明石のハナシ

2011年1月7日 連載
去年の(一ヶ月もたってないのに去年)12/23日に明石にいった。

妻の母の父の兄のお嫁さんがなくなり、今は妻の母の従兄弟が家に居る。

僕にとっては縁もゆかりもない海まで歩いて五分ぐらいのところ。

小田原から明石に直接止まる新幹線がなかったので六時過ぎで九時前に家に着いた

のだけど、「明石焼き」の店も何もやってなかった。

昼飯の準備はまだだしそんなに熱く語るネタもない。

線香をあげて手持ち無沙汰になったのでお墓に備える花を買いに・・・・。

買って戻ったけどまだ暇だ。

子供たちをつれて海まで歩くと随分大きな橋が架かっていて湾の向こうを見るには

それを歩いて上らなければいけなかった。

仕方なく橋の下をぐるっと散策して帰るとちょうどすし屋が来ていた。

のんびり歩いて駅前の明石焼きの店で出来上がりを待って持ち帰ると

駅の向こうの味と僕らが買った「田村なんとか」の味が違うことに気づいた。

駅向こうのほうは粉が多くちょっと甘い。

僕らが待って買ったほうは卵が多くて何個食べても飽きない。

しかも、地元の人は「食べたのひさしぶりだわああ」と言い、そういえば

ぼくらも毎日かまぼこ食べませんもんね^^と笑って答えた。

海が近いからなのか土地柄なのかとても懐かしく感じて誰もいないならうちらが

明石に引っ越すか?!という会話にもなった(叔母さんは育児も終わり一人でここ

に済んでるらしい)さすが関西と思ったのは四歳でゆびしゃぶりを止めない娘に

「あらっ! それはわさびぬったろうか?」とみんなで言ってたことだ。

なんというかショック療法ですかね?w

とにかくそういう土地柄が不思議となじんだ。

みんな少しづつ遠くなる付き合いに対して血が薄くなっても親戚づきあいってのが

続いてることにちょっとうれしかった墓参りでした。

付記 午後どうしても海に行きたいという息子を連れて砂浜の残るほうへ歩いて

いって、砂の城を作ってたら携帯がなり

「あと30分で時間だよ! 戻ってきて!」といわれて波にさらわれる城に郷愁の

念を抱きながら帰りました。

そのとき拾った貝類はいまだにリビングのテーブルの上にのっています。


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