イジメを苦に自ら命を絶つ子供のニュースが目に付く。

死のうとする人たちにこれだけはいいたい。

他のすべての人がいじめていても、あなたの両親はあなたたちが生まれたとき大きな喜びをもってあなたをこの世に迎えたでしょう。

人は一人であって一人ではない。年老いた人が自殺する国は先がみえているというが、若いこれからの世代からそういう人が出る国の未来はどうであろうか?

正直いじめは20年前にもあった。自殺もあった。でも、それをなんとか乗り越え、逃避して、「死」という選択を回避してきた。

実家の近所に住んでいた子もマンションから砂利の駐車場に身を投げて、即死ではなく数日後になくなった。

子を持つ親になって分かるのだが、他の家の子供が虐待を受けていたり、自殺したり、事故に巻き込まれたりするニュースを聞くだけで正直心が痛む。

虐待は別にして、いじめられて自殺する人のほとんどが誰にも相談することなく、最後に自分の命の残り火を燃やし尽くすように亡くなって行く。どうか、自分の両親、家族に相談してください。学校なんかいかなくたっていい。友達がいじめるならそんな友達はすでに友達じゃない。そんなものより、生きていることの方が大切だ。

救いになるかは別にして、「死ぬのはいつでもできる、でも、生まれてくることはいつでもできない。」

黙っていても必ず皆一回は死に捕まる。なら其の時まで生きてみてはどうか?(救いになってないな)

ともかく、未来の長い若者が自ら命を絶つ世の中はろくなもんじゃない。

小泉総理は郵政民営化なんてことよりそういうことを取り組んだほうがよっぽどかっこいい政治家だと思うけど、金にならないそういうことを取り組む政治家に総理になって欲しいと願う。

安部の小倅もダメだろうな。


 

コメント

春紫苑
春紫苑
2006年10月30日1:26

年代的にジレンマを感じますが、親になる覚悟を持たない親もいます。死を簡単に考える世の中を創ってしまった責任は何処のあるのか?それを考える時、そのような親を育てた、その親の責任を問わずにはいられません。

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