政権政党がブレまくっています。

学んでそれを生かし、方向を微調整してるわけではないのです。

僕ら人間は学んだ経験を生かして昨日よりも明日の自分の器をより大きくできる

はずと(誰でも)僕は信じています。

かの国の世論や行動もキョーサントーによってコントロールされていて禁止すると

いったとたんこれです。

チャイナもコレア加速する貧富の差によってでる下層民の不満をぶちまける手段と

して我が国の領土に矛先を向けたにスギません。

あわよくば正式にのっとってやれ。と。

日本も江戸時代士農工商以外の身分を起き、多数を占める生産層の農民のハケ口

として活用しました。

近代化が進む中平等が叫ばれ、その策は下策と位置づけられ、部落差別に対して

の教育や国や自治体で予算が組まれたりしています。

差別の良し悪しについてはここでは述べません。

僕から見れば原発ムラで金をもらった人も差別予算をもらって生活保護をもらって

生きている人も同じだと思うからです。

どちらも人が生み出した。という点では。

究極をいえば、チャイナ人だろうが、コレア人であろうが日本人であろうが同じ

命です。死んだり無くなったりしたらもったいないと思います。だから国家や宗教

民族、肌の色で差別しない世界が築けるのであれば僕はそういう世界を見てみたい

です。是非。

が、しかし、人間はおろかで醜い、痛みを忘れてしまうバカな生き物でもあります

人が人として生きてゆくために殺し合いが必須なのであれば、資本主義経済の

閉塞感を打破するために戦争が必須条件なのであれば「資本主義止めるか? 戦争

をやめるか?」というどちらも選べない袋小路に答えが紛れてしまうような気がし

ます。

グローブの歌の中に「時には誰かと比べたい、アタシの方が幸せだって」という

節があります。富の比較対象を他人に置くのですからそれは共感が呼べる歌詞

でしょう。

でも、そういう比較と差別とはとても近い場所にあり、人の満足感を満たしている

ではなないか?と僕は思ったりもするのです。

話がなんだか飛びましたけど、他国をつぶさなければ自国が生きて行けない策しか

作れないようであればそんな国は滅びてしまえばいいと思います。

でも、今回の黒幕はアメリカじゃないのかな?と思うのです。

戦後日本を経済大国に仕立てて置いて吸い上げるだけ吸い上げたらあとは捨てる。

国防について文句を言い出したのでそろそろ切るかな?

と。

かの国は様々な国家や地域に「どうだ? 資本主義はいいぜぃ?」と触れて周り

支援と言っては軍を送り込み、結局資本主義色に塗り替えて使えるだけ使って

ポイ。

国家が成り立つ上で経済、社会体制はその国の人たちに適してる物を選んでるはず

なのに先進国と言われる国々はそれの作り変えを押し付けがましく行う。

最後に待つのはどん詰まりの経済。不用品をたくさん作り地球にやさしくない

ものがあふれる国々。

少なくとも我々日本人はブレずに学び続ける人種、国家でありたい、あって欲しい

と僕は切に願う。

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