実は昨日、高校時代に急逝した友人の弟をフェイスブックで見つけた。

色々考えた挙句、友達申請するのを止めた。

高校一年の11月くらいに自転車に乗っていた中学のクラスメイトが右後方で

衝突事故を落として勢いで突っ込んできた車にはねられて死んだ。

二人乗りをしてパチンコをしに行った帰り、後ろに乗っていた同級生は生き残り、

運転?していた彼は亡くなった。

卒業してすぐにその彼の葬式に中学のクラスメイトが顔を揃え、まさかこういう

形で対面するとは思っていなかったという旨を話した。

そういう中にその弟の兄もいた。

その数ヵ月後高校で(同じ高校だった)その彼が倒れたというのを後に生徒会長

、将来某NPOの理事になる友人に聞かされた。

一報は「Mちゃんが体育の時間にマラソンでゴールした直後に倒れた」

「救急車で病院に運ばれたけど・・・・・」という話だった。

Mちゃんは中学のときから少しからだが弱くて集会で長くたってられなかったり

するきらいがあった。

色が白くて絵が上手で僕と違って数学が得意だった。

卒業文集には「高校に行ったら175センチいじょうになりたいです!」と書いてあ

り、亡くなる直前、「俺身長177まで伸びたんだ~!」と自慢していた。

(中学の時は僕と同じだったのに)

病院に救急車で運ばれたあと、すぐに授業が中止になり緊急の全校集会が開かれた

校長先生が壇上に立ち、

「M君が体育の授業中に倒れて病院に運ばれましたけど処置の甲斐なく、先ほど

亡くなられました・・・・・」

と言った。

最初意味が分からなくてただ、涙だけが流れた。

そのあと彼が死んだという事実が分かってくるとむせび泣いた。

Mちゃんの葬儀にはまた例の如く中学のクラスメイトが集まっていたけど

女子がワイワイキャアキャア言ってるのを見て

「なに騒いでるんだよ! Mちゃんが死んだんだぞ! 笑うな!」と女子を怒鳴り

つけた。

その後彼がスケッチブックに書いた僕を主人公にした四コマ漫画をお母さんに

見せてもらったのだけど、僕がシワシワになって死んで墓標がアイスの棒だった

シーンが落ちになっていた(笑)

彼のお母さんはマサムネ君を漫画の中で殺しちゃったから罰が当たったのかね?

となきながら僕に語った。

立て続けに起きた二人の死は僕の人生に大きな影響を与えた。

彼がなくなるその日まで優等生だった僕だけど、(無遅刻無欠課無欠席無早退)

突然学校に行きたくなくなりある日を境に10日ほど立て続けに学校に行かなかっ

た。

Mちゃんと僕は塾が同じだったり、僕の妹と彼の弟が同じクラスだったのもあって

水魚の交わりだったのだ。

そんなあとのことだったから学校に行かなくても両親は何も言わなかった。

が、しかし、気が向いて登校すると担任から呼び出しをくらった。

結局僕は空虚な気持ちで高校には行ったけどそれはその時の担任の先生が言った

「オマエに出来ることはM君を忘れないでいてあげることと彼が生きられなかった

人生を生きることだよ、高校を辞めても構わないけど、辞めるのはいつでもできる

からとりあえず学校にはくるだけくれば?」と言われたことだった。

それから数年間つらいことがあるたびにMちゃんはやりたくても出来なかった事だ

から僕がこれくらい辛いのはなんだ、死ぬことに比べたら生きてるだけでもう

十分しあわせじゃないか。と思うことにした。

やれることは全力で取り組み、明日へ残す余力は悪だと思うようになった。

でも、二十歳を過ぎて同級生が大学卒業を控える頃、不慮の事故で亡くなった彼に

続いて高校の同級生が自殺した。

将来を悲観して土手の水位計にロープをかけて命を絶った。

僕は三人の死によって多分何かを学んだ。

楽しいことをしていて車が飛んできて亡くなった彼。

体育の授業中、心臓麻痺で他界した彼。

高校を出て、周りの友人と疎遠になり悩み苦しんで命を絶った彼。

死は突然訪れるし、時と場所を選んではくれない。

だから死ぬ瞬間までは泥臭くても良いから生きよう。 と。

自ら命を絶てば死ぬ場所と時間は選べるかもしれない。

ただ、それは命を全うしたことにはならない。

知り合いの方の日記にも書いたけど生きているということは各々が何かしらの意味

をもち、果たすべき役目があるから「生かされている」と僕は思う。

僕が経験したことで誰かが救われるとは思ってはいないけど、誰かが生きる理由付

けの一部にでもなればよいなと様々な事を書き連ねている。

多分いつか僕の命にも終わりは来る。

そのあとで僕の書いたこと、書き記した物が後世の役に立てば、

僕の命が誰かの助けになるなら喜んで僕はその生命の炎を燃やそうと思う。

あなたたちの命もそういう風に誰かのために少しでも生きられたら、

困った誰かの、助けを必要とする誰かの小さな助けになり生きられて

昨日よりも今日、今日より明日がよりよい日本だったと思えるような事のために

生きられたらそれは素敵な事だと思う。

亡くなった彼の弟のフェイスブックページを見つけてふと思ったこと。

自分が生きていること、生かされていること、生きている人がやるべきこと。

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