シリアスな日とエロイ日と日替わりで変わる内容についてきて
いますか?
エロとシリアスは別物ではなく実はどちらも同じところに向かう
道しるべのようなものです。
まじめな僕とふざけた僕と「どっちが本当のあなたかはわからな
いわ。ついてゆけません・・・・」と別れを告げた女性もいまし
た。
別れ際に僕はいいました「どっちも僕なんだ・・・・」と。
そういう話を妻にしたら「そんなことで別れたんだ? 小さい人
だねえ」といわれました。それくらいじゃないとまあ僕とやって
行くのは厳しいんでしょうかね? 皆さんの目には僕はどんな風
に映っていますか?
さて、本題に入ります。
キングカズマがアンノウン封じ込め作戦に失敗したあたりから
みた「サマウォーズ」絵がヤワラに似てるけどちょっと違う気も
する。爺さんがジゴローにそっくりだしなあ。と思ってたんです
けどね。
実は昨日妹の病状についてみんなで話をしたんですけどうまく
まとまらなかったんですね。妹の生い立ちを話すには妻のそれと
妻の母とその妹(おばさん)と昨年なくなったおばあちゃんの
話を、おばあちゃんがどんな風にして娘二人と孫二人を育てたか
? 代々女性がよく生まれる家系に終止符を打つべく男子を
生むべく立ち上がったのは誰か?(僕です) 姉妹の姉にしか
子供が生まれないのは定めなのかそれとも業なのか?
それこそ映画仕立てにできるくらいの命の物語があります。
あの映画もそうですが祖母がなくなった後でばらばらになりかけ
た家族(一族)が力を合わせる。
今の僕らの現状とかぶっていて不覚にも涙を流しました。
フォレストガンプ以来ですね。
妻の祖母は手紙も残せずに他界したので何が大切なのかという
「言葉」は何一つ残っていません。倒れて意識が戻った後は
脳の1/3しか機能が残っていなかったからです。その点で自分の
手が動くうちに手紙を残せた映画のばあちゃんは幸せだと思いま
した。
その手紙の中より
・一人になるな! みんなで集まれ!
・腹が減ってはなんとやら。まずはご飯を食べるんだよ!
今のところ妹のこれからについて集まって会話に参加できるのは
父、母、母の妹、母の妹の夫、妻、僕そして妹です。
映画の教訓に基づくならみんなで一緒に住んで毎日飯を食え!
ということになるのでしょうけど、三世帯9人が住める家は
ありません。元運送会社社長やら保育園の園長やら偉くならない
小学校教諭や偉くなった小学校校長やら郵便局会社職員やら
元郵便配達員や元非常勤の小学校講師です。
並べて見ると肩書きだけでかくて実は娘や姪や妹やらをちゃんと
家族として受け入れられない人々の集まりなのかもしれません。
今日の映画に学ぶなら集まれる人だけでも集まって飯を食って
話し合うことが必要だと痛感しました。
「まだだ、まだ負けていない!」と何度かそういうせりふが出ま
した。ある意味で病気との付き合いは投げ出したら負けです。
誰かがさじを投げそうになったらそばの誰かがそういってあげて
「みんな」で進んでいくことが肝心だと痛感させてくれる映画
でした。
追伸 毎日のように妻と会話する中で「ばあちゃんならどうした
んだろうね?」とか「なんていってまとめるかね?」と言います
わかっていたとはいえ亡くなった人の偉大さを再認識させられま
した。
いますか?
エロとシリアスは別物ではなく実はどちらも同じところに向かう
道しるべのようなものです。
まじめな僕とふざけた僕と「どっちが本当のあなたかはわからな
いわ。ついてゆけません・・・・」と別れを告げた女性もいまし
た。
別れ際に僕はいいました「どっちも僕なんだ・・・・」と。
そういう話を妻にしたら「そんなことで別れたんだ? 小さい人
だねえ」といわれました。それくらいじゃないとまあ僕とやって
行くのは厳しいんでしょうかね? 皆さんの目には僕はどんな風
に映っていますか?
さて、本題に入ります。
キングカズマがアンノウン封じ込め作戦に失敗したあたりから
みた「サマウォーズ」絵がヤワラに似てるけどちょっと違う気も
する。爺さんがジゴローにそっくりだしなあ。と思ってたんです
けどね。
実は昨日妹の病状についてみんなで話をしたんですけどうまく
まとまらなかったんですね。妹の生い立ちを話すには妻のそれと
妻の母とその妹(おばさん)と昨年なくなったおばあちゃんの
話を、おばあちゃんがどんな風にして娘二人と孫二人を育てたか
? 代々女性がよく生まれる家系に終止符を打つべく男子を
生むべく立ち上がったのは誰か?(僕です) 姉妹の姉にしか
子供が生まれないのは定めなのかそれとも業なのか?
それこそ映画仕立てにできるくらいの命の物語があります。
あの映画もそうですが祖母がなくなった後でばらばらになりかけ
た家族(一族)が力を合わせる。
今の僕らの現状とかぶっていて不覚にも涙を流しました。
フォレストガンプ以来ですね。
妻の祖母は手紙も残せずに他界したので何が大切なのかという
「言葉」は何一つ残っていません。倒れて意識が戻った後は
脳の1/3しか機能が残っていなかったからです。その点で自分の
手が動くうちに手紙を残せた映画のばあちゃんは幸せだと思いま
した。
その手紙の中より
・一人になるな! みんなで集まれ!
・腹が減ってはなんとやら。まずはご飯を食べるんだよ!
今のところ妹のこれからについて集まって会話に参加できるのは
父、母、母の妹、母の妹の夫、妻、僕そして妹です。
映画の教訓に基づくならみんなで一緒に住んで毎日飯を食え!
ということになるのでしょうけど、三世帯9人が住める家は
ありません。元運送会社社長やら保育園の園長やら偉くならない
小学校教諭や偉くなった小学校校長やら郵便局会社職員やら
元郵便配達員や元非常勤の小学校講師です。
並べて見ると肩書きだけでかくて実は娘や姪や妹やらをちゃんと
家族として受け入れられない人々の集まりなのかもしれません。
今日の映画に学ぶなら集まれる人だけでも集まって飯を食って
話し合うことが必要だと痛感しました。
「まだだ、まだ負けていない!」と何度かそういうせりふが出ま
した。ある意味で病気との付き合いは投げ出したら負けです。
誰かがさじを投げそうになったらそばの誰かがそういってあげて
「みんな」で進んでいくことが肝心だと痛感させてくれる映画
でした。
追伸 毎日のように妻と会話する中で「ばあちゃんならどうした
んだろうね?」とか「なんていってまとめるかね?」と言います
わかっていたとはいえ亡くなった人の偉大さを再認識させられま
した。
コメント
あ、そのままですね^^;
でも、エロくなきゃ子孫は増えないのでエロであることは素晴らしいと思います!
映画とか小説とかマンガとか、自分のまわりの環境にちょっと似てたりすると
思わず感情が入っちゃいますよね。
時にじーーんとする気持ち、わかります。
しゃなちゃんは、時々音楽聞いてそうなります。
いわゆる泣ける歌とかじゃなくてもじーーんと来る曲っていっぱいあるよね
自分にしみこみました。
いつかエロは世界を救うと題して論じてみたいと思います。
エロが世界を作ったのだ!
エロは偉大だ! とかねw