なのかもしれない。

倭民族というのは。

でも、自分ひとりの責任を自分自身で負うということになると腰が引けるようで。

どこかにも書いたけど

いじめは昔もあった。

気に入らないやつもたくさんいた。

学校でもバイト先でも職場でもどこでも馬のあわない、なんとなくやなやつってのはいる。

私は家計の事情から小学校の時は服の組み合わせが少なかった。

「あいつはいつも同じ服を着ている!!

→不潔だ!

→いじめろ!


だった。同じ服でなくて服は毎日取り替えていた。フロにも毎日入ってたし。手だって石鹸でよく洗った。

でもそんな些細なことからいじめられた。

中学になって学生服を着るようになって、別の小学校のやつが混じるようになってそんな理由でいじめられなくなった。

でも、話し方がむかつくらしくよくおい! ちょっとこい! と呼ばれた。

はっきりいって先生なんかあてにならなかった。多数派の肩をもつんだものね。いくら「服はちゃんと洗濯してきれいにしてます」といってもダメだった。

貧乏だったから服を買ってくれとはいえなかった。

そのかわり、誰にも負けない特技があった。生き物が好きで飼育係としてみんなに一目置かれていた。

ザリガニやカブトムシやカエルなんかはいとも簡単に捕まえた。

夏の森に入れば森の匂いで昆虫採集に向いてる森かどうか分かった。(取りに行ったことのある人なら誰でもわかる)

算数はちんぷんかんぷんだったけど国語のと社会と理科はその後進学高に進んでいった人たちに引けをとらないぐらいであった。

今はどうか知らないけど「何かできる人」というのは嫌われていても長く深くいじめられなかった。

走るのが速かったり、勉強が出来たり、人徳があったり、字がきれいだったり。

今はどうだろうか?

どんな教育がされてるのだろうか?

学級崩壊におびえて教師が児童生徒の顔色を窺いながら授業をしてないだろうか?

PTAの反論におびえて思い切った意見すらいえないのではないだろうか?

学校も悪いなら親も悪いと思う。

親は親になったら一生親であり続けるんだから大きくなったから親の責務がなくなるわけじゃない。

もちろん学校に大多数の非がある場合もある。でも、教師の大多数が教育の現場で生徒児童とPTAと同僚の壁に挟まれてストレスを抱えながら仕事に携わっているのだということを今一度考えて欲しいと思う。

じゃあ誰が悪いのか?

極論をいえばこういう世の中にした人が悪いと思う。今の政府に力がないと思えばあると思う政府にすれば良いと思うし、そういう人がいなければ「白票」を投票すればいい。

投票率が半分以下ってことはどうせ行っても変らないや。って行かない人が多数なのではないだろうか?

私は選挙があるとそれぞれの候補者のパンフをよく読んで可能であれば演説も聴いてから投票に行く。

自ら与えられた権利をどぶに捨てて犬のようにほえているんではそこらへんの子供のけんかと同じである。

日本の義務教育というのは世界に誇るものだと思うのだけどね。

世の中には文盲の人っているんだよ。

与えられているものが当然にして与えられていると思ってはいけないと思う。

命にしてみたらそんな簡単に捨ててはいけない。

もし、いじめが辛かったら立ち上がれなかったらその場で倒れたままで力を貯めて期が熟するのを待てばいい。

若い命が消えてゆかぬように記してみたけど、もし感情を逆なでしてしまったり落ち込んでしまったら、私の文才のなさの責任である。ここに雑文をお詫びする。

コメント

春紫苑
春紫苑
2006年11月16日19:45

多分ね…
義務教育なんだけど経営が絡んでいるからこんなに乱れていると思います。
私の勤務先は区立の看板で経営が民営です。
そのような事はご両親には如何でも宜しい事で、我が仔一番はどの世界でも同じくで、トップは世間体、地域社会の立場を大変気にされます。
何か事が起きると、まず苦情扱いです。職員はそれが嫌だから隠したりします。私は苦情になろうが戦います。いつも余計な事はするなと言われます。
だから年中胃が痛むし太れません。
死ぬのは子供も大人も一緒です。若い命だから大事だとかなんてないのですよ。
命は全部大事です。

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索