リンクしてる人の日記の中で思い出せないことがでてきたのでノートを引っ張り出

して復習。

参議、以上、中将、少将、侍従←ここまでを官職という

四品、諸大夫、布衣

四品以下はそこより上を狙いはたらきかけたり、旧家の場合は復活を狙い働きかけ

たりする。

官位は着る服、座る位置に重要な意味を持っていた。

・大礼服はほとんど着ない(衣冠、束帯)

直垂、狩衣、大紋、ホイ(と書いてあるw)

着衣によって儀式の重要性がわかる

では儀式にはどのようなものがあったのか?

☆節句~拝見をともなう→作法を受けるかで格が違う。

江戸幕府は四節句

3/3上巳 5/5端午 7/7七夕 9/9重陽  →長袴

式日 元旦 8月1日 嘉祥6/16

玄猪 10月初の亥の日

①元旦→②八朔 二大行事であった

(将軍宣下除く)



と、このあと献残屋(ギフト引取り業)の話や四品以上とそれ以下の家格で線引き

がされていたことに混じり書いてあった。

嘉祥(かじょう)

6/16のこと 

1572年三方が原の合戦で武田に負けて六種の菓子を食べた。

1616年豊家滅びる。

大名、3000石以上の旗本、3000石以下の布衣の役人は登城して菓子を食べる。


そのあとの授業のなかで多分名家の話や、源氏の棟梁の話、家康が独立に至った

因縁などの流れで聞いたんだよな。多分。

しかし、延々とヘタクソな字で記録してあるけど読むと思い出すな。

この授業のあととらやで嘉祥の菓子をいつか食ってやると思ってたけど

「源氏の決めたことなんかに相乗りするもんかっ!」と最近では跳ね返ってます。

大体なんだ「平塚」って。

平家を呪ってるのか!

くそ~江戸時代から現代までを作ってきたのは源氏社会なのだ。

世の平家の子孫よ!立ち上がれ!

今こそ壇ノ浦から続く怨念を晴らさずで置くべきか!

あれ? なんかまた違う方向に話が行きましたね。

武家には武家なりに家格や官職で扱いがとても違ったのです。

そういうのをすべて捨てても主君のあだ討ちを遂げるところに

(みんなお家おとりつぶし)忠臣蔵のよさがあるんですね。(僕はいいとおもわな

いけど)

あれだってお話だからいいけど、愚かな主君二人のせいで振り回された下級武士の

話としてみたらなんてことはない死に急ぐ侍の話です。

どこまでも忠義の心というのがあるからいい話しなんですね。

あれですよ、フライデー事件みたいなもん(笑)


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