寝違えました。

2011年7月17日 連載
しかも、仕事のある日の朝に。

左手がうまく動かなかったのですがそのへんは経験と気合で乗り切りました。

怪我を知ってか知らずがたくさんサポートの人を回してくれました。

こうやって見てると「人に指示する側」と「支持される側」といるのだと

痛感するのですが、背の高いほうの彼はマイペースだけど(踏み込まれたくない

領域があるみたい)支持する人向けです。

背の低いほうの彼は指示されたことを忠実にこなそうとする職人のイメージです。

ただ、同じ「新入社員」なのだからもうすこし自分で流れや大まかな全体像を

捉えてくれればいいのにな。若いのにもったいない。と思いました。

一年前同じように入ってきた新入社員が豆腐に鎹の状態だったので管理者が

ぼやきました。

「ゆとり世代にどうやったら物を教えられるのですか?」って。

僕らの世代は団塊ジュニアの人と競り合うのが美学を教え込まれた世代です。

ゆとり世代は誰が決めたのか人と競争せず順番をつけず、叱られず、自分で考える

事を教えられなかった世代(僕の独断と偏見です)です。もちろんその中で自分で

「競争すること」や「人を押しのけて進む」ことを学んだ人もいます。

学校に教育のすべてを任せた親だとクソ政府の意図する「ダメ」な人間に子供が

育つ可能性は大です。

ここでこういうことをいってはいけないのですがスクールボランティアを称して

授業中に自分の子供にあれこれ言ったり、教師に意見を言ったりする親はダメです

学校は教師の陣地ですので「ボランティア」で参加してる以上、授業内容に口だし

してはいかん。ああいう親は(挨拶すらろくにできない)モンスターペアレンツの

予備軍だよな。と思います。

親は子供の方向性が少しおかしいな。と思ったときに

「木の上に立って見てるのを止めてそこで初めて木から降りてみないで言う」

んだとおもいます。すなわち意見です。見ていた親が音を立てて「心をこめる」

見識なので意見。

親の皆さん。アナタの言葉にはちゃんと心がありますか? 親の思い通りになんか

育たないのが子供です。それでも、「心」がこもっていれば通じ合えます。

心というのは見えない。でも伝わる。

そういうものは大切にしてゆきたいですね。

大切なことですのでもう一回いいます。

親という字は木の上に立ってみると書きます。ちゃんと見た上で木から降りましょ

う。降りたら心をこめて話をしましょう。そしてまた木の上から見守ってあげまし

しょう。

なんだか金八先生みたいになりましたね。僕は国語の教師じゃないのでこれまで!

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