今日は第一次世界大戦が終わった日です。

と、ともに僕の旧友が生まれた日です。

僕の中学校の生徒手帳にはテレを隠すようにそう書いてあります。

毎年このぞろ目の日が来ると生きていれば僕よりちょっと先に年を取ったであろう

彼を思い出します。多分彼の両親も思い出しているでしょう。

彼は16年生きて二月の半ばに高校のマラソンの授業でゴール直前で倒れ体育の先生

が心臓マッサージを続け、救急車で病院に運ばれましたけど残念ながら息を引き取

りました。今でこそ過労死がメジャーになる(語弊があるけど)けど、彼は朝学校

に来る前に中華料理店で仕込みをして、学校が終わったら10時くらいまでそのお店

で働いて結構なお金を当時残したとご両親が言ってました。

「お金なんてあっても死んだらどうにもならないのにね・・・・・」とお母さんが

涙ながらに言っていたのを思い出します。

もちろんアルバイトです。

彼の誕生日が来るたびに生きていたら好きな絵の仕事をしたかな?とか

マジメにサラリーマンになっていたかな?とか 結婚して子供を作っていたかな?

など思案したりします。

16歳で他界したのに酒を飲んだ仲でもあるし、塾をサボってプラプラしてたので

お互いの親は「悪い友達」だと思ってたかもしれないですね(汗)

当時丹波てつろうの「大霊界」という映画が流行っていて友人はビデオでそれを見

た感想を言ってました。

(我が家にビデオデッキが来るのはそのずっとずっとあとです)

ファミコンはあったけどビデオはなかった。何して遊んでいたか?というと

チャリでブラブラしたり釣りに行ったり、家の前でサッカーやキャッチボールを

してました。のこぎりとカンナと釘とハンマーで西洋剣を木で作って打ち合ったり

もしてました。それを近所にいる子供たちが作って作ってというので最初は無料で

作っていたのですけど、そのうちに木っ端がなくなったので材料費で500円貰うと

商売にしたら売ってたらクラスメイトに「マサムネ小さい子に剣売ってるの?!」

といわれた記憶があります。材料費だよ。と言ったのですけどそういうのはどんど

ん広まって一人「槍を作って」と言った子に「槍は材料費が高いから2000円」と

作って売ったらそのお母さんが怒鳴り込んできました(笑)

ダンボールでセイントセイヤの聖衣をつくったりもしました。

木っ端もダンボールも建築現場やお店から貰ってきたりしてたうちは僕だって無料

で作ったんですけどね。

木の剣の良いところは打ち合っていると壊れるところです。

壊れてしまうと僕の所にお金を持ってくる。

友達同士で打ち合う→壊れる→作るの繰り返しです。

あれは材料費を差し引いてもファミコンカセット一本分くらいの利益がでたと

思いますね。僕しか作れないから500円でも買いにきた。

ちなみに500円ってのは僕が高校一年の時にプレス屋さん(最低時給)の時給と

同じくらいです。少年ジャンプが170円ぐらい。高くても190円だと思います。

僕の勤労はその500円の単純作業から始まったんですね。

八時間ずっと同じ作業。

な、もので好きなものを作ってそれが一本500円で売れるのはとってもおいしい商

売だったと思います(笑)

大体さ、中学生が商売しちゃだめだよね?

商売といえば小学生の時に夏場にカブトムシを売って小金を稼いだというのもあります。

オスメスセットで1000円。

これも意外と小山市まで出ると売れたものです。(もちろんチャリ)

思い出してみると小さい頃のほうが商魂たくましかったですね。

でも、営業にしてもその他の商売にしても一番楽しいのは買って頂いた人の笑顔

ですね。ホテルでチェックアウトされるお客様がいる時お見送りをするのですけど

「あんたの所よかったよ! またくるからね!」といってもらったりすると

「よし! 頑張るぞ!」となったものです。

剣にしてもカブトムシにしても喜びの対価としてお金を払ってるわけですので

必ず笑顔になります。

気持ちよい営業マンになるためには買ってもらえなくても笑顔だけは無料で振りま

くこと。だと思いますね。

笑いというのは不思議と人を惹きつけます。

実績が上がらなくても楽しいことがなくても接客業に携わる人は常に「笑顔」で

いなさいというのが僕の哲学です。

数字や売り上げを超えたところに商売の本質があるんですよね。

商いというのはだから面白いんです。

生きていればもうじきアラフォーを迎えたはずのH・M君の誕生日にこの文章を捧ぐ

ハッピーバースデー!

僕はまだまだこの世で踏ん張ります。


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