横ばいだ。
後4-6キロ落ちればいいのだけど、今の運動量、食生活だとこれ以上
は落ちないらしい。
けど、随分肉体が軽くなった。
中学生の時より軽い(笑)
亀仙人の甲羅を外した孫悟空がピョーン!と高く飛ぶシーンがある
けど、そんな悟空の気持ちだ。
僕はこうして脂物が苦手になりました。と簡単に書こうとしたのだけどやっぱりそうもいかなかった。
6月に荒れた胃腸は今だ低空飛行。
来週にはお腹の超音波検査(右側がシクシク痛む時がある)だし、
実家との絡みがあって今年度は精神的に疲れた。
ネット上ではあるけど、知り合いの方々にはそういうときに疲れを癒せる言葉をかけてあげたいと思う。
すべての山羊座がそうであるとは言わないけど山羊座の人は自分が大変な時にですら気づかずに突然ガクっと来る時がある。
僕の買った本には消化器系が弱く、土星に支配されると陰鬱になり病も重篤化する傾向があるのでヨガなどをやって心身ともに色々溜め込まないようにしましょう。と書いてある(要約)
他の人や、星座を読んでるわけじゃないけどなんとなく当たってる気がする(これが占いのミソだね)
ま、そういうのはおいといて全国に散らばる山羊座ブロガーの皆さん。無理無茶せずに各々いたわり合いながらほそぼそと長生きしましょうね。(なんだそのオチは?)
まとまらなくてスイマセン。
実はすでに三回程身体の見た目も中身も入れ替わっている気がするのでその話。(細かいことを言うと細胞は日々生まれ変わっているので三回どころじゃないけど)
何日か前にコンビニ三昧だった日々の話をした。
仕事も、食も、遊びも、恋愛も全部一つで完結した。
16-26ぐらいまでの足掛け10年ぐらい(間2年抜けるけど)
肌もガサガサで不摂生の塊だった。
中伊豆に仕事で赴任して結構不便な所に住み込んだ。
山の上にあるホテルで今でこそ水着温泉施設やワイナリーが出来た
けど当時はもう廃れたなんていう物じゃなかった。
それは置いといて。
山を降りて車で15分ぐらい走らないとコンビニもファストフードも
ない生活だった。
従業員食堂はあったけど、僕は一番最後に業務が終わるので(遅いと深夜二時)食堂に何も残ってないこともあった。
ここの食堂はご飯がカマに入っていて夜出したものの余りが並んでるだけ、ま、実質お客の残り物であったけどこれが旨かった。
僕は海が近くにない所で育ったのであんなに生きのいい魚介類を口に出来たのは初めてだった。
僕らの仕事には基本休業日はなく、三週間ホテルに住み続け、一週間お休みで実家に帰るというシフト(実質週休2日)だった。拘束時間はアホみたいに長いけどホテルに住んでるのだからそりゃあ長いわなと思い長いものには巻かれた。実労働時間は多分八時間ない(笑)
真面目に仕事をして夜遅くまで働いてたまにプールへ行って泳いで(温水プールは天城湯ヶ島へいかないとなかった)休みには実家へ戻ったある日、体の変化に気づいた。
それまでは唐揚げ、ハンバーグ、焼き肉が大好物だったのに胃腸が
受け付けなくなっていた。
あっさりした食事に慣れて、コッテリとしたものがあまり食べられなくなっていたのだ。
長くなったけど一度目。
二度目、その後紆余曲折を経て(随分端折ったな)神奈川県某都市に引っ越して「公務員」を目指していた。
年齢も年齢だったしなんの試験であっても公務員と名のつくものは受けまくった。
三島市調理員試験の一次試験に合格して健康診断の結果と面接。
僕は166センチで当時デジタルの体重計に乗ると三桁目の①がちらつく98.7キロもあった。おまけに三食もやしケチャップ炒り玉子ご飯というなんでもケチャップをかけて食べていたので血圧もトンデモない数値になっていた。
結果、不合格。
が、健康診断をした医師に「減量しないと高血圧の薬つかうからね」と半ば脅されて「どんな方法でもいいから一ヶ月の猶予をあげますので減量してください」といわれ、一ヶ月で八キロ落とした。
その一ヶ月過ぎた後、減量したら飲むんだ、と取っておいた酒を飲んだ時、「美味しい」と感じられなくなっていた。
酒が飲めなくなった二度目の話。
まだいけますか? 退屈じゃないですか?
美味しくなかったのでソレを期に酒を止めました。
体重は10キロ落ちたくらいで横ばい。(高校生の時の体重)
仕事を続ければ体重は落ちて、やめれば増える。
中々きっかけが掴めずにいた。
ひょんなことから僕は数年前に目標を得た。
骨髄バンクに登録できるBMIに落とす。
ウィーフィットを使い、プールに通う日数を増やし、けど無理をせずに無事にBMI25を切ることができた。
三島市の時の写真と今を比べると別人だ。
多くのその時来ていた服は着られても全くサイズが合わなくなっていた。
体重が落ちた三回目。
今のところまた横ばいだ。
後4-6キロ落ちればいいのだけど、今の運動量、食生活だとこれ以上
は落ちないらしい。
けど、随分肉体が軽くなった。
中学生の時より軽い(笑)
亀仙人の甲羅を外した孫悟空がピョーン!と高く飛ぶシーンがある
けど、そんな悟空の気持ちだ。
僕はこうして脂物が苦手になりました。と簡単に書こうとしたのだけどやっぱりそうもいかなかった。
6月に荒れた胃腸は今だ低空飛行。
来週にはお腹の超音波検査(右側がシクシク痛む時がある)だし、
実家との絡みがあって今年度は精神的に疲れた。
ネット上ではあるけど、知り合いの方々にはそういうときに疲れを癒せる言葉をかけてあげたいと思う。
すべての山羊座がそうであるとは言わないけど山羊座の人は自分が大変な時にですら気づかずに突然ガクっと来る時がある。
僕の買った本には消化器系が弱く、土星に支配されると陰鬱になり病も重篤化する傾向があるのでヨガなどをやって心身ともに色々溜め込まないようにしましょう。と書いてある(要約)
他の人や、星座を読んでるわけじゃないけどなんとなく当たってる気がする(これが占いのミソだね)
ま、そういうのはおいといて全国に散らばる山羊座ブロガーの皆さん。無理無茶せずに各々いたわり合いながらほそぼそと長生きしましょうね。(なんだそのオチは?)
まとまらなくてスイマセン。
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