僕は(と一応いっておく)にんじんがなくても走る。

でも、毎日毎日楽しいことがないと何事にも身が入らない息子に仕方なく

中古のゲームを買ってきた。

「一つクリアしたら新しいのを買ってあげよう」と言ってたので。


某小田原市に勤務する公務員の某岳母や小学校教諭のその妹は

「ゲーム脳になるからゲームをやらせちゃ駄目!」と言っている。

でも、実は「ゲーム脳が何か?」と聞くとちゃんと答えられない。

教育者ってそんなもんだ。

父親に似てわが息子は数字が特に苦手だ。数の概念を理解するのが難しいらしい。

僕は九九なんかは書くことが嫌いだったからひたすら呪文のように念じて覚えた。

一桁の足し算や引き算も暗記で覚えておけばクレペリン検査が楽だったり

どこかの適性試験で役に立つかもしれない。

目の前にニンジンをぶら下げて馬を走らせるのは愚劣だと思っていたが

「走ってゴールしてしまえばニンジンだろうがかぼちゃだろうが同じだろう」

と思う。

逆にそういうものがなく第一歩で勉強が挫折してしまうのならニンジンをぶら下げ

ても基礎の部分は覚えさせちゃったほうが楽だよな?と思ってしまう。

僕は遊ぶものがなくてもその辺のもので適当に遊んでいたけどどうも彼には

紙と鉛筆とかその他のツールがどうしても必要らしい。

「俺なんか泥団子で遊んでたから金なんかかからなかった」

「ガンダムごっこのビームサーベルは畑から引き抜いたミドリの棒だった」

(それはダメだけど)

遊ぶためのものがなければ作って壊して遊んだ。

そうか、彼はおもちゃというのはコンビニやトイざらすで売ってるものしかイメー

ジできないのか。(岳父が毎日買い与えたもので><)

彼らの飲み物がない(水ではダメ)おもちゃがない(適当なものを利用しない)

ってのは多分贅沢病だよな?と思う。

しかも、イチ教育者なのにも関わらず、「おじいさんの楽しみだから目をつぶって

あげて」と妻に言ってたのがムカツク。

そうやって植え付けられた価値観が一生続くんだぞ、この子等がオトナになる頃に

はアンタらは死んでるだろうけどこっちが苦労すんだよ!と思う。

色々と書いたけど、理由はどうであれゴールしてしまえば勝ちだよな。

勉強だって覚えてしまってある程度までできるようになったらあとはそれをどう使

うか? というのは本人の資質だよな。と思う。

算数に苦手意識があると毎日毎日出納帳つけたりしててウンザリするのよ。

「これまちがったんじゃないか?」とトラウマになったりするのよ。

万が一商売しようとするときにいらぬ苦労をするからやはり愚策であっても最低限

のものは覚えて欲しいと思う。

その日まで「行け!マキバオー!」と尻を叩いて僕がカンスケになるのか?と

思ったりもする。

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